空高編


第4章 神子と一族



襖を開けると、錬磨は、おや、と呟いた。

「さっきまで三人じゃなかったっけ?」

大広間に案内したのは、三人であったはず。けれど、今此処にいるのは、翼と、彼の護衛兼弟子である雷希。その二名だけだった。
翼はにこりと微笑む。

「青烏は次の仕事があるからな。席を外したんだ。まあ、神子である俺がいれば、問題ないだろう?」

そう言って、笑う。
確かに、一族頭首を選定するのは神子である空高翼だ。
彼一人がこの場に居れば、後はどうにでもなる。そうだね、と、聡史は呟いて、また、人当たりの良い笑顔をその顔に浮かべた。

「待たせてごめんね。じゃあ、行こうか。」


第63晶 酸漿桂馬の逃走劇


「死んでください。」
「唐突だな。いきなり会ってそれか、錬磨。」

舞台は移り、柳靖地の路地裏。煙草を咥え、特に何をするでもなく、ふらりふらりと歩いていた桂馬の前に現れたのは、色のない、無表情という言葉がまさに似合う、能面のような顔をした錬磨の姿だった。
その手に握られている、銀色に光るナイフが、これから自分に起こるであろう出来事を用意に想像させてくれる。

「なー。俺、これから仕事なんだけど?」
「貴方に仕事はない。あれは神子さまがいたからこそ言った偽りのものだ。それは貴方にだって、よくわかっているでしょう。」
「まあ、そうなんだけどなー。俺には仕事どころか、明日食う飯も泊まる宿も、何一つねぇって言うのに、さ。」

そう言って、桂馬は咥えていた煙草の煙を肺にまで吸い込み、深く、深く、息を吐く。
白い煙が口からもくもくと零れるのを眺めながら、桂馬は変わらぬ表情の錬磨を見た。

「見逃してくんね?今までだって、殺す殺すって言いつつも、見逃してたじゃん。」
「それは無理です。聡史さまは、神子さまに信頼されていない。一族頭首の座に正式に座る為には、あの方以外の選択肢を排除しなければならない。」
「故に、俺を殺す?俺のこと、過大評価し過ぎじゃね?俺の価値を見出す変わり種がいるとは思わないんだけど。」
「あの神子さまは、貴方の方が信頼に足るとお考えだ。」
「まじか。悪趣味だな、あのガキ。」

そう呟いて、桂馬が笑ったその刹那。
銀に光る鋭利なそれが、桂馬の目の前を掠めた。桂馬が一歩、咄嗟に足を下げなければ、そのナイフは首を切り裂いていただろう。そう思うと恐ろしいし、決して笑えないのだが、口角が上へと持ち上がり、引きつってしまう。
持ち上げた足で、錬磨の脛を蹴り飛ばし、彼の身体がバランスを崩したのを見計らって桂馬は背を向け駆けだした。
路地裏と言えど、此処は柳靖地の街中だ。
こちらが攻撃を仕掛ければ、場合によっては一般市民にも影響を与えかねないだろう。錬磨という男は、そういう人間だ。目的のためであれば手段は選ばない。例え、市民が、国民が、傷つくことになったとしても。
東の森に走るか。西の街外れまで走るか。どちらにしても体力が切れるのが先だというのはわかりきっている。そもそも桂馬は戦闘向きではないのだ。もうすぐ四十になるこの男は、逃げ足はまだそこそこ優れているけれども、スタミナは一般人のそれなのだから。

「桂馬!こっち!」

その声に、反射的に顔を上げる。
目の前で手を伸ばして来たその人物に、桂馬は身をゆだねるように、同じように手を伸ばした。
桂馬の手を握った男は彼の身体を引っ張り自分の後ろへと連れ込むと、その腰に抱えている黒い塊を二つ取り出して、錬磨の足元を狙い、黒い塊の引き金を引いた。
パンパンと、乾いた音が二つ。
銃弾は彼の足元を掠めて、錬磨は反射的に、その足を止めた。
桂馬を助けたその男は、全身を黒いスーツで包んでいるけれども、所々土埃で汚れている。青緑色の髪は暗がりの中でもよく目立つ。項付近は黒色で、そこだけは、丁寧に一つに結ばれていた。
金色の瞳をゆっくり動かし、後ろにいる桂馬をちらりと見る。
彼の無傷を確認すると、二丁の拳銃を持った男は、深々と溜息を吐いた。

