空高編


第3章 神子と双子と襲撃



もうすぐ、陽が沈む。
夕陽が窓から注がれ、白い病院内を温かな橙色に包んでいる。
病室にいる患者の様子を見回りながら、諷炬は慣れた手つきでカルテに文字を刻んでいた。

「やぁ諷炬、自害をしようとしていた病人を止めてくださったみたいで…ありがとうございます。」
「瑠淫サン…」

コツコツと靴音がする方を振り向けば、諷炬にとって見慣れた青紫色の髪をした青年がそこに居た。
穏やかな笑みを浮かべながら諷炬の肩にぽんぽんと軽く手を置く。
諷炬の方が年上なのだが、上司である彼からの感謝の言葉に頬を緩ませない者はいないだろう。

「ま、それがオレの仕事でもあるしな。他の奴等じゃ、もうちょっと物騒になるだろ?」
「そうですね。貴方の能力も扱いが難しいですが…貴方はとても器用ですので、感謝していますよ、本当に。」
「今日はやけに褒めるな。なんか気持ち悪いぞ。」
「おや、いつものことじゃないですか。美男子くん。」

白々しく笑みを浮かべる上司の笑顔から視線を逸らせば、一つの病室。
扉は開かれていて、その奥には橙色の夕陽をじっと眺める一人の少年の姿があった。
愁いを帯びた昼間の青空のような色をした髪と瞳は、夕日の色を帯びて暖かい輝きを放っている。
その少年の視線の先には夕日と、そして隣のベッドで眠っている一人の少年の姿があった。
先程自害をしようとした、特殊部隊の少年だ。
現在は麻酔によって眠っているが、既に傷口は開いてしまった後で、手当の痕が痛々しく残っている。

「…カルテ、見たか?」
「ええ。どちらもまだ十八歳。…まだ、子供です。」
「そうだな。もう大人だって言う奴等もいるだろうけど、オレからすりゃ、奴等はまだ子供だ。…特に翼は、難儀なもんだ。あの年までまともに外を見たことがなくて、外へ出れば命を狙われて。」
「…珍しいですね。」
「何がだよ。」

瑠淫は本当に意外そうに目を丸めている。
分厚い眼鏡の向こう側でも、その瞳の様子はしっかり見ることが出来た。
諷炬が思わず眉を寄せていると、すみませんと言いながら瑠淫は優しく微笑んだ。

「人の感情に無頓着な貴方が、人のことを案じるようになるなんて…少し、意外で。」
「るっせ。」

諷炬は小さく呟いて、そっぽを向く。
耳が赤く見えるのは、恐らく夕日のせいだけではないのだろう。

「…でも、気にかけてあげたいのは、事実、ですね。」

翼はこちらに気付くことなく、陽が落ちるまで、ずっと夕日を眺め続けていた。


第33晶 羨望と嫉妬と疑問


日が沈み、気が付けば夜になっていた。
穏やかに眠る都木宮アエルの寝顔を、翼はじっと見つめている。
今は麻酔が効いているようで、あんなに荒々しく暴れていたのが嘘のように大人しい。
翼は、目線を彼の顔から自分の右手へと移し、ぐるぐるに巻かれた白い包帯を見つめた。
彼の自害を止めようとして握った刀。あの刀が恐ろしいほどに震えていたのは、お互いが力を入れていたから…というだけではないだろう。
きっと、彼だって望んで自害をしようとした訳ではない。
そうせざるを得ないから、その道を選ぼうとしただけで。

(止めて、よかった…んだよ、な。)

諷炬だって、終義だって、止めようとしていたのだから、自分の選択はきっと正しいのだろう。
それでも死なせたくないというのは自分のエゴでしかないのではないか、と思えてしまって仕方ない。
人生の殆どを屋敷で過ごした自分には、一般常識というものが欠如しているし、世間一般でいえば、安全なところで勉学をし鍛錬をし飲食をし、平和で仕方ない人生を送っていたことだろう。

―――――任務に失敗し、見捨てられた私には、もう…

嘆くように呟いた彼の言葉が胸を貫く。
自分が生きているせいで、彼は棄てられた。そもそも自分が外に出なければ、彼は今でも自分の居場所を失わずに済んだのだろうか、と思ってしまう。

