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 夏休みの終わり。私はアメリカ旅行をしていた。

 目的は二つ。一つは、入江君に会うこと。もう一つは"見知らぬ女性"に会うこと。

 一日目、日本を出てアメリカに到着し、ホテルで眠る。
 二日目、朝食後に入江君がホテルまで迎えに来てくれていた。彼には悪かったが、周辺地域で私の行きたいところをひたすら巡らせてもらった。白蘭に遭遇するわけにはいかなかったので、大学方面へは一切近づかなかった。
 三日目、鉄道に乗り込み移動。寝台車で過ごす。
 そして今日、四日目。一泊二日の東海岸―シカゴ間を終えたところだ。そして、一晩をホテルで過ごした後のこれからは、二泊三日のシカゴ―西海岸間が始まる。ここに、今回の旅行二つ目の目的がある。

 チケットを片手に駅へと向かい、乗務員に案内されて寝台列車の2人部屋へと乗り込む。私が持つチケットは一人分。つまり、相部屋となっている。私が女性である以上、相部屋の相手は事故がない限り女性である。そして、その女性こそ、私が今回の旅で一番会いたかった人である…はずなのだ。
 私の予知は能動的ではなく、せいぜい正夢程度のものである。しかし、正夢である以上、真実となる。
 今までずっとそうだった。だから、今回だってそうだと信じている。この日、この時間の、この列車の、この部屋に、私が会いたい人が必ず来る。

 廊下に人の気配がする。男性と女性が何かを話し、別の部屋なのだろう、男性が歩いていく。ノックの音が響いて、扉が開く。

「――――」

 私と同じ色の髪。一族に発現する痣。ジャケットに隠されて見えないが、確実に感じるおしゃぶりの気配。

「………ユノ、」
「――――いいえ、私は柚乃です」

 私は、お母様に会いに来た。



 ガタンゴトン、と列車が走る。心地よい揺れが車内に伝わる中、私とお母様はベッドに腰かけて向き合う。

「ごめんなさいね。あなたがとても、娘にそっくりだったから」
「わたしも、母によく似ていらしたので、つい」

 お母様は相変わらず、美しかった。記憶よりも年を重ねていたが、美しいままだ。

「私はアリア。よろしくね、柚乃さん」
「こちらこそ、アリアさん」

 私の旅行の理由、お母様の旅行の理由。たわいもない会話をする。
 お母様は、穏やかな声をしていた。……私は、この声を思い出せなくなっていたことに気付かされた。お母様の笑顔はまだ覚えている。今目の前にあるものと全く同じだ。瞳の揺らぎ方も、口の上がり方も。なのに声だけがはっきりとしていなかった。失われていたものを補うかのように色鮮やかに記憶していく。

「今まで、旅行に行ったことはあるかしら?」
「日本では広島、京都に行きました」
「まあ、歴史上重要だったところね」
「少し古いですが、写真があります」

 写真を見せるために隣に座る。ふわりと香る洗剤は昔と同じものだった。私が選んだ洗剤を、いまだに使ってくれているらしい。妹も、同じ匂いをまとっているのかもしれない。あの子については、声も表情もわかるが実体に会えるわけではないので匂いだけが分からない。

「私もね、あまり経験はないのだけれど旅行へ行ったわ。これ、ヘルシンキ」
「フィンランド!――――オーロラはご覧になりましたか?」
「とても美しかったわ。あなたも機会があったらぜひ」

 ほかの写真も見ていいかしら?と言われたので、携帯の画面を次々と変えていく。美味しかったもの、美しいと思ったもの、可愛いと思ったもの、貰って嬉しかったもの、たくさんの写真を、私が過ごしてきた自由で幸せな時間を見せていく。 

「あら、この子は?」
「友人です。私の知る中で一番頭が回って賢いですが、ひょうきんで抜けています」
「ふふっ、面白い子ね。もしかして、アメリカに来た理由の子?」
「ええ。先日、彼を振り回してきました」

 まあ!と何だか楽しそうな声をあげているが、お母様、残念ながら私にはそういう相手はいないのです。めでたい報告ができなくて本当に申し訳ない。

 二泊三日の行程、私たちはずっと喋り続けた。七年間の空白を埋めるように、ひたすら、食堂車で、展望車で、客室で、ずっと一緒にいて、ずっと言葉を交わし続けた。話すことはとうに尽きたが、お母様も恐らくそうだが、それでもずっと、私たちは口を動かすことを止めなかった。

 三日目、列車が目的地まであとわずかとなった。もう、時間はない。
 散々喋った。言いたいことは残しておいたあと一つ。そろそろ言っていいと思う。

「アリアさん、わたしが、母に言いたいことを言うための練習台になっていただけませんか」
「……ええ、いいわよ。聞きましょう」

 お母様はいつものように、昔、私が何かを言おうとするとそうしてくれたように、笑顔で私の言葉を待ってくれる。
 ああ、本当に、この人は。

「お母様、大好きです。もう二度と会うことが無くても、私は生涯、あなたを忘れない」

 本当は、もっと一杯、たくさん、伝えたいことがある。なのに言葉が出てこない。足りない。どれを選んでいいか分からない。
 でも、お母様はいつだって、私の言いたいことを分かってくれる。

「……柚乃さんにここまで言われて、お母様はきっと、喜ぶと思う。大丈夫、思いは伝わるわ」

 お母様は、私が見たことのない笑顔で、涙を零しながらも、それでも笑顔でいてくれた。

「柚乃さん。生きて、幸せになりなさい。その時の限りまで」
「――――はい、精一杯果たします」

 久々に抱きしめられたお母様の腕は温かく、柔らかく、そして細かった。 


 それが、私の記憶に残る、お母様と過ごした最後の時間になった。




生きたひとりの人の残り香