アルフライラ


Side黒



この小さな都市国家に異変が起き始めたのは、それからまた数年経った時のこと。
始めに倒れたのは、老いた一人の商人であった。
病に侵された商人はそれから間もなく亡くなり、国民の死を悼んだシエルにより、ささやかな葬儀が行われた。
それからまた数日後。
次に倒れたのは、その商人の仕事仲間である、また別の商人であった。
そこから一人。また一人。同じような病を発症し、倒れた。
皮膚はまるで毒を帯びたかのように紫色へと染まっていき、衰弱し、死に至る。それを疫病と呼んでも差し支えないだろうという頃には、国中に、その疫病が広がっていた。
疫病に罹るのは皆、年がそれなりに上の人々ばかりで。
共通しているのは、『アルフライラという国が生まれるよりも前から生きている』者たちばかりだった。
原因はこの国に来るよりも前に体内に蓄積された瘴気が病となって現れたことだろう。そう分析出来た頃には、国民の凡そ三十人程が命を落としていた。
そして。

「……父様。」

ノワールの父、シエル=カンフリエもまた、例外ではなかった。
彼はこの国を創設するよりも前から、より安全な土地を探し、世界を巡っていた時期があったという。
となれば、人一倍、瘴気の蓄積も多かったはずだ。もしかしたら、最初に倒れたその商人よりも前に、発症をしていたかもしれない。
けれど、シエルは、耐え続けた。
自身の命が終わる、その寸前まで。

「……ノワール。」

父が弱々しい声で呼びかける。
テフィラに促されるまま、ノワールは、ゆっくり、シエルへと近付いた。
この一か月前、母が死んだ。父と同じ疫病だ。
紫色に染まった、通常の人間のそれよりも固くなった手を握る。ごつごつとしていて、まるで、岩のように硬くて、氷のように冷たい手だった。
自分を抱きかかえてくれた、あの暖かくて柔らかくて、力強い腕は、何処にもない。
そう思うと、泣きそうになった。

「泣くな。お前は、本当に泣き虫だな。」
「……父様。」
「ノワール。お前は賢い子だ。お前は、優秀な魔術師だ。私の、自慢の息子だ。お前ならきっと、この国を守ることが出来る。……この国を、国民を……頼んだぞ……」

アルフライラ初代統括者、シエル=カンフリエが亡くなったのは、その翌日のことであった。
享年五十歳。あまりにも、あまりにも早すぎる死であった。


Part10  就任:二代目統括者


翌日、シエルの葬儀と、ノワールの二代目統括者就任式が同時に行われた。
将来、父の手伝いをしたい。そして、いずれ統括者として、この国を支えていきたい。
そう思ってはいたものの、まさかこんなにも早く、その時が訪れてしまうとは思わなかった。
その隣に、いつも頼りにしていた父の姿はない。
これからは一人で、この国を立て直していかなければならない。たった一人で。
そう思うと、足が震えた。国民の視線が、ナイフのようにぐさぐさと胸を抉った。嗚呼、自分は、人前に出るとこんなにも恐怖してしまう性格だったのかと、その時になってようやく知った。

「ノワール。ひとまず、全世帯に疫病の抗体薬は配り終えたよ。」
「……ありがとう、テフィラ。助かった。」
「何人か、国民にも手伝ってもらったからね。これで、ひとまず新たに疫病で亡くなる人は出ないと思う。既に罹ってしまった人には、どうしようもないのだけれど。」
「いい。それでも、助かる人がいるのなら……ひとまずは。でも、瘴気はウイルスのようなものだ。また、新たな疫病という形で現れるかもしれない。この国は結界で覆われているとはいえ、僕……私も、そしてテフィラたちだって、瘴気を吸い込んでいる可能性は否定できないのだから。」

ノワールは深く溜息を漏らしながら、かつて父の特等席であった、宮殿の玉座に座り込む。
その顔は憔悴しきっていた。
十代の青年がこの国に住まう数百人の国民を背負うのだ。その重圧に耐えられるだけでも大したものなのだと、テフィラは思った。
それを今のノワールに言っても、ただの慰め以下のものであると、わかってはいるけれど。
統括者になるにあたって、ノワールは普段降ろしていた髪の両脇をかきあげ、ピンで止めた。少しでも顔付きが大人っぽく見えるように。子どもの統括者だと、貶されることがないように。
張りつめたその糸はあまりに細く繊細で。もう少してプツンと音を立てて切れてしまいそうな程に弱々しくて。
だって。
彼は、母の死を嘆く暇も、父の死を悲しむ暇も、何一つ、なかったのだから。

