17


 布団を握りしめ放心するあたしを、ベッドから身を乗り出して彼女が覗き込む。目が合って、あたしは少しだけそちらに視線を動かした。
「……ねえ。あんた、名前はなんていうの」
 脈絡のない質問だった。
 しかしそれ以上に、まだお互いの名前も知らなかった事実がおかしくて、微かに笑う。
「マナミ」
「どんな字で『マナミ』?」
「美しい愛で、愛美」
 知らないところで彼氏に何度も浮気をされていたあたしが、「美しい愛」などと名前に背負うのはあまりに滑稽な気がした。好きでも嫌いでもなかった自分の名前でさえも、いまはチクチクと心を刺す。
 胸に沈む重りを吐き出したくて、細く長い溜め息をこぼした。黒髪を垂らした中性的な顔がこちらを向いていた。
「そっちはなんて名前なの」
「シオリ」
「どんな字?」
「さんずいに夕方の夕、それに里って書いて汐里」
 人差し指を伸ばして宙に字を書きながら彼女が答える。頷きかけたあたしに、でも、とすぐに遮る声が届いた。
「親と縁を切ったときに名前は捨てたの。だからいまはカタカナでシオリ」
 どんな表情を向けるべきか、瞬時には判断できなかった。
 聞こうかどうか少し迷って、それでもあたしが口を開いたのは、髪の毛を伸ばす約束について語ったときよりもずっと軽い調子で彼女が話したからだ。
「音楽を仕事にしようって考えを、認めてもらえなかったから……?」
 すぐには答えは返ってこなかった。なにか考えるように黙り、一度視線をそらしてから彼女は言った。
「それだけじゃないんだけどね」
 失笑を浮かべた彼女の顔は、ベッド脇の灯りが落とされたことであっという間に暗闇に沈んでいった。
 突然の消灯に目が慣れず、すぐ側にいるはずの彼女を見つけ出すことすらできない。
 なんでもないことのように告白した、彼女と両親の間に生まれたなんらかの確執。自分の名前を捨てなくてはならないようななにか。
 それらを考えようにも、陽くんの件ですでにフル稼働していたあたしのオツムは、これ以上働きたくはないとそっぽを向いてしまった。秋の夜空の下に身を晒していた疲れもあり、吸い込まれるようにするするとあたしは眠りに落ちていった。

 




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