鐘の音が鳴る前に。


本編



軋む扉をゆっくり開けて、屋敷の中へと入ってみれば、辺りはシンと静まり返っていた。
時刻はまだ昼間だというのに、明かり一つついていないこの屋敷の屋内は、まるで、此処だけが全ての時間から取り残されているのではないかとすら思えるほどだ。
けれど、埃が積もった古びた床や、蜘蛛の巣が張り巡らされた天井を見れば、この空間には間違いなく、自分たちと同じように時が流れているのだと思い知らされる。
当然ながら、人の気配は感じられない。
長らく無人であった、家主のいない屋敷には生活感が感じられず、ろくな家具も置かれてはいなかった。

「もう、聞こえない。」

さえるが呟く。
彼女が聞いた音の根源は間違いなく、この屋敷の中にあるのだろう。
しかし、簡単に都市伝説の元へ辿り着かせてくれる程、この物語も優しくはないようだ。
大き過ぎず、けれど、決して小さくはない屋敷の中。
探しものをするのであれば、複数人に別れた方が効率的だろう。

「複数で探す方が、効率はいい。けれど、何があるか保証が出来ない。出来るだけ、固まって行動しよう。」

けれど、この、未知数なことが多すぎる空間の中では、エイブラムの案が、何よりも最良であった。

第14話 取り残された屋敷の中で

一通り屋敷の中を巡って思ったことは、こんなに大きな家なのに、何もない。という感想であった。
いくら数十年と無人であった屋敷とはいえ、こんなにも家具が見当たらない屋敷は他にないだろう。
所々、家具が残っている部屋もあったけれど、そこに残されている家具は、古びた木製の椅子やテーブル、あちこち傷がついていたり子どもの落書きが残された箪笥といった、正直、持ち帰っても売れないだろうと思えるものばかりだ。
箪笥の中を見れば、安物のシャツは残されていているが、本来あったであろう場所からごっそり服が抜けている。
まるで、物色でもされたかのようだ。

「売り物になりそうなものや、使えそうなものは、ほとんど持ち去られているな。」
「空き家になった場所から、その手のものを盗む輩もいるのだろう。……けれど、持ち去られたのは、もっと前と見ていいだろうな。」
「何故、そう思うんだ?」
「見てみろ。」

宰の問いかけに、エイブラムはごそごそと箪笥の中を物色して、一枚のシャツを取り出す。
それは、白いシャツだ。
男物であるということはすぐにわかったが、これが何を意味するのだろう。そう思ってタグを見てみれば、そのシャツの適正身長は、160センチ程のものであった。

「これは桐箪笥だ。子どもの落書きがあるから売り物にならず、置いて行かれたのだろうが、ものとしてはかなりの上物だ。その中に保存されていたから、保存状態はいいのだろう。小鳥遊浮は両親を亡くした後、一時期親戚に引き取られていたらしいが……宰。元副担任のお前なら、生徒の情報は、多少記憶しているだろう。」
「……残念ながら、俺は人の顔を覚えるのが苦手でな。生徒の名前と顔なんて、ろくに一致しないし興味もない。けれど、……小鳥遊のことは、多少は知っている。中学生の時、本人が住所変更の旨を学校に届け出たんだ。初等部のときは確かに親戚の家が住所であったが、中等部以降、住所は変更されている。住所そのものは記憶になかったが、恐らく、中等部以降はこちらに戻ったのだろう。」
「何故中学生の子どもが、この広い屋敷で一人暮らしをしていたのかとか、身元はどうしていたのかとか、突っ込みどころは多数あるが、そこは置いておこう。つまり、小鳥遊浮は中等部以降、此処で住み始めた。幼児服は殆どなく、大人用の礼服やドレスの類は一切ない。けれど、中学生ぐらいの子どもが着用するであろうシャツは残されている。……大方、物色されたのは両親が死亡した直後だろう。」
「大方、形見分けと称して持ち去ったのだろうな。」

