いざよふ

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 銀時が死んだという知らせが来たのは、雪でも降りそうな寒い日だった。
 その死体は鬱蒼と生い茂る木々に埋もれて発見された。死因は失血死。自殺と他殺の両方で捜査されており、十中八九自殺だろうという話を聞いた。
 その知らせを聞いた時から、耳元でうるさいほど心音が響いている。それを意識しないようにしながら、蒼白な顔のまま銀時の葬式へと向かった。
 棺に収まる彼の死に顔は穏やかで、まるで眠っているようだ。しかし、血の気のまるで無い肌と青ざめた唇が、彼がもう動かないのだということを示していた。
「なんだ。お前も来てたのか」
 久しぶりに聞く昔馴染みの声に振り返ると、桂と高杉が沈痛の面持ちで立ちすくんでいた。彼らと顔を合わすのは二年ぶりか。
「久々の再会が、こんな形になるとはな」
 桂の顔は蒼く、普段は人を小馬鹿にしたようなことばかり吐く高杉が、一言も発せず俯いている。
 口を開こうとして、やめた。代わりに唇を噛み締めて、彼らから目を逸らす。
「この間、銀時から電話があった」
 高杉がポツリと呟いた。
「でも、俺は出なかった。留守電も、アイツが死んだって聞いてから気づいた。笑っちまうよな」
 そう言って自嘲う高杉が、まるで泣いているように見えて驚いた。普段は人一倍しゃべると自負していたが、彼の言葉に何も言えなかった。桂も、何も言わない。
「バカだな、オレは」
 高杉の後悔が耳に痛む。
「馬鹿は、わしじゃ……」
 ポツリと零した己の言葉に、高杉が顔を上げた。桂もつられてこちらを見る。
 自分でも無意識に紡いだ言葉だったため、その視線にたじろいだ。言葉の意味を問う2つの双眸に戸惑っていると、
「――葬儀に参列される方はご着席下さい」
 無機質なアナウンスが彼らの口を塞いだ。
 3人が無言で座席へと腰掛ける。響く読経の声は、何故だか空々しく感じた。


