チョイス当日。目覚ましを止めて眼鏡を探しつつ、それでも覚醒しない意識に引きずられてそのまま沈みそうになって――――
『おはようございまーす』
『っ?!え?!――――はい?!』
目覚ましを掴み続けていた右手の手首をガシッと掴まれて完全に目が覚める。肩にかけられていたらしい布団はずり落ち、掴んでくる手は冷たい。
『宮間さん?!え?!あれ?!昨日僕どうしたっけ?!』
『落ち着きなさいな。はい、深呼吸』
宮間さんはすでにボンゴレのパンツスーツ姿だ。化粧がいつもより濃い気がするのは気のせいだろうか。
視線を襟元へずらす。彼女の襟元に、昨日渡したラペルピンが付いている。
『つけてくれてるんだ』
『うん。大切にするよ』
早いところ支度してね。そう言って湯気が立つコーヒーのマグカップをテーブルに置くと、彼女は部屋を出て行った。
――――そうだよ、今日じゃないか…。
心臓が大きく脈打つ。長い月日をかけて準備してきたことのすべては今日のためにある。
やれるだけのことはした。ツナ君たちは強い。きっと、きっと勝てる。勝たねばならない。僕の為すべきことだ。
マグカップのコーヒーを一口飲む。熱が身体を駆け巡り、思考が冴えてくる。
ミルフィオーレ時代も彼女が時々紅茶やコーヒーを淹れてくれたけれど、美味しいことの方が多かった。上手なのだと思う。…善し悪しが分からないけれど、多分、上手だ。
『………』
"正チャン"でいる時間が長くて、"入江君"としてそれを考えてくる時間は少なかった。それは大学時代もミルフィオーレ時代も変わらない。
為さねばならぬものを理由に向き合わないままだった。彼女からは何も言われなかったし、気がついたら彼女はいつも同じ場所に連れてこられていたから僕が何かをしなくてもずっと一緒だった。
甘すぎることは重々承知。
おそらく、これが終わったら、上手くいってもいかなくても、もう自動的に一緒になることはない。だから――――
朝、セットしておいたアラームの音に起こされる。
視界に広がるのは見知らぬ天井だが、横を見れば寝落ちしたらしく机に突っ伏すスパナと、パソコンその他電子デバイスの数々。かく言う自分も現在の発想と未来の知識を駆使して炎エネルギー対応の囮を作成したところで記憶が止まっている。多分そこで寝たのだ。身体がバキバキな感じがするのは、床で寝ていたせいか。
スパナに借りたツナギを脱ぎ、コソコソと着替える。スパナは起きる気配が無い。これは丁度良いと、学校に行くために荷物を持って部屋を出ようとして、誰かとぶつかる。
「わわっ」
「!」
ぶつかった相手は、星のようなモチーフの髪留めで重たい色の髪を束ねて、ワンピースを着ていた。ユノだ。
彼女は驚いたようにこちらを見て、すぐに俯いてしまう。
「ごめんなさい」
「待って!」
そう言って走り去ろうとした彼女の肩を掴む。
「何があったのか聞かせて」
「………」
返事もしない、俯いてこちらも見ない彼女を無理矢理こちらに向かせる。一見不機嫌そうだが、覇気は全くない。
「君がそんな顔してるのに何もなかったなんて嘘にも程がある」
「大したことではないわ」
下手な嘘だ。目元を赤く泣き腫らして、眉根を寄せている顔のどこが大したことではないのか。目の下にはクマがある。寝ていないのだ。
「そうやって黙っていたって何も解決しないだろう?」
「あなたに相談して解決する内容でもないわ!」
肩に置いていた手を跳ねのけられる。そのまま背を向けられ、彼女が駆けだす。
『Non dimenticarti di me』
――――散りゆく彼女へ伸ばした手が空を切る。
「っ、待って!」
抱えていた荷物を落として走り出し、彼女の左手首を掴む。
「話して。解決しないかもしれないけれど、一緒に悩むくらいはできるし、それに、何も知らないでいられるような僕じゃない」
「………」
朝食も摂っていない頭で何とか思考を回転させる。今の彼女にこんな表情をさせる内容は何だろう。未来の記憶というよりは今、代理戦争が原因か。八人目のアルコバレーノが参戦したと聞いたが、そのことで泣きはしないだろう。
