「行く……?それは何処へ?」
「はい。実は、この付近に山宿(やまやど)と呼ばれる集団が暮らしていると聞いています。山宿は人里には下りず、山の中だけで生活していて、俗世を離れたい者達が集まって成り立っているのだとか。僕はこの通り、一文無しですから、その集団に加えてもらおうとこうして山を登ってきたのです」
「それならば少しだけ聞いたことがある」
「本当ですか!?」
「ああ、確かこの山の川を拠点に転々としていると。今の時期は中流辺りにたらの芽が生っているから、そこに留まっているかもしれんな」

俺の言葉に藤は今にも飛び上がりそうな程、喜色を浮かべていた。
そうして、俺に手を差し伸べた。

「行きましょう、貧乏神様」

俺は少しばかり逡巡し、その手を取ることにした。

「俺は確かに貧乏神だが、露草(つゆくさ)という名があるのだ」
「わかりました、露草様」



この山に住み始めて数十年になる俺がいるのだから、山宿に合流するのも容易くは思えた。
だがしかし、川を目指し一里も歩かぬ内に俺の身体は限界を迎えた。
神が現世で存在していられるのには依り代が必要である。
俺は雑木林の祠を依り代に何十年も生きてこられたが、祠から離れた途端に一気に衰弱した。
普通の神ならば少しの間、浮遊したとてこうはならないが、俺の場合一度も人から供物や信仰を受けたことがない為すぐに影響が出たのだ。

「露草様、ここで暫く休みましょう。さあ、お堂の中へ」

倒れた俺を藤は見捨てることなく、慣れない山中、俺を支えながら偶然見つけ出した小さな廃神社に連れ込んだ。
一本の神木と、朽ちた手水舎に、六畳程のお堂しかなく、入り口の鳥居があって漸く神社だとわかる。
お堂の中は埃っぽく、もう何年も開かれていない様子だった。
真ん中には曇った鏡が置かれていた。
恐らくそれがこの社の神体だった物だろう。
俺は鏡を依り代にすることにした。
消えるように鏡に吸い込まれた俺を見て藤は驚愕していたが、こうして神体に宿り休むことで随分楽になることを伝えると、胸を撫で下ろした。

「すまない藤。俺はどうも動き回るだけの体力もないようだ。幸いこの神社を下り、真っ直ぐ進むと川に突き当たるだろう。上流に向かって登っていくと俺が言っていた場所がある」

卑怯にも俺を置いて行けとははっきり言えなかった。
どこかで藤もここに残ると申し出てくれるのではないかと淡い期待を抱いたのだ。
しかし、俺の話を聞いた藤は神社から一目散に下っていった。
俺はその背に、胸が裂くような絶望を覚えた。

生まれてからずっと独りだった。
どこへ行っても何をしても厄介者扱いされ、女からは醜いと悲鳴を上げられ、年に一度の神議にも呼ばれず、只管空虚な日々を送ってきた。
何の為に自分は存在しているのか、何の役に立つというのか。
そんな疑問すらとうに忘れ、考えることすらなくないくらい長い間生きてきた。
俺を排除する神々や人間を恨むことは不思議となかった。
けれどいつも羨望の的ではあった。
友と語らい、愛を育み、家族を持つ。
どれひとつとして俺には果たせぬことばかり。
藤とはほんの一時ではあったが、友とは呼べぬ浅い仲ではあったが、名を呼び笑い合ったことは嘘ではない、事実なのだ。
思えば藤も不遇な身ではあった。
俺自身にそんな力はないが、どうかこの先あの子には幸せになってほしい。
神だと言うのに俺はそう天に祈った。



その祈りはどう届いたのだろう、思ってもみない事態になった。

「露草様?起きてらっしゃいますか?」

明くる日、藤が俺の元に戻ってきたのだ。
それに両手にたくさんの山菜や木の実を抱えて。

「藤……どうしてここに……山宿には迎え入れてもらえなかったのか?」
「露草様を置いて行くことなど。僕が無理矢理あの祠から連れ出したようなもの。露草様のお身体が元気になられるまでお世話させてください」

何と言うことだろうか。
藤は暫し俺の傍にいると告げた。
俺の名を口にし、微笑みかけたのだ。
近くにはきっと山宿がいて、そこに混じれば俺といるよりも暮らし易くなると言うのに。
昨日も山宿を探しに出たのではなく、一晩中食べられる物を採取していたらしい。
元よりみすぼらしい格好が泥に塗れて一層ボロボロになっていた。
その姿を見て俺は、身体の芯がじわっと暖かくなった気がした。


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