「ノワール。」

テフィラが、ノワールの名を呼ぶ。
その声はひどく穏やかで、それこそ、まさに、血の繋がった家族に語り掛ける色のそれで。
こんな穏やかな声で語り掛けるのは後にも先にも、この、ノワールという男ただ一人で、優秀な実の両親や弟に、こんな声で語り掛けたことなど、生涯、一度もなかった。
ノワールはゆっくり顔を上げる。
切れ長の細い瞳と力強い太い眉は凛々しい。けれど、その瞳の奥にある色は、出会った頃と変わりないものであると、テフィラにはわかった。

「今、此処にいるのは、僕とルミエールだけだ。」

テフィラの言葉に、ノワールは瞳を丸める。
いつもより大きく丸まったその瞳には、幼い時の面影が、あの無邪気に笑っていた頃の彼の面影が、ちらりと顔を覗かせる。

「今だけは、いいんじゃないかな。」

ノワールは、ちらりと、ルミエールを見る。
片腕ですっぽり身体が収まるようになった人形は、翠色の瞳をノワールに向けて、穏やかに、微笑んでいた。
まるで肯定するように。
かつては、ルミエールに手を引かれて歩いていた。それが気付けば、テフィラの背丈すら追い抜いてしまっていて。
でも、心はあの時のまま、弱い自分のままだ。

「……怖いんだ。」

ぽつりと呟いたその声は、掠れていて、心なしか、唇が震えていた。
ルミエールを、小さな人形を抱きしめる。力を誤ってしまえば壊れてしまいそうな程、小さなものだ。
自分がそれだけ大きくなってしまったのだということを、痛感する。
自分の心は、未だ、幼い子どものままだというのに。

「怖いんだ。父様も、母様もいなくなって……取り残されて。数百人の国民たちを、導いていかなければいけないのが。怖いんだ。人がどんどん死んでいくのが。誰にも死んでほしくない。生きていて欲しいのに、人は、どんどん死んでいく。人が死ぬのを見るのが、怖い。……怖いんだ。」

筋肉のつき出した大きな身体。
身体はどんどん青年のそれになっていくというのに、心はまだ、平穏を愛する幼き純粋さを持ち合わせたままでもある。
故に、人の死という現実を直視することを、ノワールはどうしようもなく恐れていた。
人の死を、喜んで見たい者なんていない。
出来れば直視したくないことではあるだろうし、避けられるのであれば、避けたいものだ。それは人として当然のことである。
しかし、このノワール=カンフリエという男は、人一倍、死というものに直面することを恐れていた。
彼を弱いと指差す者も、もしかしたらいるかもしれない。
だからこそ彼は、悟られないよう、厳格な統括者を目指して、本来の彼を押し殺した。そしてこれからもずっと、彼は押し殺し続けることになるだろう。
だから。だからこそ。

「大丈夫。」

ルミエールは優しく答えて、手を伸ばす。
この細く小さな腕では、彼の身体を抱きしめられない。彼の首に腕をぐるりと撒くけれど、それも辛うじて届くぐらいだ。
冷たい陶器で出来たこの身体。この身体で彼のことを温めることは出来なくても。彼の心を和らげることは出来るのだと、そう、思いたい。
今も小さく震えている、この、大きな子どもを。

「ノワール。誰よりも優しい、私たちの自慢の子。大丈夫。貴方ならきっと、この国のために、力を振るうことが出来るわ。だって、貴方は、優秀な魔術師だもの。」
「ルミエール……」
「私がいる。テフィラがいる。貴方は一人じゃない。だから、何も恐れないで。大丈夫。大丈夫だから。私たちが、貴方を守るから。」

ノワールの身体が、ゆっくりと離れる。
その瞳の色から、先程まで在った怯えや恐れは消えていた。

「決めたよ。テフィラ。ルミエール。」

ルミエールの身体を抱きかかえたまま、ノワールは玉座から立ち上がる。
コツコツと、赤い絨毯の上を歩き、宮殿に備え付けられたバルコニーから、アルフライラ国内を見渡す。
父が備え付けた壁の向こうから先は、よく見えない。よく見えないけれど、その先に広がっている光景は、果てのない荒野なのだろうということは、想像することが出来た。
この先にはきっと、何もない。
希望も絶望もない。在るとすれば虚無。全てを奪い去るものしか、ない。
であれば。自分は、作らなければいけない。国民が安心して暮らしていける国を。国民が恐れを抱くこともない、悲しみや苦しみを抱くこともない、平穏な世界を。
全ての者が望む、理想の国を。

「僕は……私は、理想郷を創る。この国を、理想郷都市国家とする。誰も苦しまない。誰も嘆かない。飢えることも朽ちることもない、理想の国を。」

その時、テフィラは、ぱちぱちと何度か、瞬きした。
自分の眼がおかしくったのではないか、と、思ったのだ。
だって、今自分が目の当たりにしているノワールは、太陽の光が彼を照らしているというには異常なほどに、光り輝いて見えたから。

「不老不死の国を、私は創りたい。」

力強く語るノワールを否定する者は、その場に、誰も居なかった。

 


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