06


 あたしは大きく深呼吸した。秋の湿った空気が、肺いっぱいに入ってきた。
「平気。ひとりで歩きたい気分だから」
 今日一番の、まともな笑顔ができた。雪平はポケットに両手をしまって、そっか、と頷いた。
「じゃ、気をつけて帰れ」
「うん。また明日ね」
「おう」
 ひらひらと手を振って歩き出す。しばらく行ったところで振り返ると、雪平はまだそこに立ってあたしの背中を眺めていた。
 もう一度大きく手を振ると、雪平はまるで子供のように、大袈裟に腕ごと振り返してくれた。
 それがおかしくて、声を出してあたしは笑った。気晴らしにと誘ってくれたカラオケよりも、それが一番にあたしの気持ちを和らげてくれた。
 だいぶ歩いたところで期待を込めてもう一度振り向いたが、彼はすでにいなくなっていた。

 高い声でキャイキャイと騒ぐ女子高生たち、俯いたまま黙々と歩を進める仕事帰りのサラリーマンに、イヤホンから流れているであろう曲を口ずさむ大学生。流れるような人々をするするとかわして、なにも考えずただ歩いた。
 自動車のヘッドライトが何度もあたしを追い越しては遠退いていく。
 ハロウィンカラーで彩られるこの通りが、あと半月もすれば赤と緑に埋め尽くされることをあたしは知っている。「家畜と日本人には神がいない」と皮肉った外国人の話を思い出した。
 そんな聖夜のお祭りを、少し前まであたしも楽しむ予定でいた。……陽くんと一緒に。
 ぼんやりとそんなことを考えながら足の裏で地面を擦る。無意識に進んでいても体は帰路を覚えているらしい。気が付けばもう駅前の大通りまで出ていた。
 電車に乗って目的の駅を降りれば家まではすぐだ。どうしようか、まだ帰りたくはない。
 ゆっくりと視線を巡らせてある一点で止まる。いくつかのベンチが並ぶ広場に、ひとりの人間を囲うように小さな人だかりができている。
 なにを思うでもなくふらふらとそこに近寄っていく。そしてすぐに理解した。
 中心に立っていたのは、ギターを弾きながら歌うひとりの女性だった。




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