アルフライラ


Side黒



意思を持ち、言葉を解するようになったのはいつだったか。
それは最早、記憶にない。
気付いたら話すようになっていた。気付いたら動くようになっていた。けれど、それが、人形としては異質であるということに気付くのは、少し後になってからであった。
マナ=カンフリエ。「私」を創った男。「私」という人形を動かす、魂の基盤となった女が愛した男。
代々生まれて来る彼の子どもたち。
異性としてではなく。純粋に、彼の血族として愛した子どもたち。けれど皆、怖がって、怯えて、気付けば自分は、埃っぽい箪笥の中に追いやられて。
どうしてだろう。そう思っても、答えてくれる人なんていなくて。
それからは、真っ暗闇の空間で、眠って、眠って、眠り続けて。
次に目を覚ました時には、気付けば世界が終わっていた。

「お前、動くのか?」
「……ええ。まあ。」

「私」を抱き上げた男、シエル=カンフリエの第一声はそれであった。
彼は変わったものをこよなく愛する、一言で言えば、変人の男であった。どうして動くのか。その魂の仕組みはどうなっているのか。
時には人の服を引っぺがしてでも解き明かそうとする、デリカシーのデの字もない男であったが、恐怖され、泣かれるよりはマシであった。
変人である彼が選んだその妻も変人で、自分という存在をすんなりと受け入れて。

「あら、そういえば。貴女には名前はあるのかしら?」

等と言ってくるぐらいには、変わり者であった。
「私」は首を振った。魂の基盤となった女の名前であれば知っている。けれど、それはあくまで基盤であって、「私」の名前ではない。
今まで通り、「私」のことは「お人形さん」と呼べばいいし、これからもそう呼ばれ続ける。そう思っていた。
あの日までは。

「なあ、人形さんよ。ちょっと、私と妻は席を外すから、息子の面倒をみてくれないか?」

その言葉に、耳を疑った。
子どもというものは苦手だ。自分という異質な存在を見たら、泣いて、怯えて、拒絶する。何もしていないのに、ただ、動いて喋るというだけで、子どもというのは拒絶する。
だから無理だと思った。
いくら変わり者なあの夫婦の子どもだからといって、その子どもが自分を受け入れてくれるとは思わない。
けれど、彼らは自分を、「私」という人形を、ノワールに差し出した。

「ほら、ノワール。お前の姉さんだ。」

彼の姉として。
受け取ったノワールは、目を丸くして首を傾げた。そして、ノワールは問いかけた。

「おなまえは?」

幼く小さな口から紡がれる、舌ったらずな問いかけ。その質問は、彼の母と全く同じ。
「私」が小さく首を横に振ると、そっかー、と答えた後、彼は、こういった。

「じゃあ、おにんぎょうさんのおなまえは、きょうからるみえーる!るみえーるってよぶから!よろしくね!るみ!」

そう言って、彼は、ノワールは、笑った。
拒絶することなく受け入れて。名前を与えてくれた。「マナ=カンフリエが作った人形」でもなく、「戦乙女のモデルとなった人形」でもなく、「アンナの魂が基となった人形」でもなく。
「ルミエール」と。
「私」が「ルミエール」となった日から、自分は、他の誰でもない、彼だけの人形となったのだ。


Part25 貴方だけのお人形:ルミエール


眩い光が国中を包んだ。
その光を眺めて、ルミエールはその手から放つ魔力の弾丸、その手を止める。
いきない攻撃が止んだことを不振に思ったのだろう。薙刀を握り締めたままコクヨウはこちらを睨んでいるし、アリスは彼女に守られながらも、しっかりと、ルミエールのことを見つめていた。
あの光は敗北の印。
ノワールの魔力の気配は感じる。けれど、きっと彼はこの後捕えられ、然るべき処置を受けることになるのだろう。
そう思うと、どうしようもなく、悲しかった。
彼の最期に、自分は決して、立ち会えることはないのだから。

「貴方たちの勝ちね。」

ルミエールはぽつりと、小さく呟く。
その言葉に勝利を確信したコクヨウとアリスは、互いに顔を見合わせて表情を綻ばせた。
勝利に喜ぶ少女たちの笑み。
嗚呼、喜ぶ少女たちはこういった表情をするのか。我が家には男の子しかいかなかったから、こんな表情、なかなか見たことはなかったなぁ、と、漠然と思う。
けれど、幼い頃のノワールの笑顔も、然程変わりないのかもしれない。