エイブラムは深いため息を吐いて、シャツを綺麗に畳み、箪笥の中へと戻す。
両親を喪った幼い子どもが、両親との思い出の品を次々持ち去られてしまったのを見て。ようやく帰って来た、両親と過ごした時の面影が全くない屋敷を見て。
彼は、どんな気持ちでこの屋敷で、亡くなるまでの数年間を過ごしたのだろう。
その問に答えるものは誰もいないし、答えることが出来るであろう本人に出会えたとしても、きっと、答えることはない。
次の部屋に向かおうと言うエイブラムの言葉に従い、宰たちは、箪笥が取り残された部屋を後にする。
そこからは、数室、何も置かれていない空き部屋が続いた。
広さはある程度あったので、使用人や親族が他にも住んでいたのかもしれないが、これ以上想像することは出来ない。
更にもう一室、部屋を覗き込めば、そこには、いくつかの家具がまだ残されていた。
しかし、小鳥遊浮の姿はないので、この部屋がアタリかハズレかで答えるのならば、ハズレになってしまうのだろう。
きょろきょろと部屋を見回しながら、奥へと進む。
そこで、八月朔日がこれ、と呟いて持ち上げたのが、埃のかかった写真立てであった。
八月朔日が手で埃を払うと、そこから顔を出したのは、若い男女であった。
黒髪の男は赤い瞳を細めて、少し、恥ずかしそうに微笑んでいる。隣に立つ翠色の髪の女性は、幸せそうに、満面の笑みを浮かべて、立っていた。

「……彼の母親は、祖父である彼女の父親によく似ていたんだな。」

エイブラムが、懐かしむように呟く。
きっと、かつての仲間であった男と、面影を重ねているのだろう。でも、笑顔は母親に似ているな、と、呟く彼の声は優しげだ。
この写真が飾られているということは、此処は、夫婦の寝室だったのだろう。
写真立てにしても、多少埃はかかっているが、この部屋は他の部屋よりも比較的埃や汚れが少ない。
定期的に、誰かが訪れているのだろう。
訪れるとすれば、一人しかいないのだが。

「両親が、恋しいのかね。」

読が呟く。その呟きに、当たり前だよ、と、声を出したのは、八月朔日であった。

「いくつになっても、親っていうのは、自分にとって、重要なものだもん。いい思い出も悪い思い出も全部含めて、両親の存在が、自分という存在を作る土台になるんだから。……きっと、都市伝説になってしまった後も、ずっと、恋しかったんだよ。」

彼女の言葉に、誰もが沈黙する。
決してその沈黙は批難故ではなく、言葉に迷う故でもなく、言葉を発する必要がない故、工程故の沈黙であった。
両親というものは、人生の指標だ。
良い両親に巡り合えたのであれば、彼等のようになろうと、そう、思うだろう。逆に、暴力を振るったりするようになれば、ああはなるまい、と、固く誓う。
人格を形成するにあたって、意識的に、もしくは無意識に、両親と比較を行い、成長していく者は、少なからずいるはずだ。
斬り捨てたいほど憎いとしても。離れがたいほどに愛おしくても。
世界から斬り捨てられて。家族を奪われ、尊厳を奪われ、命を奪われ。その果てに、人々を死へと導く都市伝説へと成り堕ちた男は、どんな気持ちで、両親の写真を眺めていたのだろうか。
両親が純粋に恋しい故に眺めていたのか。彼等の元へ逝きたいと思っていたのか。それともただふらりと気まぐれに立ち寄っただけなのか。
八月朔日は静かに、写真立てを、元在った場所へと戻した。

「……エイブラムさん?」

八月朔日が声をかける。
彼が部屋の中を探し、見つけたのは、一冊の古いノートだった。
ノートの中身は日記になっていて、日付と文字が刻まれているが、日付は何十年も前に古く、文字は色褪せて掠れている。
紙が茶色に変色をしていることから、そのノートが、どれだけ年季が入っているかがわかった。
掠れた文字は辛うじて読もうと思えば読めるけれど、そもそも、言語が古いのと、この国のものではないことからうまく、読み取ることが出来ない。
文字は細く、丁寧に書かれている。掠れていても読もうと思えば読めることから、走り書きではなく、一文字一文字丁寧に、噛みしめるように書いているのだろう。この文字を書いた人物は、繊細で几帳面な性格であったのだろうと、よくわかった。

