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 ふん、と彼女が鼻を鳴らす。口端を片方だけ持ち上げたかと思うと、ギターを下ろしケースに戻し始めた。
 彼女の背中を見つめながら、あたしはたったいま自分が言った言葉に頭を抱えたい気分だった。
 やってしまった。
 売られた喧嘩を買うとはこのことだ。しかも、随分と安売りされたものをぽんぽんと。
 今更やっぱりやめたいなんて言ったら、彼女は今度こそ声を上げて笑うだろう。想像するだけで悔しさが込み上げる光景だが、名前も知らない女にノコノコついて行く頭の悪さに比べたら、何倍もマシというものだ。
 断らなきゃ。胸に手をあて、意を決して振り向いた。
「あのっ……」
「後ろついてきて」
 身仕度を済ませた彼女は、あたしにひとつ目をやると迷いもせず歩き出した。どこか威圧感のある背中につい萎縮する。断るタイミングを失ってしまった。
 なにも言わず逃げ出してしまえば良かったのかもしれない。しかし自分の中の妙な義理堅さが、一言も告げずその場から消え去ることを躊躇させた。
 結局、カーキ色の背中が10メートルほど遠ざかったところで、あたしは彼女を追いかけるように駆け出した。
 彼女が同性であることへの安心感、なんとかなるだろうという楽観的な考えと小さな好奇心。そしてなによりも、彼女はきっと大丈夫だという根拠のない自信が、あたしを動かしていた。

 あたしには6歳離れた姉がいる。しっかり者でいかにも優等生気質といった姉はあたしとは正反対のタイプで、幼い頃からよく比較されていた。
 帰宅時間を尋ねる着信に対して、「今日は友達の家に泊まるから」とだけ書かれたメールでの返事。これが姉ならば外泊を渋られるどころか両親からの怒声が飛びかねないが、あたしの場合すぐに受信した返信はシンプルなものだった。
『迷惑をかけないようにするのよ』
 朝はいつも遅刻ギリギリに校門に滑り込み、忘れ物や授業中の居眠りも多く、長期休みの宿題は必ず溜め込む。そのうえ何度言い聞かせてもあっさりと門限を破るのだ。あたしは典型的な手のかかる末っ子だと思う。
 そうして気が付いたときには、両親のあたしに対する教育方針はすっかり放任主義となっていた。




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