◆◇◆


 銀時の葬儀のあと、久しぶりに飲みに行くことになった。正直に言うとそんな気分ではない。本当に銀時は死んだのだ、という事実が背中に重くのしかかり、今にも潰れそうだ。しかし、断る理由も見つけられずに、2人に連れられる形で暖簾をくぐった。
 休日とあって店内は賑やいでいる。そんな喧騒とは裏腹に、3人は暗い面持ちでジョッキを傾けた。
「なんだか奇妙だな」
 ジョッキの半分を一口で空にしながら、桂がポツリと呟いた。
「俺にはまだ、銀時が死んだことが信じられん」
「――そうじゃな」
 中身がほとんど残ったジョッキを見つめながら頷く。もともと酒には弱い方だが、いつにもまして酒が喉を通らない。
「なに辛気くせー面してんだとかのたまって、乱入してきそうだな」
 高杉はジョッキを一気に飲み干すと、店員におかわりを頼んだ。普段からそれなりに呑む男だが、今日の飲み方は傍目から見ても無茶である。
「最後に会った時も、どっかで刺されて死ぬんじゃねーぞ、とか軽口叩いてやがった。それで自分が刺されて死ぬなんて、本当に冗談みてーな死に方だ」
 口元をわずかに歪めて吐き出す高杉の言葉に、桂が怪訝な表情を浮かべた。
「刺されたとはどういうことだ。ヤツは自殺ではないのか?」
 桂の疑問に、つき出しへと伸ばしかけていた高杉の手が止まった。こちらもグラスを傾ける手が止まる。銀時は自殺ということになっているはずだ。少なくとも、自分はそう連絡を受けた。
「――おんしは自殺だって思っちょらんっちゅうことか?」
「…………」
 こちらの問いに、高杉は答えない。ただ机の上を睨みつけるように見つめている。
 桂はしばらく黙って考え込む素振りを見せると「それならば合点がいく」と頷いた。
「実はな、四日前の夜、銀時と会った」
 思いがけない桂の告白に、思わず目を見張った。高杉をうかがうと、こちらも知らなかったらしく驚きの表情を見せている。
「仕事から帰ってすぐだったな。ヤツはふらりと俺のうちに来て、いつも通り軽口叩いて帰っていった。次の日にヤツが自殺したと聞いた時は、タチの悪い冗談だと思ったくらいいつも通りだったな」
 桂はジョッキを強く握ると、残りを一気に飲み干した。
「銀時と、どんな話をしたんだ」
 高杉がつきだしに箸をつけながら尋ねると、桂はしばらく思い出すそぶりを見せてから口を開いた。
「まあ、他愛ない話だ。最近、仕事が忙しいだのなんだのと愚痴をこぼしていた。ああ、そういえば『またみんなで飲みたかった』ともこぼしていたな」
「飲みたかった、か……」
 高杉は何かを言おうとしたが、再び口を閉ざした。その様子を怪訝に思いながら、己もジョッキに再び口を付ける。今日の酒はえらく苦い。
「なんだ、ぜんぜん飲んでないじゃないか」
「あんまり飲みたい気分じゃないき」
 酒の減りが少ないことを指摘され、苦笑いでごまかす。胃の中に重いものが溜まる心地がした。
「のう、高杉」
 名を呼ぶと、それまで物思いにふけっていた高杉がこちらを向いた。その拍子に白い眼帯が漆黒の髪から覗く。その光景に何故だかゾッとした。
「おんしはさっき、銀時は『刺された』っちゅうたな」
「ああ」
 鋭い目つきでこちらを見つめる高杉に、心臓が高鳴る。桂の怪訝そうな瞳も重なり、思わず掌をきつく握った。
「おんしはそれを、どこで知ったんじゃ」
 警察はほぼ自殺で間違いないだろうという見解を示している。それなのに殺されたというからには、何か根拠があるのだろう。
 じっと高杉の目を見つめる。その瞳は暗く、彼の思いを計り知れない。
「高杉、聞かせてくれ。俺も真実を知りたい」
 しばらく片肘を付いたまま黙っていた高杉だが、根負けしたのか大きく息を吐いた。
「言ってもいいが、条件がある」
「なんじゃ」
「葬式の前に、お前言ってただろ。馬鹿は自分だ、みたいなこと。その理由を聞かせろ」
 今度はこちらが黙る番だった。それまでも重かった口が、とうとう開かなくなった。そうさせているのは罪悪感だ。どうあっても消せない罪を告白するのが、辛い。
 それでも口を開いたのは、少しでも罪を軽くするため、というのがふさわしいかもしれない。促されるままに、ぽつり、ぽつりと言葉を吐いた。まるで懺悔でもするように。
「わしもこないだ、銀時にあったぜよ」
 その言葉に桂は目を見開き、高杉は予想していたのか、先を話すよう促した。
「その時に、ちっくと口論になっての。理由は……本当に下らんことじゃき。そん時、わしは言うてもうたんじゃ。おんしなんぞ死ねばええ、ゆうて」
 心の中をぶちまけるようにまくし立て、酒をあおる。あの時は頭に血が上っていた。目の前が真っ赤になって、周りが見えていなかった。
