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名前の手に力が入る。
その手をあえて、自分の手で上から押しつける。
抵抗するとき、それは大抵の場合それにさらに低抗されることを覚悟して行うものだ。
だからこそ、振り払うのではなくその逆のことをしてやる。
人間は予想外のことをされるのが一番困る生き物である。
名前はとっさに今吉の胸と手の間から手を引き抜こうとしたが、しっかりと握るようにして押し付けられているのだ。
それはかなわない。
そもそも力の差があるのだ。
今吉が本気になれば名前の低抗など通用しない。

「なに怖がっとるん?」

「別に…そんなことないけど」

「自分こっわい顔しとるで」

「いつものことでしょ」

ギッと擬音が聞こえてきそうな目つきに身震いする。
あの頃はこの顔が怒ってるようにしか見えなかったなぁと頭の片隅で思い出す。
照れ隠しにしても不器用過ぎるわ。
たまらない。
自分は決してマゾに分類される人種ではないと思っているが、どうも彼女にはおかしな感覚を覚えることが多い。
嫌がられることが嬉しいとさえ思ってしまう。
それは彼女が心の底から、これから起こること全てを嫌がっているわけではないということがわかっているからこそなのかもしれないが、ぞくぞくとした身震いは男が感じる興奮そのものなのだ。
はて、もしかしたらこの顔を崩していくことが楽しみなのかもしれない。
いったい自分はどちらの人間なのだろう。
名前とであってからは、そこらへんがかき乱されっぱなしな気がする。
サドだろうがマゾだろうが、まぁそんなものは他人が勝手に貼ってくるレッテルだ。
気にすることでもない。

こわい顔、という感想に自ら同意した彼女に、心の中でかわいいもんだな、と声をかける。
思わず顔がゆるんでしまったのだろう。
彼女の顔も不思議そうに、少しゆるんだ。

「キスくらいしてもええやろ?」

今日は質問ばかりしている。
どうも彼女の緊張は、自分にとっての興奮にもなるが同時に緊張にもなって感染するらしい。
強気半分、おびえ半分、どちらも彼女と半分こしているようだ。
もしかしたら自分たちは似ているのかもしれない。

「…いや」

「なんで?別にそれだけやで」

あんたにとって“それだけ”のことでも私には違うのよ。
聞こえない声が聞こえる。

「あんたはさっきうがいしてきたけど、私してないし」

「わしは気にならへん」

そういう問題じゃない。
言いたいことが手に取るようにわかる。
同時に、本当は甘えてしまいたいのであろう、本人いわく「腐った考え」も感じ取れてしまう。
まったく、まったく、じらしてくれる。
たしかにかわいいものだが、「まて」が長い程こちらの限界も近づいてくるのだ。
それだからこそ得た時の喜びも大きいものだが、こいつはこちらの限界があるとき予告無くプツンといってしまったらどうするつもりなのだろうか。

「歯、みがいたんやろ?」

前髪、鼻先が触れるか触れないかの距離になって、やっと彼女は目をそらす。
先ほどからきょろきょろと動揺が映るようになっていたが、ついに、折れた。

「みがいた」

わかっていた答えを聞いて、そっと唇にふれる。
びくりと、肩が震えたのがわかった。
少し離して覗き込むと、みるみるうちに触れているとこの体温があがっていった。
顔に出さない彼女のことだ、いまごろ耳が真っ赤になっていることだろう。

「まだ慣れへんの?」

たかがキスくらいで。

「あんたが、真顔だから」

いつも笑っているくせに。

「目ぇつぶり」

優しく言わないで。
彼女は何度、彼氏の男心をなで上げれば気が済むのだろう。
こっちは駆け出しそうになるのを押さえ込むのに必死だ。

恥ずかしさをこらえきれない顔で、もう一度、右に目をそらしたのを確認して、ゆっくりと唇をあわせる。
今度は肩を震わせなかった。




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