秋が終わり、冬が来る。


本編



太鼓の音色、笛の音。客寄せをする屋台の店主と、それに群がる人々の笑い声。
前を見ても後ろを見ても、横を見ても、人。人。人。
埋め尽くさんばかりの人の数に、息が詰まりそうになりながら、椿は目の前の男の手を握り締めて、人々の荒波に飲み込まれそうになるのをなんとか堪える。
ちらりと屋台の一つを見れば、林檎飴を受け取って、嬉しそうに表情を綻ばせる浴衣姿の少女がいる。

「椿さんも、林檎飴、食べたいですか?」

問われ、椿は否、と呟いて、口籠る。
興味がない訳ではない。が、いい年をした男が林檎飴というのも、少し絵にならないのではないだろうか。
沈黙していると、紫苑は微笑んで、ぐいと、椿の身体を引っ張った。

「食べましょうよ。今日は、せっかくのお祭りです。」

そう。
今日は祭り。屋台が並び、人々が賑わい、踊り、食べて飲んで、騒ぎ、最後には花火が打ちあがる、典型的なお祭り。
そして。

「それに、今日が、最後なんですから。」
「……紫苑」
「思い出、作りましょうよ。」

今日は、8月31日。
紫苑と約束をした、恋人期間の最終日であった。


第5話 葉月:打ち上げ花火の音と共に


紫苑は林檎飴を買って椿に手渡し、椿はチョコバナナを買って紫苑に手渡した。
互いに互いが買ってくれた食べ物を口に運び、手をつなぎ、カランコロンと、慣れぬ下駄で屋台を見物しながら歩いていく。
浴衣を着るのは何年ぶりだろうか。もう、十年以上は着ていないという自覚はある。
同じく、浴衣なんて久方振りだと語る紫苑のそれは、黒い生地をベースに、白い菊の模様がよく映えていて。
背丈の高い彼に、浴衣姿はとてもよく似合っていた。

「屋台で買う食べ物って、ちょっと高くて、サイズも決して大きくないのに、でも、美味しいですよね。」
「そうだな。」

こんなもの、確かに祭りの日でもなければ買う気にならないだろう。
林檎飴やチョコバナナよりも安くて美味しい食べ物は、コンビニにいくらでもあるというのに。
それでも買って食べてしまうのは、海の家でラーメンを食べるのと同じような心理を彷彿とさせる。

「あ、椿さん!花火!」

紫苑が指差した先を見ると、一筋の光が天へ天へと伸びていく。
パン、という銃声を彷彿とさせるような乾いた音と共に開かれたそれは、火薬で作られた美しい花であった。
天で大きく花開いたそれは、パラパラパラと音を立てて、小さな一粒一粒の光となって空を舞う。
それは炎の塊でしかないと、開いた花の残りかすなのだと、頭ではわかっているというのに、それは夜に輝く小さな星々のように見えた。
黄金に輝く光の粒がゆっくりと消えていけば、また、パンという音と共に、光が舞う。
大々的な花火大会ではないから、花火は決して大きくもなければ打ちあがる数も多くはないけれど、こうして、画面越しではなく、直接眺める花火というものは久々であった。

「……紫苑。」

椿が呟く。

「お前とこうして会うことがなければ、俺はきっと、この光景を直接観に行くことはしなかっただろう。」

わざわざ慣れない浴衣を着て。
小学生が握りしめるような小さな小銭を握り締めて屋台で食べ物を買って貪って。
太鼓の音を聞きながら、踊る人々を眺めながら。
天に広がる花火を見る。
もし、紫苑と会わなければ、今日という日は花火を眺めることもなく、家で缶ビールを飲みながら本を読む、寂しい休日を過ごすことになっていたに違いない。

「お前が何故俺だったのかわからない。」

もっと美しい女と並んで歩けばいいというのに、紫苑はこうして、自分という、浴衣が似合っているのかもわからない中年男と並んで歩いている。
罰ゲームだったのかもしれない。
それ以外に、何か理由があったのかもしれない。
けれど、この男は自分が好きだと叫び、いつもいつも、出会う度に、青春真っ盛りな中学生のように顔を赤らめて、嬉しそうに笑っていて。
その顔を見るのは、悪くないと、そう思っている自分もいて。

「今日という日が最後になると思うと、寂しく思う自分もいる。」

我ながら血迷った言葉だ。
そう思いながら、自嘲気味に笑って、紫苑を見る。
その時紫苑は、金色の瞳を丸くして、驚いたような、嬉しそうな、でも、今にも泣き出してしまいそうな、そんな顔をしていて。

「椿さん。」

紫苑は右手を椿の手に重ねて、左手は頬に重ねて。

「俺も、俺も、嬉しかったです。貴方と付き合うことができて。貴方と恋人として、この数か月過ごすことが出来て、本当に、嬉しかったです。」

だったら何故。
何故今日で最後なのかと、そこまで、椿は聞くことはない。
聞いてはいけないような気がした。
それに何より、この日を期限とすることには、きっと、何か理由があるような、そんな気が、したのだ。

「椿さん。ごめんなさい。今日だけ……今日だけ、約束、破って、いいですか。」

その言葉が何を意味するのか、わからない程椿も子どもではない。
目を細めて微笑んで、仕方ないな、と、呟いて。

「今日だけだ。今日までだから。」
「はい。」

視界が暗くなる。
目の前に近付いて来た彼の顔が、椿の視界を奪って。そして、それが何を意味するのか理解していた椿はそれと同時に瞳を閉じた。
パン、と、花火の音が大きく響く。
きっと最後の一発だったのだろう。
花火が打ちあがり、そして、消えていく、その本当にごくわずかな時間の間重なっていた唇は、少し名残惜しそうに離れていく。
それは、最初で最後の、約束違反だった。

「椿さん。俺、嬉しくて死にそうです。」
「馬鹿者。お前の人生はまだまだ長いんだ。そう簡単に死んでどうする。」
「はは、そうですね。……そうなんですよね。」

紫苑は笑って、手を差し出す。
その手を握れば、二人は身体をくるりと翻して、花火が打ちあがっていた方向と逆方向へ向いて歩き出した。
他の通行人たちも、椿と同じように歩いていく。
打ち上げ花火はもう終わり。
夏祭りが終わったのだ。
皆、各々の帰るべき場所へと帰っていく。

「椿さん。送らせてください。」
「帰り、遅くなるだろう。」
「わかってます。でも、送らせてください。今日が、最後ですから。」

夏祭りが終わる。
夏休みが終わる。
夏が、八月が、終わる。

「……そうだな。」

二人の奇妙な恋人関係も、こうして、静かに、そして、呆気なく、終わりを迎えたのだった。

 


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