黒のTシャツにカーキのモッズコートを羽織り、黒髪を高い位置でまとめている。20歳前半と思われるそのひとは、中性的な印象のなかなかの美人だった。
彼女の正面にあたる場所に腰を下ろす。個人行動の苦手なあたしがひとりで時間を潰すには限界がある。ちょうど良い居場所だと思ったのだ。
歩き続けた体には寒さが染み付いていて、あたしは手を合わせて息を吐きかけた。抱えた膝はひんやりと冷たい。
彼女の歌声は、カラオケの個室で聴いた友人たちのものとは似ても似つかなかった。
女性にしては若干ハスキーで、それでいてどこか暖かい。唇からこぼれる言葉のひとつひとつに力強さがある。
心地よさに目を閉じて静かに息をつく。長く、細く。彼女の歌声を邪魔しないように。
瞼の裏に貼り付く人物は、いくら泣いても流れ落ちてはくれなかった。喧嘩だってしたし、最後に聞いた声はひどく動揺して震えていた。それでもいま思い出されるのは、優しく微笑む彼の姿だった。
ふたりで観た映画。手を繋いで歩いた帰り道。ハンバーグが好きだと言ったら、おいしいお店に連れて行ってくれた。
高校が離れることを悲しむあたしに言ってくれたじゃない。俺が好きなのはずっとマナミだけだよって。
あなたが好きだと言ったから、ばっさり切ってパーマをかけた髪。可愛いなってキスをして、そっと頭を撫でてくれた優しい手はどこに消えてしまったの。
陽くん。
陽くん、陽くん、陽くん。
ねえ、なんであたしを裏切ったの。
溢れる涙を拭うことすら億劫だった。声は出さず、大粒の滴が頬を濡らすのをじっと受け入れる。水分を含んだスカートは部分的に重くなっている。
『僕は君の幸せを願えるだろうか。
僕が幸せにするからと、その一言さえ伝えられないこの臆病な僕が』
彼女の歌声がどこか遠くに響いた気がした。