この代理戦争でユノを泣かせるだけの要素といえば、ユニのこと以外ではあまり思いつかない。
「ユニに何かあった?」
そう言えば、左手越しに彼女が強張った。やはりそうか。
彼女の瞳が潤む。あっという間もなく眦から涙がポロポロと零れ落ちては止まらなくなった。口を固く結んで、何かを我慢するように泣いている。
どうしよう。廊下で立ちっぱなしのこの状況は良くない。せめて座って話を聞きたいのだが、比較的勝手知るスパナの部屋はまだ彼が寝ている。
「どこかいい部屋ない…?」
申し訳ないが、泣くのに忙しい彼女に聞いた。不満そうではあるが涙を拭い、先導してくれる。荷物を拾い上げて彼女に続く。
案内されたのはユノの部屋。借り物だらけらしく、彼女の実家にあった家具とは雰囲気がかなり違う。
「ソファーに座って。…紅茶とクッキーしかないけど」
「いや、いいよ」
「お腹空いたの。あなただって、朝食まだでしょう」
「イタダキマス…」
準備してあった電気ケトルからお湯を確保し、手早く紅茶が準備された。クッキーとセットで準備されたそれをローテーブルへ置き、ユノは僕の左隣へ座った。
沈黙が支配する部屋で、紅茶に口をつける。美味しい。善し悪しは相変わらず分からないが、それでも。
ちらりと見やった横顔に涙は見えない。少し落ち着いたのか。
「ユニが、どうやっても死んでしまう」
言葉少なに、ユノはぽつぽつと語る。
代理戦争が次期アルコバレーノ選定の茶番であること。
勝っても負けても、現行アルコバレーノは抹殺されること。
バミューダは、チェッカーフェイスごとアルコバレーノのシステムを破壊するつもりであること。
「消えるはずの私は残るけれど、本来残るはずのユニは消えてしまう………」
予想外の展開に言葉が見つからない。…いや、ユノをアルコバレーノにしないことが目標だった面では無問題なのだが、ユニたち虹の赤ん坊が抹殺されること、下手をすれば七人も新しく選ばれてまた殺されてしまうことは大問題だった。
「おしゃぶりから炎が抜かれる…なら、そこに同じ量の炎を入れれば延命は可能?」
「器に寿命があるそうなの」
「成程、それ故の"交代"か…」
簡単に物事は解決できない。器物が経年劣化するのは当然のこと。だが、その中身は炎エネルギーであるから、人柱のエネルギーを抜いている可能性がある。
――――…ならば、減った分だけ増幅させられればいいのか?
腕を組んで考えていると、左肩に重みを感じた。ゆっくりそちらへ視線を向けると、目を閉じて寝息を立てているユノの頭が載っている。
なんか、未来でも炎関連で何かやりとりをした記憶があるんだけどなあ。
『炎の威力だけでも上げることが出来たらって思って…』
「………ラペルピン!」
未来で、僕は"リングの炎を増幅させる特殊な石"を研究していたはずだ。そうじゃないか。
ずり落ちそうになったユノを慌てて受け止め、横にしてクッションで頭を支える。学ランの上着を布団代わりにかけてやり、こちらは荷物からパソコンを引っ張り出す。
記憶から知識を引きずり出し、必死になってあれこれやっていると、ノックの音と共に扉が開く。
振り向くと、白蘭サンが面白いものを見つけた顔をしている。
「ワオ。どういう状況?」
「その、えっと…いや、そんなことより!」
「?」
かくかくしかじか、ユノに聞いた話の概要と、未来で研究していたあの石について説明する。白蘭サンもこの石の発見には一枚噛んでいたので(未来の記憶ではあるのだが)覚えていたらしく、すぐに納得してくれたのはありがたい。
「ふーん………そういうことなら、来てもらった方が話は早そうだ」
彼がユノを眺めて微笑む。疲労が濃いのか、頭を撫でられても、彼女が目覚める気配はない。だが、目の下のクマは大分薄くなっているので、悪化はしていないだろう。
僕もぼんやりと彼女を眺めていると、こちらを向いた白蘭サンが一言。
「正チャン、ついておいでよ♪」
返事をする猶予もなく白蘭サンに両手を掴まれ、僕は絶叫しながら並盛の空を飛ぶ羽目になった。普通に徒歩か交通手段を使うっていう意識を持ってほしい。