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「私これからバイトなのよ。好きなだけ寝てて構わないから、部屋を出ていくときはポストに鍵、入れておいて。お粥作ったから、食べられそうならそれ食べて」
 一気に話す彼女にあたしはただコクコクと頷く。目の前にぽんと部屋の鍵を置き、じゃ、と一言残してシオリが立ち上がったものだから、あたしはようやく慌てることができた。
「え、え? ここにいていいの?」
「具合悪いんでしょ?」
「そうだけど、でも……あたしがなにか泥棒したらどうするの?」
 今更な気がするが、あたしたちは昨日会ったばかりの間柄だ。そんな人間をこうも簡単に信用するシオリに不安を覚えた。
 けれどもシオリはあたしの言葉を聞いて、一瞬の間のあと大声で笑い出した。
「盗まれて困るものなんてなにもないわよ」
 きょとんと目を見開くあたしをよそに、シオリは腹を抱えて散々笑い、ひいひいと苦しそうな息を漏らしながら言った。あたしは恥ずかしさと怒りから顔が熱くなっていく。彼女を心配して言ったことでこんな反応をされるなんて心外だった。
 シオリと会って2日目。彼女がこんなにも笑うところを初めて見た気がする。
「あ、でも」
 未だおかしそうに肩を震わせながら、ギターはやめてね、と冗談っぽくシオリは続けた。それから時計に目をやって、すぐに部屋を出ていってしまった。
 彼女の笑い声が消え去ったいま、物が少ないこの部屋は寂しいくらいに静かだった。
 不思議なひとだな。白い天井を眺めながら思う。
 口調がきついところはあるけれど自分に正直で、当たり前のように他人に優しくできる。親に反対されようと自分の夢をまっすぐに追いかける姿は、周りに甘えて生きてきたあたしにとってあまりに新鮮で、眩しかった。
 ギターを抱えて気持ち良さそうに歌うシオリを思い浮かべ、あたしはそっと目を閉じた。

 作ってもらったお粥を食べ、風邪薬を飲んでゆっくり布団で休むと、夕方にはすっかり熱も引いていた。
 お礼をしなくちゃと携帯電話を取り出して気付く。あたし、シオリのアドレスも電話番号も知らないや……。
 仕方なく、自分が使った食器を洗い、テーブルに置き手紙を残すことで妥協した。できる女の子ならここで晩御飯を作って綺麗に並べてから帰るのだろうけど、残念ながらあたしは包丁を握った経験すらロクにない。
 部屋を出て言われた通りに鍵をポストに入れ、あたしの小さな冒険は終わる。ひとりで歩く慣れない道は寂しかった。




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