「この戦いは貴女たちの勝利。だからもう、戦う理由はないわ。それに、私はもう、戦えない。」
「戦えないって……どういうことさ?」

コクヨウが問いかける。
ルミエールは、この戦いで多くの魔力を放出した。何年、何十年、何百年と。生み出されたその日から蓄積されて来た魔力を全て。
今こうして立っていることが出来るのは、この国の魔力が仮の原動力となっているから。
古時計が壊され、この国の時を止める、魔術を留めるという術式が破壊されたということは、ルミエールに繋がれていた電源コードが切られたのと同じこと。
バッテリーがなくなったノートパソコンの電源は切れる。それと同じ。

「私はこの国に満ちた魔力で動いていたわ。この国に満ちている魔力は、全て、ノワールが一人で満たしていたもの。けれど、貴女たちの愛した人々が、魔力の主導権を取り戻し、彼の魔術を無効化した。であれば、私の中の魔力も、いずれ尽きる。そうすれば、私は、また何も話すことのできない人形に戻るわ。」

そう言って、手を差し出して、動かしてみせる。
先程までは人間のそれのように柔軟に動いていた手は、ギシギシと、金属が錆び付いているかのようにぎこちない。
まさか自分自身、この短時間で此処まで動けなくなるものか、と思ったけれど、きっとそういうものなのだろう。
コクヨウとアリスの表情が曇る。
勝利の喜び。それとは別に、他者の命を奪うという行為の罪悪感。きっと彼女たちは、人の命を奪ったことはない。この国にいる人間の殆どが、人の命を奪ったことはないだろう。
だからこそ、その表情が曇るのは必然で。
しかし、彼女たちの表情が曇ったままで在るというのは、是としていたくはなくて。

「そんな顔をしないで。」

ルミエールはそう呟いて、首を左右に振る。
左右に振るのすらぎこちない。こうして語り掛けるのすら、苦痛に感じてしまう。それが、ひどく歯痒い。

「もっと胸を張って。貴女たちは、勝者として、民を引っ張り、未来を作るの。」

この国に未来なんてない。希望なんてない。それはわかっている。わかり切っていることだ。
世界が滅ぶ前から存在していたのだ。この世界が手遅れであるということは、この国に住む国民の誰よりも承知しているつもりだった。
しかし、敢えて、この少女たちには、激励を送りたいと。そう思うのだ。
同じ、一人の男を愛する女として。

「ねえ、えっと……」
「ルミエール。ノワールの母国で、私の名前は光を表わすわ。本当はそんな名前じゃないのだけれど、ノワールは小さい頃から、私にこう名付けて、可愛がってくれてたの。」

戦乙女の人形。
禍々しさすら、呪いすら感じさせるその名前を拭い去って、「お人形さん」から「ルミエール」に変えてくれた、幼い子ども。
彼にとっては、呼びにくいからというささやかな理由であったかもしれない。
けれど、ルミエールにとって、その名は、人形として生き続けた何百年を超える時の中で、最もうれしい授かりものだったのだ。

「じゃあ、あの。ルミエール。貴女はどうして、私たちにそんな助言を……?」
「あら、敗者は勝者を讃えてはいけないのかしら?この国を統べる以上、覚悟を持って、私たちはこの宮殿にいたわ。私も、ノワールも。悪逆非道な独裁者と罵られたとしても、全てはこの国のことを想ってのことだったし、民のためならば、嫌われ者も厭わなかったわ。貴女たちも覚悟を持ってこの宮殿に来たはず。だから、同じ覚悟を決めた女として、胸を張っていて欲しかったのかもしれないわね。」

これは本音。
男というのは、愚かなものだ。これと決めたら突っ走って、傷つくのも厭わずに、足掻いて、もがいて、一人で勝手に傷ついて。
そんな彼らを支えるために、癒すために、在り続けるのが自分たちなのだ。
間違っているのであれば引っぱたいてやるのも。間違えていると承知しつつも最後まで付き従うのも。間違っているかわからない故に共に悩んでやるのも。
全てが全て、男を支える女としての形なのだから。
国を革命する。変化させる。今まで停滞していたものを進める。それがどんなに困難で、過酷で、瞬きの間の希望に過ぎなくて、すぐさま絶望に追いやられるのだとしても。
彼女たちには、自分の愛した男たちが抱いた希望を信じて、覚悟をもって、最期まで、添い遂げてもらいたい。

