アルフライラ


Side黒



アルフライラを囲う壁が完成してから、この国は確実に安定をし始めていた。
食物は実り、人々が飢えることはなく、平穏に暮らしている。
外界と繋がる手段は絶ってしまったけれども、それでも、今生きている人々を守るので精一杯なこの国をまず立て直すのであれば、それが最善であった。
国民の笑顔も増えて来た。
この国で生まれ、育つ子どもも増えて来た。それは、非常に喜ばしいことだ。

「アルフライラが生まれてもう二十年以上か。年もとる訳だ。」
「えっ……シエルさまって、そんなに老けているのですか……」
「テフィラ。老けているっていうのは少し心外じゃないか?まだ私は四十二だし、まだまだいけるぞ。……まあ、確かにお前は出会った時の、若い姿のままだが。」

シエルの言う通り、テフィラは、彼と出会った十六歳のままであった。
その違和感には直ぐに気付いたけれども、魔術を失敗した時の影響だろうと、己の失態の象徴を甘んじて受け入れることにした。
確かに周囲が置いて行くのに自分だけ若いままというのも違和感はあるけれど、常に傍にいるシエル、ノワール親子が気にも留めないので、自分も気にするのを止めた。

「お前が失敗した時の魔術式はわかるのに、そうなってしまった結果の原因がわからんからなあ。」
「ははは……まあ、僕の魔術がわかったとしても、大した実にはならないですよ……」
「知的好奇心が満たされるだけさ。まあ、私よりもノワールの方が賢い子だからな。いつか彼が、お前の魔術を解き明かして、この国をより、栄えさせてくれるさ。」

そう言って、シエルは笑う。
それは、俗に言う予言というものになる。
成長したノワールが、テフィラの魔術を解き明かし、この国を不老不死の都市国家へと変えるのだが。
それはもう少し、先の話。


Part9 魔術式:不老不死の方程式


ノワールは、十歳の誕生日を迎えていた。
幼い頃から共にいる愛しい人形を優しく抱えて、ノワールは忙しない足取りで宮殿の中を歩く。
広い宮殿。広いけれど、ここに住んでいるのは、父と母と自分と彼女と、そして、幼い頃から自分の面倒を見てくれるテフィラの五人だけだ。
こんなにも広いのに。
そう思うけれど、ノワールはこの広い空間に不自由はしていなかった。
優しい母。いつも遊んでくれる父。構ってくれる兄のようなテフィラ。そして。

「ノワール。今日も楽しそうね。」

そう言って笑いかけてくれる、姉のような存在、ルミエール。
つい最近まで、彼女をこうして抱きかかえるなんて想像もしていなかった。寧ろ、手を引いてもらっていたことすらあったように思える。
それがこうして抱きかかえられるようになったのだ。片手で抱ける日もきっと遠くない。
彼女がどんなに自分より小さくなってしまったとしても。彼女は永遠に、自分の愛おしい姉なのだ。

「ふふ、楽しい。楽しいよ。今日もテフィラと魔術の稽古をするんだ。彼はとても博識だもの。なんでも教えてくれる。楽しくて楽しくて仕方ないよ!」

アルフライラを囲う壁の建設を始めてから、テフィラは頻繁に、ノワールに魔術を教えてくれるようになった。
大半が、自分はこうして魔術に失敗した、という失敗談ではあったのだが、その失敗談故に起きた出来事を聞くのは、楽しくてたまらない。
だって、『失敗は成功の素』だから。
テフィラの失敗話の裏には、必ず、成功の秘訣が隠れている。何処かを直せば、何処かを加えれば、何処かを削れば、必ず、本来の魔術としての形が見えて来る。
今この国で実っている食物たちも、元はテフィラの魔術がきっかけだ。
何もない場所から植物を実らせようとした結果、頭部に芽が生えてしまうという途方もない失敗を犯してしまったけれど、それがきっかけで父と出会って、この国を二人でよりよくしようと、今も奮闘してくれている。
二人は、ノワールにとっての自慢であった。

