秋が終わり、冬が来る。


本編



本日も晴天なり。
桜が舞い散り、桃色で彩られていた木々は、生命力を感じさせる若葉色へと姿を変えていた。
桃色の雨が降りそそがなくなった寂しさを感じる暇もなく、慌ただしく日々が過ぎていく。

「早いな。お前。」
「はい!椿さんに会えるのが楽しみで!」

夏に片足を踏み込み始めるこの季節。日差しは照りつき、少し走ると汗が頬を伝う。
長袖では少し暑く、半袖では夕方になると肌寒い。そんな衣服の組み合わせに困るこの季節、椿は七分袖のシャツを一枚。
よく言えばシンプル。悪く言えば地味。
それが椿の衣服スタイルであった。それに反して紫苑は、白いシャツの上に黒いベストを羽織り、首には銀色の派手すぎず地味過ぎず、シンプルなデザインの施されたネックレスを下げている。
今時な若者の服装なのだろう。今時男性でもオシャレをするものなのだと思うと、若い男子は大変である。

「なんといっても、今日は椿さんとのデートですから!」

今時の若者が、ファッションというものをどぶに投げ捨てたような男とこれからデートをするのだから、世の男と仲良くなるために美を磨く女性たちにとっては阿鼻叫喚ものだろう。


第二話 皐月:二人の約束


この期間限定の恋人には約束があった。
一つ。交際期間は八月末日まで。
一つ。必ず互いに名前を呼び合う。苗字で呼び合うのは、他人のようなので厳禁。
一つ。毎週、土曜日又は日曜日はデートの日を設けること。ただし、土日両方となれば、疲れを癒す暇もないため、どちらかのみとする。
一つ。人気があり過ぎる又はなさ過ぎる等、人目を気にしなくて済む場所では極力手をつなぐこと。ただし、逆を言えば手を繋ぐまでにとどめ、それ以上のことは厳禁とする。
一つ。終電は守る。
今思い付くだけでもこれぐらいだろう。
少し誤解をしないでほしいが、この約束事の殆どは紫苑の提案であり、椿から提案したことと言えば、終電を守ることぐらいだ。
それを告げたところ、紫苑は困ったように笑いながら、終電まであちこち連れまわす気はありませんよ、と言っていたので、この約束事は最早約束と呼ぶまでもないのかもしれない。
恋人になりたいと言っただけあり週に一回のデートや手を繋ぎたいという願いは慎ましやかだ。それを受け入れるのも男同士であるという点を踏まえれば簡単ではないが、こちらが頷いてしまった手前、断る訳にもいかない。
寧ろ週に一回のみしたりとか、連絡の頻度もそこまで頻繁でなかったりとか、そういう点を考えれば、極力こちらの都合を尊重したいという思いが見受けられる。
大事にしたいという思いが、ひしひしと伝わって来るのだ。

「今日はどこに行くんだ。」
「今展示されている美術館の絵が見たくて。きっと、椿さんも気に入りますよ。一緒に行ってくれますか?」

行ってくれますかも何も、行くからこそ出向いたのだ。
椿が頷くと、紫苑はほっとしたようによかった、と、小さく呟いた。
では行きましょう。彼の言葉に従って、椿は紫苑の後ろをついて歩く。
まだ五月だというのに今日は日差しがじりじりと照りつくように強く、紫外線に参ってしまうと嘆く同僚女性の顔を思い出した。
しかし風はまだ涼しい。太陽の熱で頬に汗が伝っても、冷たい風がそれを拭う。もう数週間もすればじめじめとした鬱陶しい季節になってしまうのだろうが、それまでの短いこの期間は、家で昼寝をするのであれば最高の季節だ。

「明日は昼寝でもしようか。」

そう思っていた故だろうか、ぽつりと、言葉が零れてしまった後に、しまったと思った。
今日は一応、彼と出かける日であるのだ。所謂デートだ。今日という日を仮にも楽しまなければならない立場で、明日のことを考えるとは何事か。
己の失態に頭を抱えていると、紫苑は、特に気にするでもなく、穏やかに微笑んだ。

「そうですね。明日もいい天気だ。部屋の窓をあけて、風を浴びながらのんびり眠るのは、きっと気分がいいですよ。」

俺も明日昼寝しちゃうかも。そう言って、笑ってくれる彼の懐の深さに、ほっと胸を撫で下ろす。
そうこうしているうちに、美術館へとたどり着いた。今日は特別展示で、何百年、下手をすれば何千年も前の作品が展示されているらしい。
二人でそれぞれ、美術館に入場するためのチケットを買う。そうだ、と思い出したが、約束の一つに、必ず割り勘というものもあったな、と、しみじみ思い出した。
自分が一回り以上年上なのだから自分が出すと言ったのだが、それを良しとしなかった紫苑の思いによって、割り勘に落ち着いたのだ。

「確か、ずっと昔の王様が描いた絵の展示会とかだそうですね。」
「王様ではなく、神子だろう?」
「どちらも一緒です。何百年以上も昔の絵が、こうして人々に見られるぐらい、永く残されているというのが凄いことですから!」

頬を紅潮させ、興奮しながら話す紫苑の言葉に、それもそうかと頷いて、早速美術館の中へと歩いていく。
大理石で出来た白い床。白い壁。その白い壁に飾られているのは、金色の上品な輝きを放つ額縁に収められた、古い絵であった。

