朝。四番隊舎に出勤した由布子は、自分の名前が書かれた札を表へ返す。今日は一日裏方業務、外に顔を出す用事もない。
喜多は夜勤だ。最近、地味に勤務が被らないのでなかなか顔を合わせる機会がないのが寂しい。
「杜屋」
「はい」
背後から卯ノ花隊長の声がする。振り返れば、山田副隊長も一緒だ。おはようございます、とお互い挨拶をした後に言葉をつづけたのは彼の方だった。
「最近、流魂街で変死事件が起きていることは知っているかい?」
「いえ…」
「流魂街の住人が消えるんだよ」
場所を変えるため、二人は歩き出した。由布子も彼らについて行く。隊首室に場所が変わった後、山田副隊長が先ほどの続きを説明し始める。
複数件の痕跡が見られているが、どれも原因は不明。服を残して跡形もなく消えてしまうのだという。もしかしたら、かなり前から発生している可能性がある。
詳しく詳細を聞いた後、由布子は呟く。
「消える…まるで、生きたまま人の形を保てなくなったようですね」
「鋭いね。僕や隊長もそのように考えている」
目前で、証拠品であろう流魂街住民の衣服が置かれる。
「杜屋の斬魄刀は、物品から痕跡を辿ることはできるか?」
そういう訳か、と腰にある刀に手を伸ばした。由布子は無理だと思っているし、案の定『薄紅葵』からも否定の言葉を返される。私の斬魄刀は確かに心を読めるが、残留思念を読み解く能力ではない。
「不可能です。申し訳ありません」
「そうか、ならしょうがないね」
頭を垂れた由布子の肩に、卯ノ花隊長の手が乗せられる。
「無理を言いましたね」
「いえ」
「もう戻って構いませんよ。ありがとう」
一礼して部屋を出る。
『物騒』
「………」
『薄紅葵』の言葉に頷く。彼女にもそう言わせるあたり、本当に物騒だ。
――――瀞霊廷内では、そういう兆候がないのも…
無意識に寄せていた眉を引き延ばし、職務に向かった。
休憩時間になって、食事のために外へ出る。今日は浦原隊長の気配を感じないので、割と安心して外を歩いて――――
「!」
「わ、」
路地裏に入りかかったところで誰かとぶつかる。私は後ずさっただけだったが、ぶつかった相手はまだ体格が子供で、しりもちをついていた。死覇装を纏っているので、死神だ。最近五番隊に入ったというあの飛び級の人だろう。
「ごめんなさい、立てる?」
「ああ、すんません」
手を伸ばせば、まだ小さい手が私の手に重なった。流石に子供相手に恐れを抱くほどではないので、相手が男の子であろうと問題は無い。
彼が立ち上がって、汚れを叩く。ふと、気づいたことを言う。
「頬、どうしたの」
「鍛練で擦ったんですわ」
大したことや無いので、放っておいてます。そう言った彼の頬に手を伸ばし、回道を展開する。
「おわび」
「あれま、治してくれておおきに」
傷跡を残さず綺麗に治った頬から手を離す。入れ替わるように彼の手が頬を摩り、嬉しそうにほほ笑んだのを見て、由布子も穏やかな気持ちになった。
『面白い小僧だな』
「杜屋サン」
「!」
敵襲を受けた小動物のように肩を跳ね上げる。横を向けば、ちょっぴり距離を取って、肩を落とした様子の浦原隊長だった。
――――油断大敵…
自分の不注意を呪っていた時、徐に彼が頭を下げる。
「先日はすみませんでした」
喜多と同じ色の髪が目前にある。いや、そうではなく、彼は私に頭を下げている。謝罪されている。
――――違う、そうじゃないの。私はちゃんと、分かっている。だから、あの。
散らばる言葉を何とか束ねる。
「あの、それは、あなたのせいでは、ないですから」
「いえ。事情は知りませんが、あなたにとって怖いものを思い起こさせる行動をとったボクの過失です。そこだけは、謝らせてください」
「………ご配慮、感謝します」
優しい。端的にそう思った。彼は何一つ悪くないのに、私がいけないのに、それでも自分が悪いと言ってくれたのだ。
ふと、先ほどまで話していた少年をそのままにしていたことを思い出す。こんな会話を聞かされて迷惑極まりないだろう――――そう思ったが、いつの間にか彼はいなくなっていた。
「浦原隊長、ここにいた少年、えっと五番隊の…知りませんか?」
「ボクが話しかけた時にはもういなくなってたっス。気を遣ってくれたみたいっスね」
「………」
もう少し話をしてみたかった。多分まだ傷を隠しているだろうし、何より『薄紅葵』が珍しく発した興味の要因を知りたかったが…いずれまた機会はあるだろう。
「もっと空気を読んでください」
「エ?!これ以上どうしろと?!」
今までの逃げ出したい感情が嘘のように、口から軽口が飛び出した。…やっぱり、私は浦原隊長のことが嫌ではない。それが分かって、一安心だ。
先ほどまでの大人しさが嘘のように騒ぎ始めた浦原隊長を無視して、昼食を買いに総菜屋へ向かう。その途中、雑貨屋の陳列棚のうち、あるものに視線が囚われる。薄紅葵の花に似た、五花弁の花をモチーフにした髪留めだ。店を覗いて行こうかと思うよりも先に立ち止まったのは浦原隊長の方だった。
「杜屋サンの斬魄刀と似てますね」
浦原隊長の手がその髪留めを持ち上げる。それはそのまま店員さんに手渡され、お代と引き換えに私の手元へやって来た。…来た?
「?!」
「嫌でなければ、受け取ってください」
詫びのような、なんというか、まあ悪意のない贈物です!そう言われて、視線が髪留めへと落ちる。
「もし、また昼食をご一緒するときがあったら、その時に着けてきてほしいっス。あ、嫌でなければっスけど」
彼の口から慌てたように飛び出してくる言葉に、思わずふっと息を吐いてしまったのはしょうがないだろう。面白いから。
「機会があれば着けてみます」
「毎日着けてもいいんスよ?」
調子に乗り始めた彼に背を向ける。なんだこの、すぐ油断するところというか、こういうところはよくない。…でも、嫌いではないから。
「ありがとうございます」
こっそり、髪留めを握る手に力を込めた。
私は多分、嬉しいのだ。