「日記か。」
「嗚呼。しかし、彼女たちのものではない。」

彼は、この本の持ち主が誰なのか、知っているようだ。ぱたんとノートを閉じると、ふわりと、埃が舞った。

「この部屋はこれ以上の収穫はなさそうだな。行こう。」

かつての夫婦の部屋を後にする。
残された部屋は少ない。夫婦の部屋のすぐ近くにある扉を開けると、そこにあったのは、生活感のある部屋であった。
棚があり、箪笥があり、ベッドがあり。ベッドには埃がほどんと付着しておらず、他の部屋と違って、利用者がいるということがわかる。
生活感のあるその部屋には、出入り口が三つ。
まず、宰たちからみて左手には、扉が左右に二つある。そして、右手には、扉はないけれど、黒いカーテンが扉の代わりに設置されていた。
エイブラムがまず先陣を切って部屋の中へと進む。左右にある部屋のうち、右側の部屋を、まずは開ける。
そこには長細い台のようなものが設置されていて、その上に、白い棺が置かれている。
恐る恐る棺の中を覗き込めば、そこには、何もなかった。けれど、亡くなった人間をまず、此処に寝かせるのだろう。そう思えば、此処は、霊安室と受け取って差し支えない。
次は左側の部屋を開ける。
その部屋の中には、大人一人横になることができる大きさの、小さなビニールハウスがあった。
ビニールハウスの中には真っ白な百合の花が、綺麗に咲き誇っている。棺に入れる用に、栽培でもしているのだろうか。
読がそう呟けば、違う、と、宰が否定する。

「百合の花が咲き誇る場所で眠れば、綺麗に死ねるという噂がある。基本的に植物は、太陽光を浴びて光合成をしながら、二酸化炭素を吸収して酸素を吐く。しかし、夜間であったり、光合成が出来ない場合は、我々と同じように酸素を吸って二酸化炭素を吐くんだ。そんな植物に覆われた場所で一晩眠れば、たちまち窒息死するという仕組みだ。見てみろ。」

宰がビニールハウスの中心を指差す。
よく見れば、所々、何かがのしかかったせいか植物の茎が折れている場所があった。そこに、人が寝かせられていたのだろうと、想定される。

「悠久休暇を訪れた者は花の香りがする。都市伝説のカラクリはこれだろう。これなら綺麗に死ねて、尚且つ幻想的だ。練炭自殺よりもずっと響きがいい。」
「……お前、詳しいんだな。」
「昔調べたからな。ただ、手間暇がかかるし百合をこれだけたくさん育てなければいけないという前準備を考えて、面倒だから止めた。」
「……宰さん……」
「もうしようとは思ってないから、多めに見ろ。」

さえるが、何かいいたげにじとーと宰のことを見つめるので、宰は困ったように呟く。
彼の弁明が聞き入れられたのか、さえるは、目を細めてこちらに視線を送る、ということはひとまず取りやめてくれた。
彼女にそんな視線を浴びせられると、流石に心が痛い。

「残るは、あそこか。」

一同は部屋を出て、最後に残された、黒いカーテンのかかった部屋へと、足を運ぶ。
部屋からは、ふわりと、甘ったるい香のような香りがした。
脳が痺れるような力強いその香りは、こちらの判断力を低下させてしまう程に、甘くて、甘くて、吐き気がする。
暗がりのその部屋に灯された灯りは、一本の蝋燭。ゆらゆらと、橙色の光が、周囲を温かく照らしていた。
目の前には、黒い背中。
真っ黒の服に、真っ黒な髪。大きな椅子に深く腰掛けている。真っ黒なその人物は、椅子に腰掛けたまま、こちらへ振り返ることなく呟く。

「ちゃんと扉から入って来ないなんて、酷い客人だね。」

少し高い、若い男の声だ。
優しく甘いその声に、一同は、思わず身構える。

「まあ、でも、よく考えればあっちも玄関か。間違ってはないね。うん。どうやって入ったのかは知らないけれど、普通の客人ではないということだけはわかるかな。」

そう言って、青年は、うんと背伸びをした。
椅子から立ち上がり、こちらへと身体を向ける。黒い、神父が着るような祭服に、真っ黒な髪。その黒さを更に引き立たせる、青白い肌。そして、不気味なほどに、血のように赤い瞳。
よく見ればその祭服は、見覚えがある。
エイブラムが見せてくれた写真の男たちが着ていたものだ。
それを着ることが出来るもの。それを持つことが出来る近しい人物。嗚呼、よく見れば、彼の顔は、あの若い夫婦の、男の方によく似ている。けれど、穏やかそうな瞳の形は、女の方に、母親に、よく、似ていて。この男が誰なのかが、すぐに、わかった。

「いらっしゃい。悠久休暇へ。」

そして、目の前の青年、小鳥遊浮は、宰たちに優しく微笑んだ。

 


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