「桂馬。お前という男は……相変わらず、無茶しやがるな。」
「悪い。奏眞。助かった。」

奏眞と呼ばれた男は腰に下げたホルダーに二丁の拳銃をしまうと、背中に下げていた鎖の束を握り締める。
ナイフを握り締めたまま、突進して来る錬磨に対して、奏眞はその手に握っていた鎖を放った。
鎖は意思を持った蛇のように空を泳ぎ、錬磨の身体に絡みついていく。
錬磨が力を込めて、鎖を解こうとすればするほど、その鎖は彼の身体へとギチギチ音を立てながら食い込む。
苦々しい表情を浮かべる錬磨に臆することなく、奏眞は拳銃を再び構えた。

「奏眞!やめろ!」
「でも、こうしないとお前、また殺されるぞ。」
「だからって、殺す必要はないだろ!」
「お前が見逃し続けた結果がこれだろう!そもそも!最初から殺しておけばよかったんだ!そうすればお前がネズミのように逃げ回り、地を這いずる必要もなかったんだ!」
「だから!やめろって!」

引き金を引こうとする奏眞の右手を、桂馬は掴む。
桂馬を殺そうとした男。その男を殺すことを拒む桂馬。桂馬のその態度は、奏眞を苛立たせるのには十分であった。
低い声で、唸るように、奏眞は桂馬に訴える。

「命のやり取りってぇのはそういうもんだ。桂馬。てめぇのその優しさは、確かに美徳だろうよ。けどな、甘すぎると、てめぇ自身の命を潰すぞ。」
「……奏眞。わかる。それは、わかる。わかってる。でも。」
「わかってるなら、それまでだ。誰も死なないで大団円なんて、在り得ない。在り得るとすれば、それは、然るべき人間が仲裁にでも入ってくれる時だけだろうよ。」

そんな、神の如き人間は、この場にはいない。
桂馬は息を吐き、震えるその手を、ゆっくりと奏眞から離す。解放された奏眞の手は拳銃を強く握り直し、再び錬磨へ向けられた。
引き金がゆっくりと引かれていく。

「では、俺が仲介をしよう。」

引き金を引ききるその刹那。
空から人が舞い降りて、奏眞と錬磨を繋ぎとめる、黒い鎖の上に見事着地をした。
じゃらじゃらと鎖を鳴らしながら降り立った男は、その身体に茶色いマントをまとっている。
男がマントを脱ぐと、天に広がる青空のような、美しい髪の少年が姿を現した。白く動きやすいその服は、確か。

「……神子の、弟?」

空然地の神子、空高翼の双子の弟。空高青烏、その人が来ていた衣であった。
しかし、違和感がある。空高青烏は、確か、その髪を腰まで長く伸ばしていたはずだ。目の前にいるその少年の髪は、肩のあたりでばっさりと切られている。
イメージチェンジでもしたかのようだ。
そして、その違和感は、本人の口から告げられた。

「残念。俺は神子本人だ。」

少年は、空高翼は笑う。
神子本人である翼の登場に、桂馬も奏眞も、そして、囚われている錬磨もまた、口をぽかんとあけて、唖然とした表情を浮かべていて。

「つ……翼ってあの……空高、翼……?」

一番最初に口を開いたのは、奏眞であった。
奏眞の問いかけに、翼はいかにも、と答え、着地をした鎖の上から飛び降りる。
一拍間を置いてから、桂馬は待て待て待てと、声を荒らげた。

「お前は先程まで酸漿一族の屋敷にいたはずだろう!
「嗚呼、そうだな。」
「聡史の相手はどうした?!」
「勿論、青烏が俺の服を着て相手をしている。まあ髪の長さが違うとはいえ、入れ替わりは俺たち兄弟の十八番だからな。少しぐらい、時間稼ぎは出来よう。」
「……何で、わざわざ……」

桂馬はそう呟いて頭を抱える。
ただでさえ自分の立場は危ういというのに、神子である翼本人が自分のところへ来ているとなれば。そしてそれが聡史に気付かれでもすれば。彼のプライドというプライドはずたずたにされてしまうだろう。桂馬の立場は更に、危うくなる。
今この場の状況を打開したとしても、今後の立場は絶望的だろう。
奏眞が錬磨を殺す。その行為を止めてくれたことには感謝している。けれど、これ以上のことは、桂馬はどうしても避けたかった。
しかし、桂馬のその思いは、翼の言葉によって砕け散る。

「俺は桂馬殿に酸漿一族の頭首になってもらいたい。頭首になってもらいたい人間の元に神子が赴くのは、自然なことだろう。」

その言葉に、錬磨の目が見開かれる。視線が痛い。とても痛い。そんなことを考えながら、桂馬は静かに、頭を抱えた。

 


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