 だが、そんなことは言い訳に過ぎない。
 ただ、まさか本当に死ぬなんて、思ってもいなかったのだ。
「銀時に最後に言うた言葉がこれやなんて、馬鹿言われても何も言えんぜよ」
 三人の間に、ただ沈黙が流れた。
 銀時が自殺だった場合、その一言が背中を押したとも見えるだろう。気まずい沈黙を破ったのは、意外にも桂だった。
「銀時は、その程度では死なんだろう」
 その確信を持った響きに、高杉と共に詰めていた息を吐いた。
「考えてもみろ。俺や高杉、それどころか他のヤツらにも散々死ね死ねと言われてきた男だぞ。今さらそんな言葉一つで死ぬタマか」
「まあ、それもそうだな。それいやァ、俺だって銀時に言った最後の言葉は『死ね』だな」
 寂しそうに笑う高杉に、桂も目を細めた。2人と銀時の付き合いは長い。己よりもよっぽど銀時を知っている。その2人が言うのなら、きっとそうなのだろう。
「ところで高杉。次はお前の番だぞ」
 桂はさらに気を使ってか、高杉へと水を向けた。これがもし殺人ならば、こちらが気に病む必要もない。そんな気遣いも含んでのことだろう。その優しさを面映ゆく思いながら高杉を見ると、眉間に皺を寄せ、しかめ面を浮かべていた。
「葬式の前に、留守電があったっつったろ」
 そういえば、そんなことを言っていた気がする。先を促すようにこくりと頷くと、高杉は腹をくくったのか重い口を開いた。
「その留守電で、銀時が言ってた。先生たちが帰ってくるってな」
 思わず息を呑んだ。銀時が先生と呼ぶのはただひとり。彼の育て親にして、虐待されていた銀時を救った命の恩人、吉田松陽に他ならない。銀時の中で、さらには桂や高杉たちの中でもかけがえのない存在だ。
「あんな嬉しそうにうざってーくれェはしゃいでたあいつが、先生に会う前に死んじまうとは思えねェ」
 高杉は再びビールをあおった。酒が回ってきたのか、ほんのりと顔に朱が指している。
「それは……警察に言った方がいいんじゃないか? このままでは銀時の自殺が偽装されることに――」
 迷わず携帯を手にした桂を制したのは高杉だった。苦虫を噛み潰したような顔で自分たちを見つめ、静かに首を振った。
「なんでアイツが自殺だって言われてるか、知ってるか?」
「いや……」
 高杉は懐から煙草を取り出し、火を点けた。
「あいつの死体が発見された時、てめーでてめーに刺さったナイフを握ってやがった。そうだってェのに、抜こうとした形跡がねェ。それどころか、辺りには抵抗したあとすらねェ。そりゃあ、自殺だって思うわな」
 高杉が煙と共に吐き出す真実に、桂は当惑を見せた。付き合いの長い桂は、銀時の思いを察したのだろう。口元を押さえ、手に握っていた携帯を置いた。
「殺したヤツはいるかもしれねェ。でもアイツは、犯人探しなんて望んじゃいめェ。多分だが、自殺に見せかけたのは、アイツ自身だ」
 ひどく吐き気がする。さほど飲んでいないはずなのに、頭痛がひどい。
 銀時は、自分を殺した相手を庇った。その事実が、どうしようもないほど苦しかった。
「オレも、犯人探し出してぶっ殺してやりてーって思わなかったわけじゃねェ。実際さっきまでは半殺しにしてやるつもりだった。でもな、てめーらの話聞いてたら、気が変わった」
 高杉は短くなった煙草を灰皿に押し付けると、財布を取り出した。
「とりあえず、こんだけあったら足りるだろ。釣りは好きにしろ」
 そう言うと万札を一枚テーブルの上に置くと、高杉は帰り支度を始めた。もうこれ以上話す気はないらしい。
「ちょっと待て! 気が変わった、とはどういう意味だ」
 慌てて桂が高杉のコートを掴んで引き止めると、高杉はこれが最後だと前置きをし、コートの襟を正した。
「知ってるか? アイツが発見されたのは一昨日だが、 死んだのは『5日前』だ」
 高杉がこともなげに言ってのけた事実は、桂たちを驚愕させるには十分だった。
「俺に言えるのはそんだけだ。じゃあな」
 今度は誰も高杉を引き止めることは無かった。桂から表情が消え、自分の顔からも血の気が引いていくのを感じた。
「……変だとは思っていたのだ。だって、アイツは、言っていたじゃないか――」
 その先のことは、よく覚えていない。
 ただひとつ分かることは、高杉の言葉が二人にとって呪いのように侵蝕していくだろうという、事実だけだった。


◆◇◆


 数日が経ったある日、高杉は自らの師を迎えるべく空港へと向かった。
その同じ日に、ひとりの青年がビルから身を投げたことを彼が知るのは、もう少し先になる。


《終》


真相は藪の中

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