秋が終わり、冬が来る。


本編



パタパタパタ。
トトトトトト。
ザザザザザザ。
ざあざあと降り続く、というだけでは味気ないほど、耳を澄ませが様々な音を響かせている雨音を聞きながら、椿はやれやれと息を吐いた。
梅雨入りしたこの季節は、外出するのにあまりにも不適切といっても良い。
流行りものの映画を見る案もあった。
無難にカフェで珈琲を啜る案もあった。
流石にゲームセンターで遊ぶほどの体力と勇気は、自分にはなかったし、カラオケも満場一致で否決となった。
その結果と言っても良いのだけれど、果たして、この結果は正解だったのだろうかと、頭を抱えて考えるが、当日となってしまった以上、もう成すがままになるべきなのだろう。

「……お邪魔します。」
「……嗚呼。入れ。」

今日、山茶花椿は、菊紫苑を自宅へと招き入れた。


第3話 水無月:梅雨入り、外出困難につき。


「山茶花さんの家って、うちの大学に近かったんですね。」
「自宅は職場に近いのが一番良い。その分、ゆっくり眠ることが出来るからな。」
「でも、プライベートの時に生徒と会うのってヤじゃないんですか?」
「それは問題ない。見られて恥ずかしい生活を送っている訳でもなし、それに生徒が覚えていたとしても、私は生徒を覚えていない。」
「……それ、生徒の前で言ったら嘆きますよ。」

あはは、と紫苑は軽く笑いながら、スーパーで買って来たのであろうビニール袋をテーブルの上に置く。
その表面は雨水の雫が濡らしていたが、中のものに影響はほとんどないといってもよかった。
椿が手を差し出すと、紫苑は財布から白い紙切れを手渡す。中に刻み込まれた金額を電卓でうち、その丁度半額を財布から出すと紫苑へ手渡した。
一単位まできっちり半分。
その几帳面さに、紫苑は思わず苦笑いを浮かべる。

「わざわざ一単位まで払わなくていいのに……」
「本来であれば全額出してやりたいところだ。正直百単位も面倒だから、切り上げて千単位で出してやってもいいぐらいだぞ。」
「うへぇ、それは勘弁してください。」
「各々の妥協点を見つけた故の結果だ。甘んじて受け取れ。ただし、半分に割り切れなかった時の端数は年上である俺が負担させてもらうからな。」
「そういうの、気にしなくていいのに。」
「俺が気にする。」

ガサガサとビニール袋の中に入っている食材を手に取って冷蔵庫へ入れていく紫苑を横目に、椿は珈琲を淹れる準備をする。
ビニール袋の隣には、これまた雨水で濡れた青色の布袋が一つ。素材からして、表面が雫で濡れているものの、中身に影響はないことが伺えた。
珈琲の準備を待ちながら、ぺたぺたと素足でフローリングの床を歩き、青い布袋の中身を見る。
中にはつい最近まで映画館でやっていた、そこそこ名のあるはやりものの映画が収録されたディスクが一つ入っていた。
中身はファンタジー要素の入った外国の映画だ。恋愛要素やホラー要素や血みどろ描写など、人を選びそうな内容ではない。
友情、努力、勝利。そんな典型的なものが並べたてられたような、しかしタイトルやあらすじを見るだけで、心が躍る自分がいることを自覚させられる、よくあるようで、中々ない、そんな映画だ。

「あ、ポテチありますよ。椿さんコンソメ味好きです?」
「味には拘らん。しかし、珈琲とポテトチップスは合うのか?」
「んー、どうでしょう。美味しいんじゃないですかね?」

ガサガサとポテトチップスが入った袋を振りながら、紫苑が笑う。
その笑顔は、無邪気な子どもそのもので、こちらも思わず笑ってしまった。

「でも、椿さんの家広いですね。テレビもおっきいし、映画見るのすごく楽しそう。」
「そうか?」
「はい。やっぱ画面はおっきいにこしたことないですって!いいですよね、大画面で映画!」
「……それなら、映画館でも良かった気がしなくもないが。」
「それじゃあ駄目ですー!」

確かに、自分で言っていて、それでは駄目だったんだよな、と思い返す。
映画館は候補に在った。
流行りものの映画も、興味がない訳ではなかった。
しかし、映画館は二時間近く沈黙が続くものであり、月に数回しか会えない間柄では、紫苑にとってその二時間の沈黙すら勿体ないと感じたのだろう。映画館ではなく、別の形で会いたいと言って来たのだ。
確かに彼の主張はわからなくもない。
しかし此処最近は生憎の雨だ。
遠出をするにも中々億劫となるこの季節、長時間気軽に滞在できて会話もできる場所ということで、椿の自宅へと行きついたのだ。
菓子や珈琲を飲み食いしながらレンタル映画を観て、後は先程紫苑が買って来た食材を元に料理でも作って食べるという、そんな、在り来たりな自宅デートというやつだ。
本来であれば自宅に招くなんて、「手を繋ぐ以外はしない」という約束をした間柄であればするべきでない選択なのかもしれないけれど、椿にとって、紫苑は自宅に招いても問題はない信用に足る人物であるとみて、家に招いたのだ。
レンタル映画の内容も一任したが、案の定、友情努力勝利の誰もが好む映画を選んで来たのだから、紫苑らしいと、彼にわからないよう笑う自分がいた。

