08


 どれくらいそうしていたのか分からない。途中で何度か眠りに落ちた気もしたし、ただ物思いに耽っていただけかもしれない。とにかく、夢か現か判別のつかない曖昧な意識のなかにあたしはいた。
「ちょっと、」
 誰かがそばで声を上げる。隣に立っていたカップルが会話でも始めたのだと思った。膝を包むように回した腕で目元を擦る。
 泣き疲れ、体がだるい。
 幾度となく繰り返したように、また意識を自分の管轄外に追いやろうとした。
「ちょっとあんたってば。帰んないの?」
 今度ははっきりと、その声はあたしの耳まで届いた。
 慌てて顔を上げる。つい先程まで目の前でギターを弾いていた女性が、いまはまっすぐにあたしを見つめていた。驚きでぽかんと口が開く。
 辺りに目をやると、あたしの周りで彼女の歌を聴いていたはずの人々はすっかり姿を消していた。そこにいるのはふたりだけ。あたしと、ギターを抱く彼女。
「そろそろ補導員がうろつく時間だと思うけど」
 あからさまに呆れた表情を浮かべ彼女は続けた。その言葉に自分の携帯電話を取り出す。
 ギョッとした。液晶画面に表示された時刻は午後10時をとっくに回っている。たっぷり3時間はここにいたと言うのか。
 クッキーやチョコレートをモチーフにした華やかな待ち受け画面に被るように、着信1件、メール1件の表示。着信は母からのものだった。
 帰らなきゃ、と体を起こしかけたところで、腫れぼったい自分の目に触れる。陽くんとなにかあるたびに泣きわめくあたしに、母はいつも盛大な溜め息と共に漏らしていた。
「ちょっと揉めたくらいでもう駄目かも、って毎度毎度大騒ぎするくらいなら別れなさいよ。彼との仲はその程度のものなんだって自分で思ってるってことでしょ」
 理路整然とした母の物言いに腹が立ったけれども、あたしはなにも言い返せなかった。
 そんなことないもん、お母さんはもう年だから、いまさら恋に迷うことなんてないから軽く考えられるんでしょ。そうやって心のなかで飛ばした野次は、口をついては出て来なかった。




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