「はぁ…はぁ…」
しまった。
もう少し今朝のカンクロウの忠告を聞いておけばよかった。
もう時間がないことぐらい私が一番わかってるのに、どうして無茶なんてしてしまったのだろう。
徐々に感覚が消え失せる左足を引きずりながら、私は回廊を壁伝いに歩いていた。夕方のこの時間、人気が少ないことだけが救いだ。誰も来ないでと無様に願いながら、ひたすら自室を目指す。気が遠くなるような心持ちだ。きっと左腕の時は運が良かったんだ。寝てる間に侵攻して、本当はこんなに恐ろしいことだったのに。
これで足が動かなくなったら、ついに暇つぶしの散歩もできなくなってしまうのか。ああ、寂しいな なんて考えるのはただの現実逃避。
「あ…!」
がくんと傾く体。がしゃんと、もはや人間から鳴る音ではない無機質なそれが辺りに響く。やけに床が近くなって、言葉がない。倒れ込んでしまった体を右手一本で起き上がらせて、気味が悪いほど重い左半身を呆然と見つめる。
情けなくて、惨めだ。
どうして、こんなに醜く生きているのだろう。
醜く、生きなくちゃならないのだろう。
「くっ…」
右半身でなんとか体を引きずって、回廊を脇道にそれる。暗くて細い路地のようなそこは、倉庫に続く道だった。倉庫に入ってしまえば誰も気づかないのでは、見られないのでは、と思う私と、誰でもいいから助けてほしい私がせめぎ合う。だから、私はわざと人に見つかってもおかしくないところで動きを止める。
「…………」
暗闇に身を潜めて、背中を壁に預けて虚空を見上げた。風影邸の白い壁が夕日に照らされてオレンジ色に染まっている。明暗のコントラストがやけにはっきりしてるな、と思考を彼方に投げさって、愚かな行為に自嘲が漏れる。今更、何もかも遅すぎるんだ。
「いっそ、自壊しようかな…」
ポツリと呟いた言葉はどこにも行かず、夕影に飲まれる。そんなことをする度胸なんてないくせに、言うだけタダとはよく言ったものだ。口先だけならばどれだけでも偽れる。
「…ナズナ………?」
さてこのガラクタと化した体をどうしようかと考えている時、ふと名前を呼ばれて動きが止まる。
それは、今一番会いたくない人の声だった。
「我愛羅…?」
回廊からこっちを見つめる彼の目が不気味に瞬く。夕日をバックに、それはまるで絵のように現実感がなかった。どうしようどうしようと、意識だけが空回り。彼に伝えるべき言葉がなんなのか、今の私には見当もつかない。
「いったい、どうしたんだ」
彼がこちらに歩み寄ってくる。来ないでなんて言ったら、バレてしまうのだろうな。
「ううん、ちょっと…。足が痛くて」
「怪我でもしたか…?医者は…」
真実に虚偽を混ぜて伝える。彼は目を見開いて私の左足に手を伸ばした。しかし触れる前にピクリと跳ねて、するすると引いて行く。
「………カンクロウは呼んだか?」
「ううん…」
「そうか…」
彼の言葉に胸が苦しくなる。「医者」と言ったのは、本当に私を人として捉えていたからだと、都合よく解釈してもいいだろうか。
「とりあえず部屋まで運ぶ。それからカンクロウを呼ぼう。ここでは人目につく」
「うん…」
我愛羅は「さあ」と私に手のひらを差し出してきた。右手を伸ばしてそれにつかまると、彼はそれを首回りに近づける。そしてそこに手を回すように促した。左手もと急かす彼に首を振って見せると、「そうか」と静かに呟かれ、今にも心が溢れそうになる。そんな顔、やっぱり見たくない。
「悪いな、抱えるぞ」
「うん…」
そして私の背中と膝の裏に腕を差し入れた我愛羅は、私を横抱きにして立ち上がる。余りにも軽々しく上がるものだから素直に驚いたが、自分の半身がほぼ空っぽだったことを思い出して口を噤む。
左半身が動かないため上手く彼に身をまかせることができなくて悔しくなる。もっともっと綺麗な時に、抱えてもらっておけば良かったかな。そんな度胸ないくせに。
見上げると何を考えているのかわからない彼の横顔を眺めることになる。翡翠色の瞳が夕日を映し出して、まるで水晶のように光が泳ぐ。こぼれ落ちた光が、一滴でもいいから私の肌を伝えばいいのに。そんな夢物語、愚か者は私一人で十分だ。
「いつからだ…?」
「え…?」
「腕も、足も」
「……わかんない。違和感を感じたのはさっきだけど、メンテナンス不足だったかも」
−−もう時間がないの…っ。
もうすぐで私は動かなくなるの!
死にたくない…!
消えたくない…!
もっとそばにいたい…!!
…あなたがすき。
すきなのっ。
だからもっと私を見て!そばにいて!すきなの!それだけなの…!
醜く暴れ出す心に蓋をする。
やっぱりあなたの前では、ただ一人の少女でいさせて。
あと13日。
またあなたをすきになった。
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