空高編


第4章 神子と一族



翼たちは聡史に促されるまま、屋敷の中を歩いていく。
縁側。中庭。その他の部屋。そして、そこで暮らす一族の人々。やはり屋敷の構造は、空高一族のそれによく似ているし、忙しなく動き回る酸漿一族の人々は皆、聡史が現れる度に、深く深く頭を下げて、それを見送った。
此処の人間は皆、この聡史という人間を一族頭首の代理として敬っている。
代理になる、それよりも前から、きっと彼等は聡史を慕うように言いくるめられていたのだろうということが、よくわかった。

「そういえば、何故、聡史殿が頭首代理を?」
「頭首は僕の父でね。実子である僕が代理を務めるのは、まあ、当然といえば当然だろう?世襲はよくあることだ。君たちだって、そうだろう?」
「まあ、そうだな。頭首の子ども、というものはそれだけで信頼に値する肩書だ。誰かを選ぶというのであれば、頭首の子どもを選ぶのが一番無難だし、万が一のことがあってもそうは責められまい。……だがな。俺は、俺の信頼に足る人間を頭首として選ぶぞ。世襲なんて、関係ない。」
「へえ。貴方は世襲で選ばれたというのに?」
「そうだな。俺は、生まれながらの神子だ。生まれた時から神子として、一族頭首としての運命が定められていた。けれど、な。違う。違うんだよ、聡史殿。俺は確かに世襲で選ばれたのかもしれない。だから今此処にいるのかもしれない。けれど、俺は、これから神子になるんだ。これから、人々に、神々に認めてもらう世界を、創り直すんだ。皆で、手を取り合って。」
「……へえ。」
「故に俺は、俺が選んだ者と、俺が信頼に足ると思う者と、この世界を築いていく。」
「成程。……ねえ。」

刹那。
どたどたどたという、慌ただしい音とともに、体躯の良い数人の男が翼と雷希を囲う。
男たちの後ろで直立不動のまま、聡史は人当たりの良さそうな笑みを崩さない。
しかし、見逃さなかった。彼は見逃さなかった。笑顔を崩さない聡史の眉が、ぴくぴくと静かに痙攣していることを。
そしてその動きが、どのような意味を成すのかを。

「ところで、ホンモノの神子さまは、一体何処へ行ったのかな。」

空高青烏は、誰よりも感情を読み取るのが上手い男から、散々、教え込まれてきていた。


第64晶 他殺の自治と不殺の自治


桂馬も、奏眞も、口をぽかんと開けたまま、その場から動けなくなっていた。
飄々とした表情の翼。
彼の言葉に嘘偽りはないだろう。故に、だからこそ、桂馬は、理解することができなかった。

「俺が、頭首……だと……」

聞き間違えでなければ、翼は確かに、そう言った。
酸漿桂馬を次の頭首にしたいと。酸漿聡史ではなく、桂馬のことを。
だからこそ、この場に赴いたのだと。

「何故だ。」

歯を食いしばった錬磨の歯ぎしりが、ギシギシとやけに煩く聞こえる。
そこに在るのは怒り。しかも、ごうごうと火柱を立てるかのような、烈火の如き怒りだ。
何故。
そう問われた翼は、不思議そうに首を傾げる。

「何故?」

空高翼がいくら世間知らずな少年だと言われていても、錬磨が質問した意図がわからぬ程のうつけではないだろう。
彼はわかっている。
何故、聡史ではなく桂馬を選ぶのだと。屋敷に一歩も入れてもらえないような男を頭首にするのは何故なのかと。
しかしそれでも翼は首を傾げた。
質問の内容がわからなかった訳ではない。
どうしてそんな質問をするのかと、質問の意図そのものに対し、翼は首を傾げたのだ。

「気に入らぬものは殺して排除するような男など、頭首に出来る訳がなかろう。」

そして翼の返答は、極々ありきたりで、しかし、聡史を頭首に選ばぬ理由としては、最も彼らしい返答を述べたのだ。

「錬磨殿。恐らく貴殿は、聡史殿に命じられたのだろう。桂馬殿の殺害を実行しようとした。己の手で直接殺めぬその心意気にも疑問を覚えるが、直接的であれ間接的であれ、桂馬殿を殺害しようとしたのは紛れもない事実だ。そして、それとは対照的に、桂馬殿は錬磨殿、お前を殺さなかった。気に入らぬものを直ぐに殺そうとしてしまうような男なんて、俺は安心して背中を任せられない。いつ俺自身も排除されるかわからんからな。それならまだ、不殺による解決を望んだ、桂馬殿の方がずっと、信頼に足る。」