「……起きていますか?」
「ひあっ?!」

小さな声に、翼は思わず叫び声をあげる。

「…大きな声で叫ばないで。聞こえちゃいますよ。それに、傷にも響きます。」
「え、あ…あ…」
「アエル。都木宮アエル、です。…好きに呼んでください。空高翼。」
「…起こしてしまったか、アエル殿。」

その声はアエルのものだった。
ゆっくりと灰色の瞳を開けてこちらをじっと見つめている。
目力は先程と比べれば弱々しいものであったが、その分、先程はなかった落ち着きの色がそこにはあった。

「先程は、取り乱してしまって申し訳ありませんでした。」
「…いや、俺の方こそ、…すまない。」
「…何故、貴方は謝るのです?」
「何故だろうな。お前が死ぬのを止めたかったのは事実だ。でも、お前の居場所を奪ったのが、俺であるのもきっと、事実だから。」

アエルの目を直接見ることが出来なくて、逃げるように窓の外を見つめる。
窓の向こうは真っ黒に塗りつぶされていて、白い星だけがちかちかと光り輝いていた。この位置からでは月は見えないらしい。
耳に、アエルの微かな笑い声が届いた。

「そんなことを考えていたのですか、貴方は。腹に風穴を開けられ、殺されかけたというのに、お人好しですね。」
「そ、れは…関係ないだろ。」
「自分の心配よりも、他人の心配ですか。莫迦にするな…と、言いたいところですが、貴方は本気で他人を心配しているようですね。」

灰色の瞳と目が合う。
どのような答えを投げかければ良いのかわからない翼は、自分の言葉に嘘偽りはないのだと、真っ直ぐ見つめることで語り掛けるのが精一杯だった。
しばしの沈黙が、耳に痛い。
風の音も草木の音も虫の音も聞こえず、まるでこの病室だけが空間から隔離されているような、永遠ともいえる長い時間。
そんな沈黙の宇宙から現実に引き戻したのは、アエルの声だった。

「私は貴方が羨ましい。食べ物にも困らず、歴史や武術、ありとあらゆるものを学ぶ機会もある。周囲からは神の子と崇められ、貴方を狙う者がいたとしても、きっと護衛が貴方を守ってくれる。そんな楽で居心地の良さそうな空間、誰もが羨む箱庭から、貴方は何故、飛び出したのです?」

アエルの疑問は、きっと誰もが思ったことだろう。
最初に自分を招き入れた雷希たちだって、何も聞かずに接してくれているが、きっと疑問に思っている。
羅繻にしても死燐にしても、無焚にしてもそうだろう。
この外で暮らす人々は、アエルような政府の部隊と戦って殺し合って過ごしている人々にとっては、翼の暮らしていた屋敷の世界はまるで楽園だ。
飢えることも敵に怯えることもない、そんな楽園のような世界。
そのように、見えるのだろう。

「本当に、そう思うか?」

翼の問いかけに、次はアエルが黙る番だった。
翼にとっては率直な疑問を投げかけただけなのだが、アエルのその表情は少し強張っていた。
きっとさぞ、おかしな顔をしていたに違いない。

「…確かに、そうだ。俺はきっと、恵まれている。この世の誰よりも。…でもな、俺がもし屋敷を飛び出していなければ、俺はずっと、あの屋敷の中にいたまま人生を終えていたと思う。…それ所か、しばらくすれば俺はお役御免だったろうさ。」
「それは、どういう…?」
「そのままの意味だよ、アエル殿。貴方が俺を羨ましいなら…逆に俺は、貴方たちが羨ましい。どんなに辛い境遇にいたかはわからない。けれど、自分たちの力で立ち、歩き、道を選ぶことが出来た貴方たちが、俺は羨ましい。結局、人間は自分にないものを欲しがってしまうものなのだな。」

ハハ、と翼は乾いたように笑う。
やはりアエルの表情は、少し強張ったままだ。
緊張を和らげようと笑ってみせたかったのに、自分の顔は一体どんな状態なのだろうか。

「…俺の顔は、変か?」
「いえ、綺麗な方だと思います。まるで女性のようだ。」
「……それを聞いているのではないのだが。まぁ、いいか。」

翼はふう、と息をついてから顔を上げる。
昼間は白く、夕方は橙色に染まっていた天井が、今は黒い。まるで夜空のようだ。

「外に出た理由を、聞きたいんだったな。…少し、昔話をしようか。」

とはいっても、そこまで昔でもないのだけれど。
そう言って、翼は穏やかに微笑んだ。

 


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