「―――……。」

椿は息を飲み、眼前に広がる一枚の絵を見つめた。
石を砕いて作られた絵具で塗られたそれは、空を彷彿とさせる巨大な絵。その大きさは2メートル以上あり、一日やそこらで描いた絵ではないのであろうことは容易に想像できる。きっと、長い時間をかけて描き続けたのだろう。
椿が驚いたのは、その絵の大きさではない。
もちろん、絵が大きいというだけでも驚きには値するが、彼が驚いたのは、その色であった。
空と言われれば、人はいくつもの色の空を思い浮かべるだろう。明け方の紫色。昼間の青色。夕方の赤色、橙色。夜の藍色、黒。
眼前に広がる絵が彩った空の色は、金色であった。
金色の空。しかしその金は、決して派手なものではない。下品な輝きを放つことなく、淡く、太陽が照らす光をそのまま金色で例えたかのような温かな光を感じさせられる。
昇る朝日とも違う。太陽に沈む夕焼けとも違うその金色は、間違いなく、金という異質な色であるのに、これは昼間の天に広がる青空をイメージして描いたものなのだと、そう、確信した。
そして金色の空を彩るのは、淡い青色の光と、薄い桃色と白色で彩られた雲たちだ。普通であれば青空を描き黄金の光を放つところを真逆にして描いているのだから、この絵を描いた者は相当な変わり者であったのだろう。
自分の子どもがこんな色使いで空を描いたら、絶対に戸惑う自信がある。
しかし。

「すごく、力強い絵ですよね。」

紫苑の言う通り、その絵には力強さがあった。

「……紫苑。お前は、この空は、どの時間帯のものだと思う。」
「と、言いますと?」
「明け方。昼間。夕方。夜。色々あるだろう。」

椿の質問に紫苑は少し考え込むような仕草をし、しかし、そう時間をかけずに答えを口にした。

「んー、昼間、ですかね。」

どうやら、意見は一致したらしい。
そうかと呟き返事をした口元は、心なしか、少し上へと持ち上がった。

「俺、この絵好きです。金って凄く派手なのに、力強さだけが目立って、ギラギラしていない。何百年も経ってるはずなのに衰えないその美しさが、すごく、惹かれるんです。」
「そうか。」
「はい。時が流れても、この作者が亡くなっても、そしていつか俺が死んだ時も、空は変わらず輝き続けるんだろうな、って、そう思えるから。」
「……まだ先だろう。そんなこと。」
「そうですね。そうでした。」

紫苑は曖昧に微笑みながら、手を握る。
人の体温が伝わるむず痒さから、振り払うことはしないけれども、なんとなく視線を、逃げるように絵へと移した。

「……この絵描きは、風景画を好んだのか。」

少し小さい額縁に収められている絵は、森の絵だ。
力強く大地に根を下ろした大木が描かれていて、木々の葉は、奇妙なことに桃色だ。落ち葉の赤や茶、黄でもなければ若葉色でもない。それは見事な、桜のような桃色であった。
他にも、水をイメージしたと弁解するには原色に近すぎる真っ青な湖の絵やミルク色の滝の絵、そして、透き通る氷のような木々の絵が描かれていて、数百年前は本当にこんな場所があったのか、彼の色彩感覚が独特なのか、強いて言うのであれば後者なのだろう絵が壁に多くかけられていることに気が付いた。
これが当時のやんごとなき身分の者が描いたのだから、本人は相当変わり者であったに違いない。
きっと家出をしたら世界征服をしたくて、と、言い出すような人間なのだろう。

「こうして絵を眺めるのは、初めてだ。」
「美術館は、お嫌いでしたか?」
「……いや。」

椿にとって、美術館巡りは馴染みがない。
ただ飾られている絵を見て何になるのだろうというのが感想でもあったが、身嗜みを綺麗に整えた人々が、淑やかな仕草で絵を眺める、その独特な空気に耐えられないというのが本音であった。
しかし、きょろきょろと周囲を見渡せば、案外、シャツ一枚の若者もちらほらと見かけるので、最近の美術館は敷居が低いのだな、と、心の中で一人頷いた。

「敷居が高い場所だと、勝手に、遠ざけていただけだ。絵に対する関心も低かったしな。しかし、こういう絵も見れるのであれば、美術館も悪くない。」

こんな色彩感覚が斜め上の絵なんてそう簡単にはないのだろうことは椿にもわかっている。
けれど、初めての美術館がこれであれば、他の絵はどういうものがあるのだろう、と、絵に対する興味は深まるし、また他の美術館へ行ってみようかという気にもなってくる。
椿の言葉を聞いて、紫苑は表情を綻ばせた。嬉しそうに、満足そうに。

「そう言ってもらえて、嬉しいです。ね、椿さん。来週は博物館に行きませんか?普段は海外に展示されている宝物が展示されるみたいですよ!きっと楽しいですよ。」
「……そうだな。いつも、お前に場所を任せてしまって悪いな。」
「いいんです。俺が行きたいんで!……でも、椿さんが行きたいところあれば言ってくださいね?」
「特にはないのだが……そうだな。同僚が進めてくれた紅茶屋が中々に美味かった。この後、行かないか?」
「はい!是非!」

紫苑はぎゅ、と手を握る力を強めながら無邪気に笑う。
その笑顔は展示されている絵のように暖かで、柔らかくて、太陽の如く照らすような笑みで。
しかし、そんな温かな笑みとは裏腹に、彼の手は、ひんやりと冷たかったのだった。

 


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