その瞳は、十八歳のものとは思えぬ、厳しく、そして鋭い瞳であった。
後に桂馬は、この瞳に宿る感情は怒りであり、過去に両親を謀殺された過去を持つ翼だからこそ、その独裁政治により片割れと引き裂かれた過去を持つ翼だからこそ、弟子とされも離ればなれにさせられた翼だからこそ、暴力による統率を何よりも嫌ったのだと、理解することが出来たけれど。
今この瞬間は、彼のその鋭い瞳の意図がわからず、ただただ、無言で翼を見つめるしかなかった。
そうするしかないのは、致し方ないと言ってもいい。
他の者も、此処に居合わせれば、誰でもじっとしていることだろう。
何故そう思うのか。ならば、是非、この場に誰か居合わせて欲しいと、桂馬は願う。
今、ざわざわざわと、嵐でもないのにこの場にだけ吹き荒れる荒々しい風が、この神子の周囲を漂っている、この不気味な光景を見ても、じっとしているだけなのかと言えるのならば。

「……だからって、何で、俺なんだ。」

ぽつりと、桂馬が呟く。
翼が聡史を選ばない理由はわかる。納得のいく理由であるとも思う。
だが、それなら、何故桂馬なのか。聡史ではないというのは納得できても、それでも桂馬を選ぶ理由が、桂馬自身には、わからなかった。

「おや。おやおやおやおや。あれだけのことをしておきながら、貴方、そんなことを言うのですか。」

聞き覚えのない声に、桂馬は目を見開き、きょろきょろと周囲を探る。
人の気配はない。けれど間違いなく、誰かがいる。桂馬でも奏眞でも錬磨でも翼でもない、他の誰かが。

「俺は初めて会った時から、貴方のことは気になっていた。けれど、決め手になったのはこの方の言葉でね。」

翼はそういうと、首から下を隠していたマントをひらりと広げる。
彼がマントを広げると、その肩に、真っ白な猫が一匹掴まっていた。
ニャア、と猫らしい鳴き声をあげて地面に降り立ったと思ったら、猫はぐにゃぐにゃと身体の形を変えていき、その姿を猫から人へと変えていく。
綺麗に切りそろえられた真っ白な髪。全てを見透かしてしまうような、髪と同じく真っ白な瞳。黒いスーツには見覚えがあった。
つい最近、テレビ越しに彼の存在は見ていたから。

「無色殿。お忙しい中なのに来ていただいて、感謝する。」
「何。一応柳靖地は第一の土地……一番目の大使者たる私の土地でもありますからね。神子と共に、頭首の立ち合いぐらいさせていただかないと。」

それは、政府直属特殊部隊、その隊長を務めていた男、無色であった。
特殊部隊は政府が事実上機能を失ったことにより、彼らもまた一時解体状態である。そもそも彼らは政府の暗部だ。このように表立って、しかも日中に動くことは、在り得ない。
それが桂馬の、特殊部隊に対する認識であった。

「あ、あんなこと、って……」
「嗚呼、そうですね。そのことについてもお話したいところです。が、今は正直、それどころではなくてですね。」

無色は桂馬の質問に対してそう答えると、ちらりと顔を持ち上げて、一定方向に視線を向ける。
その方向は、酸漿一族の屋敷がある場所であった。
翼の表情にも曇りが見える。

「流石にバレたか。」
「まあ、バレますね。酸漿一族は読心の心得もあるはずですから、一瞬とはいえ誤魔化せただけ、上々といったところでしょう。私の本体もあちらにいますが、正直芳しくないですね。」
「わかった。」

翼は頷くと、その凛とした力強い視線を桂馬に向ける。

「桂馬殿。俺と酸漿の屋敷へ来てもらうぞ。錬磨殿と、貴殿の友人も一緒にだ。」

彼の言葉に拒否権は与えられていない。
そう悟った桂馬は頷いて、屋敷の方向へと歩を進めた。

 


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