秋が終わり、冬が来る。


本編



本日、晴れのち、桃色の雨。
ひらひらと頭上から舞い散る桜の花弁が、茶色い地面を淡い桃色で染めていく。
その様はまるで桃源郷だ。桃源郷なぞ、行ったことは、ないけれど。
普段は土で覆われているその地面は、一面、桜、桜、桜。絨毯のようにそれは敷き詰められていて。
彼は正に、それを絨毯のようにして、今、自分の前で土下座をしていた。

「お願いします!半年で構わないので、俺とお付き合いしてください!」

それは、平年より少し遅い染井吉野が咲き誇る、出会いに相応しい暖かな春の出来事であった。


秋が終わり、冬が来る。

第一話 卯月:期間限定の恋人


菊紫苑(アキシオン)という男は、昨年、大学進学を果たした青年だ。
未だ老いを知らぬその瞳は大きく金色に輝き、艶々と張りのある、程よく日に焼けた肌は健康的な男そのものだ。
おまけに、背丈は百八十あると想定されるすらりと長い長身。程よく引き締められたその肉体からは、無駄な贅肉の存在を臭わす気配もない。
瞳は金色に輝き、背中まで伸びた薄紫色の髪は後ろで一つに束ねている。その色は、名前の如く、紫苑の花を連想させてくれるだろう。
時折見せる笑顔は、紫苑というよりも、向日葵と呼ぶにふさわしい。力強く、太陽に照らされながら立っているのがよく似合う。
このように若い年代の青年なら、異性に興味を持つのが本来だろう。
否、彼のような、輝くような、眩い笑顔を持つ青年ならば、同年代の少女たちが蜜の香りに惹かれた蝶のように集まって来るはずだ。
それが。
それが、何故。

「何故、俺なんだ。」

言葉は溜息と共に、力なく吐き出された。
溜息を漏らしてしまっても、無理はないと思っていただきたい。
この男はつい最近、四十を超えた、れっきとした中年男性そのものだ。
もういい年の、青春など溝に投げ捨てた、後は枯れゆくのを待つばかりの独身男なのだ。
童顔であることが悩みのこの男は、未だ初対面であれば三十代半ばに見られることすらある。しかし、それを踏まえても、やはり未成年である彼に、土下座で付き合って欲しいと焦がれる程の魅力があるかと問われれば、それは、否だ。
中年男性。悪く言えば、おっさん。そう呼ばれても仕方ないこの男の目の前で、体躯の良いイケメン青年は土下座をしていたのである。
傍から見れば、まるでカツアゲをしてくる中年に対し許しを請う儚い青年だ。
故に、男が願うことはただ一つ。

「とりあえず、頭をあげてくれ。」

そして立ってくれ。
そう言うと、紫苑はしょぼんと瞳を伏せながら、立ち上がる。しょげているその様を見ると、まるで、人懐っこい大型犬のようだ。
紫苑はまた、頭を下げる。辛うじて、土下座は回避された。

「半年……否、夏までで構いません!少しでいいんです!お願いですから!俺と付き合ってください!」

本気なんです。
紫苑はそう言って、今にも泣きそうな、必死な形相で語って来る。
どっきりだろうか。何かの罰ゲームで告白させられていて、どこかで、同級生が隠れて様子を見ているのではないだろうか。
男は思わず、きょろきょろと周囲を見回したけれども、周囲には、男と、目の前にいる、紫苑しかいない。
後、あるとすれば長い年月を経て育った染井吉野ぐらいだろうか。
男はバツが悪そうに、指でこめかみを軽く掻く。
これ以上吐き出したら幸せが逃げ出していくだろう。また、男は溜息を漏らした。

「何故、半年なんだ?」

そして、男は、紫苑に問いかける。
付き合って欲しいというのであれば、期間は限定する必要はない。否、限定されないのもそれはそれで困惑するものだが、それでも、普通であればただ、付き合ってくださいと言うものだろう。
それが、この男は半年でいいと。せめて夏でいいと言うのだ。
悪ふざけ故に期間が短いという訳でもない。彼は、紫苑は、本気で自分と付き合いたいのだと、冗談で言っている訳ではないのだと、その表情から見て取れる。
それならば、この期間限定は何なのか。
皮肉ではなく、純粋に、男は疑問に思ったのだ。