「……あ……」

身体が膝から崩れ落ちる。
腰から下が全く動かなくて、感覚がない。こんなのは初めてのことで、この足はもうただの人形の足として、自立歩行することは不可能なのだと思い知らされた。
幼い彼の手を引いて歩いたこともあったけれど、もう二度と、それは叶わない。
わかってはいるけれど、少し、寂しい。

「何故、貴女はノワールを愛していたの?」

アリスが問いかける。
何故愛したのか。気になるのか、気になるのだろう。だって、彼女たちにとって、ノワールは悪人なのだから。
あらあら、と呟いて、ルミエールは笑う。
彼女たちは知らないのだ。喋るのが拙くて、歩くのも危なっかしくて、よちよち歩きをしたらすぐ転んで、泣いて。泣いて。るみえーる、るみえーる、と言いながらすぐ泣いた泣き虫な彼を。父や母を想い、兄を想い、姉を想う、甘えん坊な彼を。強がっているけれど、身体は大きいけれど、気弱な彼のことを。
彼の魅力は沢山ある。好きなところは山ほどある。
語りたくても、語り尽せないほどに。
けれど、それはあくまで『彼の好きなところ』であり、そこを含めて彼が好きなのであり、何故彼が好きか、の理由にはならない。
きっと、彼が泣き虫でなくても。気弱でなくても。身体が小柄なままであったとしても。自分は彼を愛したのだと、胸を張って言えるから。

「愛に理由なんて要らないわ。私は、ただ、ノワールのことを愛していた。彼が正義の味方だろうと、極悪人だろうと、私は彼が彼である限り、ノワールのことを愛したわ。そして、今も、その愛は本物。例え肉体を持たぬ身であろうとも、造られた魂であろうと、私はノワールを愛している。物言わぬ人形に戻っても、それだけは、変わらないわ。」

そう。理由なんてない。理由なんて要らない。
彼が彼であるから、自然と、愛した。それだけなのだ。人を愛することに理由なんていらない。なんて、人形が偉そうに言うことではないのかもしれないけれど。

「貴女たちが羨ましい。」

故に、ルミエールは、目の前に立つ二人の少女が羨ましかった。
もしも自分がただの人間の女ならば。彼と寄り添い、隣に立つことが叶ったならば。やりたいことが、やってやりたいことが、山ほどあった。

「私は人形だから。彼に抱きかかえてもらうばかり。彼を抱きしめてあげることも、包み込むことも出来ない。貴女たちと同じ、肉の器を持つ人間としてこの世に在ったならば、もっと、もっと、彼のことを愛してあげられたでしょうに。」

小さい頃は、手を引いてやれた。
でもこの小さな身体では、彼に抱いてもらうばかり。あの時もそうだ。彼が重たいバケツを持って、国中に陣を描いた時も、彼に乗り、見ていることしかできなかった。
せめて、せめてシャマイムの使い魔ぐらいの大きさであれば、自分もなんとか手助けが出来たかもしれないのに。
いつの間にか守ってもらってばかりだったから。
だから、短い時間でも、こうして、ノワールを守る時間を得られたのは、幸福であったのだ。
それでも願いが叶うなら。抱きしめたかった。抱きしめられたかった。人間の女として、人を恋する喜びを得たかったし、人並みの恋を彼にも与えてやりたかった。
人形であったからこそ、永い時を得て、彼に巡り合うことが出来たというのだから、それだけは、人形であって良かったかもしれない出来事であるのだけれど。

「……でも、これはこれで、よかったのかもしれないわね。あの子、肉の器を持つ私だったら、きっと、恋なんてしてくれなかったもの。あの子、臆病だから。」

もし自分が肉の器を持つ人間であったなら。
彼はいつまでも自分を「姉」として扱ったかもしれない。素直に「女として愛している」とは、行ってくれなかったかもしれない。
あの子は肝心なところで臆病で、気が弱くて。
どんなに身体が大きくなっても、その心は、小さく幼い少年のままで、そんなところが、愛おしかった。否、今もまだ、愛おしい。

「貴女たちは進みなさい。」

もうこの身体は動かない。
ノワール。愛しい子。人形の魂が死んだらどうなるかわからない。彼と同じところへ行けるかも。
けれど、もし最後に一つだけ、願いが叶うとするならば。
願わくば、魂は最期に、同じ場所へ。

「愛する者たちが、貴女たちを待っている。どうか、この先、どのようなことがあったとしても、貴女たちの愛が、変わらぬことを願うわ。」

その言葉を最後に、ルミエールは、『人形の姿をした少女』から、『少女の姿をした人形』になった。

 


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