いつの間にか奴らの寝ている域から抜け出した俺は、行くあてもなく果てしない花畑を歩いていた。

別に、花を愛でるような趣味はない。

ただ、淡い色をして慎ましやかに咲いている秋桜などを見ると、あの幻を思い出した。


「まだこの国にいたのですか」

「!!…おめぇか」


背後からの声に警戒したが、すぐに主を確認した俺は安堵の息をつき立ち止まった。

まるで、こいつを探してたみたいに。


「野宿してらっしゃるのですか」

「宿も家もねぇんだ。野宿しかねぇだろう」

「すみません」

「てめぇが謝ることじゃねぇ」


そうだ。

何もお前が謝る問題じゃない。

置いていかれた、被害者はお前自身だ。


「黒鋼様、とおっしゃりましたね」

「ああ」

「よければ、この花畑を案内いたします」





「あれがアネモネ」

「ほぉ」

「これが金魚草」

「ああ、金魚草なら俺も知ってる」

「それはヒヤシンス、マリーゴールド、向こうには桜も咲いております」

「桜?昼間んとこには秋桜も咲いてたぜ。季節が違うだろう」

「この国には年中様々な季節の花が咲いてます。かつては、そのために栄えておりました」


時折見せる、寂しそうな顔。

しかもこうして隣に連れ添い話しながら歩いていると、こいつは本当にプログラムされた幻なのかと疑いたくなる。


「そしてこれが、オニユリでございます」


一際強い香りを放つ鬼百合。

毒々しい朱色をしたそれを、女は愛しそうに愛でた。


「百合も俺の国に咲いてた」

「まるであなた様のようでございましょう」

「…?」


ドクン、胸の奥が跳ねる。


「とても、お強そうで、それでもユリは繊細な花なのですよ」

「それは…」


どういう意味だ?


「黒鋼様」

「?」

「このユリ、持っていってくださいな」


茎からポキリと折って、俺の手に女の小さな手と共に握らされたのは、今の今女が愛でていた鬼百合と、その隣に咲いていた白い百合だった。


「?何だ、こりゃあ」

「オニユリはあなた、白いユリは私…」

「?」

「私の代わりに、そのユリ、お供させてあげてください」





「黒りーん。黒りんてば、起きてよーー。モコナが次の世界行くってさぁー」

「…っるせぇなぁ……」


目を覚ました俺は、ガバッと身を起こして辺りを見回した。


「…夢?」

「?何の話ーーー?」

「いや、何でもねぇ」


寝起きの頭を巡らせるが、どうしても思い出せない。

夜中、抜け出して、あの女に会って、案内されて、で、鬼百合と百合を渡されて。

確かにそこまでは鮮明に覚えているのだが、ここに帰ってきた記憶がない。

……てことは、やっぱり夢なのか?

思えば、渡されたはずの鬼百合と百合がない。


「ほら、行くよーー」

「ああ。今行く」


羽織を身にまとい、小僧達の後ろをついていった。

別にここでもいいだろ、場所なんてと思ったが、辿り着いた先には昨日と同じくブリキのじょうろを持った女が丁寧に水をやっていた。


「皆さん…」

「どーもー。一応、挨拶くらいはしておこうと思いましてーー」

「発たれるのですね」


じょうろを地に置き、それでは、と深々と礼をする女。

顔を上げると同時、俺を見て、微笑んだ。


「そういえばさー」

「はい?」

「君、名前とかあるのーーー?」


夢の中の昨日の夜を思い出しながら、しかしあれは夢だったんだと否定し、幻にあるわきゃねぇだろと心の中でひょろいのを馬鹿にした。


「ありますよ」

「へぇ!こりゃ驚いたなーーー。よかったら、教えてくれない?」


あったのかよ。

じゃあ夢の中でのあれ、ちょっと恥ずかしいじゃねぇか。

チラッと横目で女を見る。

…本当に幻かよ。

そう思うほど、今の女は幸せそうな顔をしている。


「私の名は………」





「おい、今から読むからそのままにしとけよ」


それだけを残してトイレに行った黒鋼の背中を見送りながら、ファイは言いつけを守らずマガニャンを手にした。


「そんなこと言われても、オレ今掃除中なんだよねーーー」


マガニャン片手に、ソファーに掃除機をかける。

終えて、ふぅと掃除機をかけたばかりのソファーに腰かけ、一息つくつもりで何気なくマガニャンを開いた。


「…ん?」


パラパラとめくっていくと、ピタリとあるページに止まる。


「何ー?これ。押し花…?」


そのページに挟まっていたのは、すっかり綺麗に押され平べったく、しかしちゃんと何の花かは分かる押し花だった。

ぴーん。

ファイの頭に、ピンとくるものがひとつ。

瞬間、ふふー、とファイはこぼれてくる笑顔を隠せずにいた。


「黒むーも隅に置けないなぁ」


あの子からもらったんだね、これ。

オニユリと、ユリ。

これで何で幻に名前があったのかも、あんな不思議な聞いたこともないような名前にも合点がいく。

…つまりは、黒様があの子に名前をつけてあげたんだ。


「ユリコ、ねぇーー」

「おい、サボってんじゃねーぞ」


あ、帰ってきちゃった。

背中向けててよかったなぁと思いながら、気づかれないよう平静を保ってそっと押し花をマガニャンの中に戻す。


「ごめんごめん、あ、オレ、サクラちゃんの部屋も掃除してくるねー」


そそくさと黒様の横をすり抜け、掃除機を持って部屋を出ようとドアノブに手をかける。


「あ」

「何だよ。さっさと行け」

「ごゆっくりーー♪」


心なしかスキップをしながら部屋を出る。

楽しいなぁ、あのマガニャンを開けてあの押し花を見るとき、彼はどんな顔をするんだろう。

見ていたかったけど、そこは彼だけの思い出にしておいてあげよう。


黒様と、ユリコちゃんだけのね。



(了)

 


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