「えっと……それは……」

しかし、紫苑は何処か、歯切れが悪い。
理由はあるのだろう。期間を定めなければならない明確な理由が。けれどそれは話せない。
話せないというのならば許可は出せない。そう言ってやるのは簡単ではあったけれども、彼の眉間に寄った皺が、伏せた目が、非常に申し訳なさそうで。
何か事情があるのだろうと、それだけは、わかった。
それも、悪意のない、何かが。
言葉を交わしたのは僅か数十分もない僅かな時間だ。しかし、この菊紫苑という男は嘘をつくことが出来ない。
しかも隠し事をしようとしても、全ての感情が表情に出てしまう正直者であるということが、よくわかった。
誠実な人間なのだろう。
だからこそ、勿体無いと、心の底から思うのだ。彼のように真っ直ぐな性格の男に愛される女は、きっと、幸せだろうというのに。

「……お前が。」

そう思ってしまったからだろうか。
特段、結婚の予定もない。恋人を作る予定もない。ただただ、このままだらだらと残りの人生を生きて、ただただ枯れていくばかり。

「お前が、そこまで言うのならば、付き合ってやってもいい。」

元々、偏見はもっていない方であった。
女という生き物は男よりも身体が小さく筋肉よりも脂肪の多い柔らかな身体をしていて、子どもを産む機能が備わっている。
男という生き物は女よりも身体が大きく脂肪よりも筋肉の多い逞しい身体をしていて、子どもは産めないが、子どもを産む女と生まれて来る子どもを守る力を持っている。
些か個人さはあるかもしれないが、男にとって、男女の違いという認識は、その程度であった。
世間一般は、交際も婚姻も、異性同士で行われるということから、女性と付き合ったことも少なからずは、ある。
決して多い方ではなかったが、少ない方でもなかっただろう。男の恋愛遍歴の中では、どの女性と付き合っても、手を繋いでも、身体を重ねることがあっても、心臓が破裂するのではないかという位の鼓動を聞いたこともなければ、身体の芯から焼けるような熱に溺れることもなかった。
故に、自分という人間は、人を好きになることはない人間なのだと、冷淡で淡泊で面白味のない人間なのだと、自然と人を遠ざけ、生きていたのだ。
男と交際したことはない。
それは、やはり、世間一般が同性同士で交際するのは生物学上在り得ないと唱えるので、在り得ないのならば、そうなのだろうと、自然と男と交際するという選択肢を持たなかった。
女を本気で好きになったことはない。
男を本気で好きになるとは思えない。けれど、好きになったことがないだけで、恋愛できないかと言われれば、付き合えないかと言われれば、拒否をする理由も、特にはなかった。
来るもの拒まず。去る者追わず。
お前のそういうところは長所なのかもしれないが、短所になることの方が圧倒的に多いな、と、高校時代の先輩が言っていたような気もする。
なんの刺激もない、当たり障りもない人生だったから、人生最初で最後、少し、若者と同じ目線に立って遊んでみるのも悪くないと、思ったのだ。

「本当ですか?!」

紫苑が目を輝かせて、こちらへと詰め寄る。
鼻と鼻がぶつかるのではないかという位の距離。
きらきらと輝くその瞳は、うっとりする程に、太陽の如く輝く金色だ。思わず吸い込まれそうになる。
思わずどきりと、心臓が跳ねるのは、彼の行動が突拍子もないからで。どきどきと脈打つ鼓動が早くなるのは、彼の距離が、あまりにも近いせいなのだろう。
嗚呼、と、男がぎこちなく呟くと、彼は、この世の幸せを全て噛みしめたような笑顔をその顔に浮かべる。
幼さの残るその表情が、自分より背の高い、体格のいい男から生まれていると思うと、少し、面白いと思ってしまった。

「ありがとうございます!えっと……さざんか、椿さん!」
「山茶花椿(サザヤマツバキ)だ。まあ、サザンカと読むことが出来ただけ、褒めてやってもいいだろう。」

相手の名を満足に把握していないのに、本気で付き合って欲しいと言うこの男は、本当に、本当に変わり者だ。
何を考えているのかわからない。
けれど、どうせ期間限定。短い間のことなのだ。
それならば少しぐらい、振り回されるのも悪くない。男は、山茶花椿は、縋るような男の瞳に無自覚にも同情し、そして、気まぐれに、魔が差したのだ。
ひらひらと舞い散る桜の雨。眩しく輝く、太陽のような笑みを浮かべる男。その様はまるで今時ドラマでも見ることのないようなありきたりな光景で、ありきたりだけれど、引き込まれてしまう光景で。
椿は、桜を見るたび、今日というこの日を思い出すことになることを、まだ知らなくて。
そう。
まだ、何も知らない。四月一日の、ハジマリの日に相応しい一日であった。




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