「じゃあ椿さん、つけますよー!」
「嗚呼。……というか、付け方わかるのか?」
「あ」
「……貸せ。やってやるから。」

笑いながらテレビの前に座っている紫苑と選手交代をして、ディスクをはめ込みながら映画を観る準備を進める。
スピーカーから映画独特の、BGMと効果音だけは大きいオープニングが始まり、突然の大音量に思わずどきりと心臓と跳ねた。
身体がびくんと震えたのがバレたのだろう。後ろから、笑う紫苑の声が聞こえる。

「お前なあ。笑うやつがあるか。」
「はは。ごめんなさい。ほら、椿さん。」

彼はそう言って、ぽんぽんと彼が座っているソファの隣を軽く手でたたく。
此処は椿の自宅なのだが、まるで我が家のようにリラックスしている紫苑に対し、苦笑をしながらも紫苑の隣へぼす、と音を立てながら座った。
身体がソファに埋まる。
テーブルの上に広げられたポテトチップスを一枚摘まんで口に入れながら、映像が流れているテレビを眺める。

「俺、前友達とこれ観たんですけど、面白かったんですよね。」
「俺は映画館に行く相手もいないから観なかったが……よかったのか?既に観た映画で。」
「いいんですよ。既に観たやつの方が自身もってお勧めできますし、それに、椿さんと観る映画はもっと特別ですから!」

この男はいつもそうやって、花のように晴れやかな笑顔を浮かべるのだ。
外は相変わらず大雨だというのに、本当、太陽のような男だ。そう思い、耳が少し熱いのを自覚しながら、視線をテレビへと移す。
彼と話していると、とにかく落ち着かない。落ち着かないのだ。
なんとなくそわそわするし、自分と一緒にいることでこんなにも喜んでくれる人間というものが稀有であったから慣れないというのが大部分を示すけれど、笑顔が、声が、仕草が、全てが全て、自分のことを好きだと、その全身をもって伝えてきているような気がして。
言葉を交わすたび、顔を見合わせるたび、好きだと、好きで好きでたまらないと、そう言っているような気がして。
とにかく、恥ずかしくなる。
故に、いつまでも映画が終わるなと思ってしまう自分と、映画の合間合間に、目を輝かせながら話している彼を見て、嗚呼、もう少し話したいなと、思ってしまう自分がいるのだ。

「……うまいな。」
「本当ですか?」

映画が終わった頃、時刻は既に夕刻を示していて、しかし外は相変わらず雨模様のため、外がどんよりと暗いのは変わりないままであった。
料理が得意だと言う彼の言葉に甘えて、椿はささやかな手伝い程度しか出来なかったのだが、食卓に並ぶ料理の数々は十分、美味と語るに相応しいもので。

「……ハンバーグは、こんなにも美味いものだったんだな。」

幼い頃よく食べたハンバーグ。
今も時折食べるけれど、誰かに作ってもらったハンバーグを、誰かと食べるなんて、久々だった。
母の作ったハンバーグはもう何年も食べていない。
もしかしたら二十年近く食べていないかもしれないし、今後、二度と食べることもない。
故に、その時の味は覚えていないけれど、それに等しい、否、寧ろ上回るぐらいのものを食べているのだと、胃が、歓喜に震えているのを感じた。

「大袈裟ですよ。」

そう言って、紫苑は微笑む。
確かに彼の言う通り、ハンバーグ一つで此処まで騒ぐのは大袈裟かもしれない。しかし、それでも。

「いや、美味い。本当に、美味い。」

そう言って、箸をただただひたすらに進めている自分がいた。
我ながら子どものようだと思うけれど、積極的に箸を動かす自分をみて、紫苑は嬉しそうに、幸せそうに、微笑んだのだ。

「たまには、こうして自宅でお前の飯を食うのも悪くないな。」
「本当ですか?」
「嗚呼。毎回だと負担をかけるだろうが、たまになら……いいだろうか?」
「勿論です。あ、寧ろ、お弁当作りましょうか?」
「いや、そこまでは……」
「いいですよ。もし、嫌でなければいつでも作りますから!」
「……材料費ぐらいは払う。」
「気にしなくていいのに。」

そう言って、笑う紫苑に対して、椿もまた、小さく笑った。
その時、確かに、心から笑っている自分がいて。
この、期間限定の間柄が、あと二か月と少しで終わるということを、その間だけは忘れていたのだ。

 


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