「ノワールは本当にテフィラが好きね。」
「うん。好き。父様も母様も好き。あ、もちろん、ルミも好きだよ?」
「ふふ、ありがとう。」
「それにね。僕、この国が好き。この国で生きているみんなが好き。だから、この国に住んでいる人たちは守りたい。大きくなったら、父様のお仕事手伝って、もっともっとこの国をよくして。……いつか、また、お父様から聞いた外の世界を、見たいな。」

いつになるかわからないけど。
そう言って、ノワールはあどけない、子どもらしい笑みを浮かべて笑った。
それは十歳相応の笑みだ。
ノワールの笑みに、ルミエールもまた、つられて口元を持ち上げる。人形の身体であるというのに、この顔はまるで人間のそれと同じように、柔らかいようだ。

「あ!テフィラ!」
「ノワール。もう少し遊んでてもいいのに。」
「やだ!テフィラに教えてもらう方が楽しいもん!」

軽い足取りでテフィラの元へと早足で駆けていく。
昔と比べると少し小さいように感じられるテフィラに頭を撫でられながら、ノワールは嬉しそうににこにこと微笑んだ。
テフィラも、ノワールの言葉はまんざらでもないようだ。
おいで、と呟くと、テフィラは宮殿内の部屋の一つ。その扉を開ける。
扉を開ければ、そこは書庫と言われてもおかしくない程、多くの本が詰め込まれていた。床には触感が良さそうな絨毯が敷かれていて、絨毯の上には、ちょこんと、人が座るにはあまりにも小さすぎる椅子が設置されていた。
ノワールはその小さな椅子に、ルミエールを座らせる。そこがルミエールの定位置だ。
彼女の身体がその椅子にすっぽり収まったのを確認すると、ノワールは満足げに微笑んでから、部屋の中を物色する。
慣れた手つきで、本棚の中に設置されている、比較的新しい本を一冊取り出すと、ぺらぺらと中を捲り出した。
本の中に書かれている文字は全て、手書きだ。
大きかったり小さかったり、少し歪んでしまったり。読めなくはないけれども、その文字はどこか幼くたどたどしい。
それは子どもの文字だ。そして、真新しい文字を書いた主といえば、この宮殿にいるノワールただ一人である。
この本に書かれているのは、テフィラの話を踏まえて自ら魔術を書き込んだ、ノワールだけの魔導書だ。その価値は人によってで分かれるだろうが、魔術を極める者であれば、良い値で買いたくなるものも紛れているだろう。

「ねえ、テフィラ。教えてほしいんだけど。」
「何?」
「テフィラがその植物の魔術に失敗した時の式、教えて。」
「構わないけれど……それはもうシエル様が食糧栽培のための魔術としてもう構築が終わっているものじゃないかい?」
「うん、そう思っていたんだけど……確かめたいことがあるんだ。ね?教えて?」

そう言って、少し首を傾げながらノワールは微笑む。
弟のような存在である彼に、こう愛らしいおねだりをされてしまえば、テフィラも断ることは出来ないだろう。
元々断るつもりはないのだけれど。
そうだね、と、テフィラは呟き、彼からペンを借りて、本に文字を書きこんでいく。
もう数年も前のことではあるけれど、あの時のことはまだ覚えている。自分なりに、家の役に立ちたいと思った。弟のように認められたいと、自分なりに調べて、構築式を書いて、そこに魔術を注いで。
その時に使った式はなんだったか。
ごく一般的な植物魔法と、それと。

「確か、何か別の式も使った気がするんだけど……」
「もう覚えてないかな?」
「んー。ちょっと待ってね。思い出す。」
「がんばれテフィラ!」

ノワールに頑張れと言われれば頑張るしかないだろう。
テフィラは少し悩む仕草をして、嗚呼、そうだ、と呟き、本に更に書き足していく。それは、文字ではなく、絵であった。
時計を模した絵。そしてその中心に、植物魔法を構築するための式。

