the girl. | ナノ


16日  




彼の顔が曇るのを、私は見たくなかった。

朝のチェック、質疑応答をするカンクロウの口が動きを止める。自分でも違和感は感じていた。

「率直に言って」
「……」

私の言葉にカンクロウは深く息を吸い込んで、意を決したように顔を上げた。やっぱり、見たくない。
耳を塞げたらどれだけ良かっただろう。目をそらせたらどれほどマシになっただろう。そんなもの、お構いなしに現実は突きつけられる。


「左腕、もう持たない」


朝の風は嘲笑うかのように爽やかで、無性に心を乱してくる。飛び立つ小鳥の影が、今は疎ましく思えた。

ああ、知っていた。
ずっと違和感はあった。
起きた時、動かないとは思っていたんだ。
でも、気のせいだって言って欲しかった。
そんなこと、なかったけれど。

「そっか…」

としか言いようがなくて、お互いに俯く。こんな空気好きじゃないけれど、どういう反応をすればいいのか私にはわからない。
肩から先、二の腕辺りまで続いた感覚がポツリと途切れている。拳を握りたくても、そのやり方すらわからなくなっていた。傀儡と化した左半身。下半身はいつダメになるのだろう。寝たきりは少し、格好がつかない。それだけはいやだなあ。

他にもダメになってきてる部分があるかもしれないとは思ったが、どうにも怖くなってしまって聞けなかった。以前はきっと受け入れるだろうと思っていたのに、蓋を開けたらこれだ。
私はこんなにも意気地なしだったのか。

「今日はどうする?」
「……」

おもむろにくしを取り出したカンクロウが優しく私の髪を梳き始めた。背中にある温度が愛おしくて私はまぶたを下ろす。「好きにして…」それはほぼ投げやりのような言葉で、カンクロウの手が止まる。今更謝罪の言葉なんて意味がない。覆水盆に返らず、だ。

「泣きたいのは…オレのほうじゃん…」
「……」

背中にその温度がピタリとくっつく。カンクロウのおでこかな、なんて虚空を見上げて、その震えに下唇を噛む。

「オレが、あの"サソリ"のように人傀儡が作れるような凄腕の技師だったら良かったのに…っ。どんだけ頑張っても、オレにはもうナズナの時間を止める術がないじゃんよ!毎日のチェックも、定期的なメンテナンスだって、結局何の意味もなかった!オレは傀儡師なのに、何もできてねえじゃん!!」

これが、カンクロウの本音なのだろう。
八つ当たりだとは思ったが、ずっと貯めてきたものなのだと分かったから、何も言えなかった。

彼に人傀儡は作れない。あれはほぼ犯罪のようなものだ。遺体の遺族に許可を取ろうにも、実験台になんかにするわけにもいかないし、だからと言って一発でできるような簡単なものでもない。もし許可があっても優しい彼のことだ、その体にメスを入れることができないだろう。
それでも、書物を読んだり、動物の死体などを傀儡に変えるなどで思考錯誤しながら技術を手に入れようと躍起になっていたことを私は知っている。上手くは行かなくても、それが私にとっては嬉しかった。私なんかのためにカンクロウが時間を割いてくれること自体、それでもう十分と言ってもいいほど心を満たす。

何を言えばいいのだろう。
どうすれば彼の心を軽くできるだろう。
そんなのきっと、私が生きることしかないだろう。
多分、もう何を言っても綺麗事だ。
事実は覆らない。

だから私は小さな声で「三つ編みがいいな」ということしかできなかった。彼が好きだと言っていた髪型。何だか私も好きになってしまった。
止まっていた彼の手がゆっくり動き出す。背後から聞こえるすすり泣くような声に私は視線を下げる。
右手だけがシーツをギュッと掴み、シワを作っていた。



蝕まれる半身。抗う術を私は持たない。
あと、16日。


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