the girl. | ナノ


20日  




「ナズナ様、こちらを」
「うん。ありがとう」

風影邸での私の主な仕事は雑務だ。一応風影秘書という椅子をもらってはいるがまだまだひよっこ、それに、もうそろそろ部下に仕事を引き継いで、休職届を出さないと。私がいなくなって執務が回らなくなるなんて、笑えない。
私に資料を手渡した部下の男は一礼すると、部屋を出て行く。しばらく一人きりの事務室で資料を片していると、ガチャリとドアノブをひねる音がした。入って来る空気、足音、早さ。

「どうしたの、テマリ」
「……」

資料から目を離さずに声をかけると、足音は止まる。一瞬だけ視線を上げると、そこにはやはりテマリがいた。もう長い付き合いだ、これほどの情報があれば確認しなくたってテマリだとわかるし、当の本人にも驚いた様子は見られない。

「邪魔したか?」
「ううん」
「そうか…」

テマリは珍しく歯切れが悪いようで、何度も口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返す。何か言いたいことがあるのはわかったが、それがどういう内容なのか、さすがに表情だけでは読めない。
きっと片手間で聞くような話ではないだろうと手を止める。こんなもの、テマリより優先順位が高いわけがない。
しばらく無言で彼女を見ていると、やがて決心がついたのか、真剣な表情でこちらを見つめてきた。静かに、まっすぐ。


「結婚、するんだ」


長い静寂を破るその言葉は、あまりにも現実感がなくて目を見開いてしまう。今の私にできる反応はそれだけだけど、これが人間の体だったらきっと涙ぐんでいたことだろう。

「ずっと、言ってた、シカマルさん…?」
「ああ…」

話は聞いていた。付き合ってる男性がいることも知っていた。だからいつかこうなるとはわかっていたのに、いつも"今じゃない"と思い続けてきた。

結婚、とたったそれだけのことが重くのしかかる。未来の話だ。私にはない未来の。

だから多分、テマリは今私に言ったのだろう。

「我愛羅や、カンクロウには…?」
「まだだ」
「もしかして、私が一番乗り?」
「ああ」

そっか。
それだけのことが心に暖かい。
だがテマリはずっと複雑そうな顔をしていた。
彼女が何を思っているのか、わかっている。私は立ち上がって、俯いて下唇を噛みしめる彼女に歩み寄った。

「かお、あげて」
「だが…私は…っ」
「私のためを思うならなおさら、テマリは幸せになって」
「ナズナ…っ」

ああ、私はテマリを泣かせてばかりだ。ふるふる震える彼女の拳をそっと包み込む。「ううっ…」小さく聞こえる唸り声と共に雫が一滴床に落ちていった。

「なんでテマリが泣いてるの」
「だって…っ」
「言い訳なんてテマリらしくないよ」
「ナズナ!!」

我慢できないと言った風に彼女は私を抱きしめた。力強く。なんだか出るはずがない涙が出そうだった。じとりと肌を這う風は、相変わらず湿気を帯びてて気持ちが悪い。関節部分の歯車がぎしりと傷んだ気がする。

「もっと、もっと早く決めておけばよかった…っ。つまらない意地はって、先延ばしになんてしなければよかった…!!」
「テマリ……」
「結婚式に、ナズナを呼びたかったんだ…!」
「うん…」
「お前がいて欲しかった!!」
「うん…」
「おめでとうって言って欲しかった!!」
「うん……」
「お前に見て欲しいんだ…!!私が決めた未来を、今までを共に歩んできたお前に、見て欲しい…っ。この人と、幸せになるって、見て欲しかった……っ。みてほし……っそれ、だけ、なのに……っ」

最後の方、尻すぼみになった言葉は何を言ったかわからなかった。


「どうして、それだけが、叶わないの……っ」


泣き崩れるテマリの背中を撫でる。優しく、優しく。
彼女の結婚式を想像しては歯車が軋んだ。これがきっと痛いってことなんだと思う。私だって、見たかった。そこにいたかった。誰よりもおめでとうって言いたかった。シカマルさんにだって言いたいことがあるんだ。私のテマリを取った文句と、泣かせたら許さないって。そしたらきっとカンクロウあたりが「お前、何様じゃん…」と突っ込んでくれるから、適当に笑って。…言いたかった。言いたかったなぁ…。
それでね、私の結婚式にテマリとシカマルさんを呼んで…。なんて、夢物語もやめにしないと。


あと20日。
今更、死にたくないなんて遅いんだ。


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