「あとは、これ。」

そう言ってテフィラがノワールに見せたのは、小瓶であった。
透明で小さな小瓶の中には、ちゃぽんと音を立てて、赤黒い液体が揺らめく。その液体が何であるのか、直ぐに、ノワールはわかった。

「血だね。」

ノワールの言葉に、テフィラは頷く。
血液は魔術師の魔力が最も込められているもの。現に、魔術の一種である呪術でも、血液は頻繁に用いられる。
使い魔と契約をかわすための召喚魔法もまた然り、だ。

「植物の呪文。そして、もう一つ。使ったのは召喚魔法だ。召喚魔法を用いて植物を召喚し、操ろうとした。シエル様が今、この国で食糧を大量生産するために使っている魔術は召喚魔法と植物魔法を複合したものだ。流石に、生物の召喚は出来てないから……この国ではまだ、肉を食べる機会はないけれど。」
「ねえ、テフィラ。この時計の魔法は?」
「食物を生み出しても、結局育つのに一年かかります……じゃ、意味ないからね。僕の血液を、時計でいう0時の場所を起点にして、右へ向かって、時計回りに血液を落としていったんだ。まあ……これで時間が促進するんじゃないかって。我ながら子どもっぽい理屈だけど。」

失敗したしね、と、テフィラは笑う。
しかし、テフィラの話を笑うことなく、ノワールは、じっと、その時計の絵を眺めていた。
その目は真剣で、何かを読み解こうと必死になっているようにすら思われる。

「……これ、もしかして。」

ノワールはゆっくり立ち上がると、本棚に保存されている本の中でも、特に古いものを取り出す。
今にも解けてしまいそうな、土のように古びた紐で固定された書物を慎重にめくっていくと、ある記述があった。

「見て。これ。」

ノワールに声をかけられて、テフィラは本を覗き込む。
それを見て、テフィラは思わず目を丸めた。
その本に書かれていたのは、人間の眼球であった。しかし、それはただの眼球ではない。その眼球はまるで、時計のそれのような模様を浮かべていて、その模様は、テフィラが魔術式を書いた時に加えた、時計の絵にもよく似ていた。

「これって……」
「もう数百年以上も前の書物だよ。たまたまこの地に保管されていたのを、父様が見つけたんだ。」
「す、数百年……?!」

数百年以上も前の書物となれば、それは、かつて世界の崩壊が起きたとされる時期よりも前になる。
それより前は実質存在しない、神話のようなものであると言われていたが、きちんと文明があったのだということに、テフィラは素直に驚愕した。
そうなるとこれは、その文明を生きた当時の者が書いたということになる。

「昔は、神様の声を聞く、特別な人たちがいたっていうんだ。これは、その中でも時間を守る神様の声を聞くことが出来た人の遺体から眼球を取り出して観察したものなんだって。……で、この目を持つ人たちはみんな、時間を操ることが出来たみたいだよ。」
「が、眼球……」

十歳の少年がさらりと言うことではない。
そんな突っ込みを投げかけたいが、着目点はそこではないのだろう。
テフィラが失敗した魔術の式は、必然的に、過去に時間を自在に操った異能者の瞳に宿ったものと似通ったものであったということだ。

「でも、時間を操れるというのと……僕の魔術の失敗に、どんな関係があるの?」
「テフィラの身体は年をとらないでしょ。それって、身体の時間を止めてるってことになると思うんだ。この魔術式は、人間の身体の時間……つまり、老化を止める作用があるんだと思う。」
「と、いうことは……」

古びた本と、テフィラが書いた本の式を見比べて、ノワールは、無邪気に笑う。

「この魔術を使えば、不老不死も夢じゃない。ってことかもね。」

使うのはとても危険そうだけど。と、ノワールは、付け加えた。

 


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -