鐘の音が鳴る前に。


本編



「私と読は、これから悠久休暇を探す。」
「探して、どうするんだ?」

宰が問いかけると、エイブラムは、懐からあるものを取り出して、テーブルの上に置く。
ごとりと、重量感のある音を立てて置かれたそれは、木で出来た一本の杭であった。
所々から蔦や草が生えているそれは、一見古びているようにも見えるけれど、触れてみると杭本体はしっかりとしていて、地面に打っても十分食い込んでくれそうな質量がある。
エイブラムは再びそれを懐に仕舞いながら、アルバの形見だ、と、呟いた。

「彼が神器を封印した際に、一本の木が生えた。その木は形を変え、悪用されることがないよう、海の向こうへと渡っていった。けれど、その一部を使って生み出したものがこれだ。だから、これも神器の一種と言えるだろう。神器を無効化するための。」
「……じゃあ、それを使って……」

宰はそれ以上、何も言わない。否、何も言えなかった。
エイブラムも、宰の心情を察したのだろう。困ったように、悲しそうに、彼は、曖昧に微笑んだ。

「小鳥遊浮は……不憫だと思う。同情すべきところは多々ある。けれど、だからといって、悠久休暇を野放しにしておくことはできない。だから、私と読は、悠久休暇を探し、小鳥遊浮を討つ。」

お前達はどうする。
エイブラムは、宰たちにそう、問いかけた。
引き返すこともできる。その瞳は、そう言いたげであった。

「お前たちは、民間人だ。読は……まあ、この性格であるし、付いて行くと聞かないからな。ともかくとして、だ。お前たちは、ごく普通の人間だ。神器とは何も関係がない。ただ、小鳥遊浮の関係者であるというだけであったり、都市伝説の存在に、意を唱えるだけであったり、動機は様々だろうが、わざわざ、見たくないものを見るために、ついて来る必要もきっとないだろう。」

それは、彼なりの優しさだ。
これ以上悠久休暇に関われば、必然的に、小鳥遊浮の二回目の死を、見届けることになるだろう。
突き放しているようにも聞こえる言葉ではあるが、これ以上、業を背負う必要がないという、エイブラムなりの気遣いであるということは、容易に理解することが出来た。
故に、宰は、首を横に振る。

「俺も行く。行かなければいけない。悠久休暇は、彼が犯した罪であり、それを生み出すことになったのは、彼を死なせた、俺の罪だ。」
「……宰さん……」

宰の服の裾を掴んで、さえるが見上げる。
自分に助けを求めてくれた、幼い少女。か弱く脆く、けれど強いその少女を撫でながら、宰は、ふと、微笑んだ。

「さえる。お前は此処で待っていろ。必ず帰るから。」

そう言えば、さえるは、ぷるぷると首を横に振る。

「私も行く。行かせて。だって、その人、人を“死”へと、導くんでしょう?私の願いとは、逆。だから、だからこそ。私も、その人を止めたい。だから、行かせて。」

本来であれば、彼女の身を案じ、止めるのが正解なのだろう。
けれど、そう訴えられてしまえば止めることも出来ないし、付いて行きたいと言ってくれることで、喜んでいる自分もいた。
彼女を止める理由はない。
仕方ないなと言いつつも、宰は、その頬が緩むのを、抑えられずにはいられなかった。

「……私も。」

ぽそりと、消え入りそうな、けれど、芯の通った声をあげたのは、八月朔日であった。

「私も、連れて行ってください。どんな形でもいい。浮くんがそこにいるなら、私は……。」
「結局、全員ついて来ることになりそうだね、祖父様。」

読がやれやれと肩をすくめながら笑っていると、エイブラムも、彼と全く同じ仕草で、笑ったのだった。


第13話 都市伝説を探して

外に出て早速、一同は途方に暮れていた。
悠久休暇を探す。
その思いのもと、外へ出たはいいけれども、肝心の悠久休暇が何処にあるのか、どう探せばよいのか、さっぱりわからない状態であったのだ。
思えば、正体不明で、場所もランダムに現れる都市伝説だ。そう簡単に、出会えるようなものではない。

「……読。お前、こういうの得意だろう?心当たりとか、ないのか?」

エイブラムがそう問いかければ、読は「残念ながら。」と一言呟いて、首を横に振った。

「それがわかっていれば、そもそも一人で先走っているさ。我は自分の性格は、これでも熟知しているつもりさ。」
「そうか。知っていなくて助かったしそういうところばかり似てもらっても困るよ、全く。他に、
悠久休暇に心当たりのある者はいないか……?」
「昔、少し、見たことがある。」

宰がぽつりと、ぎょっとしたように、エイブラムたちは宰に視線を送る。
突然人々の注目が自分に注がれたことで、内心冷や汗をかきたい思いを感じながら、宰はただし、と言葉を付け加える。

「前までは頻繁に見かけたが、今では全くだ。見る影もない、というか、その、すっかり見かけないようになってしまって……意識していなかった故に、余計かもしれない、が。」

原因は、自分なりにわかっている。
都市伝説のことを考えれば、自殺志願者を支援する悠久休暇が現れるのは、自殺志願者の前だけなのだろう。
そう考えれば、読やエイブラムの前に、簡単に現れる訳がない。
宰自身も何度か、それと思わしき怪しい扉は見かけたことはあるものの、よくある怪しい風俗店か、それとも裏家業の何かかと思っていたし、そんなものが実在するとしても、死ぬならば自分自身の手で、という思想のもと動いていた宰にとっては、眼中にないものであったのだ。
だからといって、このまま街中でただただ棒立ちしている訳にもいかない。しかし、あてもない。
どうしたらよいか。
大の大人が複数人で頭を抱えていたその時、さえるが、ふと、顔をあげた。

「……さえる?」

宰が尋ねる。
そのさえるの表情には、見覚えがあった。
遠くを見る目。何処でもない何処かを見つめて、何かを見ているような、否、耳を澄ませているような。
そんな彼女の横顔を、何度も、宰は見ていた。

「……まさか、また、鐘の音が……?」

宰が問いかけると、さえるは、頷く。
こんな時に。
否、こんな時だからといって、死の音を聞くことができる彼女のことを放っておくことは出来ない。
悠久休暇のことも大事だけれど、彼女のことは、宰にとって最優先事項だった。

「鐘の音、とは?」

そんな宰に、エイブラムが問いかける。
神器。人為らざる力を授けるものを知っていた彼であれば、伝えたところで、少なくとも頭がお花畑に迷い込んでしまった者だとは思わないだろう。
実は、と、宰は答える。

「さえるは、人の死がわかるんだ。死に直面している人間の終わりが、鐘の音として彼女の耳に届く。原因はわからないが、嘘ではない。俺は、彼女に導かれて、事故死しそうになった子どもや妊婦、そして、寿命を終えようとしている老婆、様々な人に出会った。」
「では、今、彼女にはそれが聞こえていると……この周囲に、死に直面している者がいると?」

宰が頷けば、エイブラムは、無視できないな、と、呟く。

「悠久休暇を探したいのはやまやまだが、死に直面しようとしている人間がいると聞いて、それを無視することは出来ないだろう。まずは、彼女の導きに従う。それでいいかな?」

エイブラムが問いかければ、読と八月朔日は頷く。
了承してもらえた、と、そう受け取って差し支えないのだろう。宰は、さえるの名を呼ぶ。

「案内してくれ。いつもみたいに。」

さえるが頷くと、彼女は、小走りで道を進む。
白いワンピースをふわりと揺らし、細い足を動かして、道をまっすぐ進み、途中で曲がり、またまっすぐ進んで、次は左。今度は曲がらず、ずっと、まっすぐ。
どんどん道を進んでいくが、そこで、宰は、妙だな、と呟く。

「何が妙なんですか?先生。」
「さえるが感知できる死の範囲は、わりと狭いんだ。俺の経験上、範囲はせいぜい半径五十から百メートルぐらいだ。」
「まあ、当然といえば当然だろうな。あまりにも範囲が広ければ、年間で多くの人間が死んでいるのだから、彼女の精神が耐えきれなくなる。五十から百メートルも、広い方といって言いかもしれない。」
「それの、何が妙なんです……?」
「もうだいぶ歩いているだろう。」

そう言われて、八月朔日は、はっとしたような顔をする。
そうなのだ。さえるの進む方向に、彼らも小走りでついてきてはいるけれども、もう、二百メートル、
否、五百メートルは進んだのではないだろうかと、そう錯覚する。
そう考えれば、彼女が音を聞き、進んでいるというのは、通常であればおかしいのだ。
範囲があまりにも離れてる。
実は遠回りしているだけで、範囲内に対象が在るのかもしれない。
そう思いたいところだが、周囲は住宅街で、家屋内で何かが起きているというのであれば、とっくにたどり着いていてもおかしくないように思える。
今回、彼女が耳にしているものは、何かが違うのかもしれない。
その疑惑は、すぐに、確信へと変わる。

「此処。」

さえるがそう言って、立ち止まる。
目の前に在ったのは、古びた、大きな屋敷であった。
門の奥に見える、昔は花が咲き誇っていたであろう庭園は、無造作に草が生い茂っていて何十年も手入れされていないのであろうということがわかる。
屋敷も古びて、ところどころ蔦が生えて、壁がもはや緑色だ。
そしてその屋敷に掲げられている色あせた表札には、掠れた文字ではあるものの、小鳥遊と、書いてあった。

「……これは……旧小鳥遊邸。彼の住んでいた場所か。」
「此処から、聞こえるの。」

さえるが、悲しそうな顔で呟く。
彼女の耳には、どんな音が届いているのだろうか。それをともに感じることが出来るならば、ともにそれを背負いたい。
けれど、この音を聞くことが許されているのは、彼女だけなのだ。
宰は静かに、屋敷を見上げる。

「悠久休暇の扉は、全国にランダムで現れるという。けれど、扉の先にある店。その本体は、何処か固定の場所にあるのだとすれば……この屋敷にあるというのも、納得が出来る。」

エイブラムが手を伸ばして、門を開けようとする。
金属質のがしゃんがしゃんという音が響くだけで、扉が開く気配はない。
予想していたことはいえ、やはり駄目か、と、エイブラムは落胆するように呟く。

「若い頃であったら、神器で薙ぎ払ったり、門をこじ開けたり、よじ登ったり出来たが……流石にこの年では辛いな。」

穏やかな老紳士の顔をしているくせに、なんだか穏やかではない過激な発言が聞こえたような気がする。
それは置いておくにしても、長身の宰でも見上げる門の先端を見て、とてもではないがこの中で強引によじ登れそうなのは読と宰ぐらいだろうということがわかる。
けれど、よじ登ったとしても門についている鋭利に尖った飾り物が、行く手を阻むに違いない。
悩ましげにう唸り声をあげたその時、ざわざわと、庭園に生い茂る植物たちが、ざわついた。
がさがさと草と草がこすり合う音をたてていて、風でも吹いているのだろうかと思ったけれど、風なんて感じられない。
植物たちが、勝手に、ひとりでに、ざわついているのだ。
何が起きているのだろう。
唖然としながら一同が眺めていると、次に聞こえたのは、ぎい、と、金属質のものが軋む音だ。

「門が……」

読が呟く。
鍵がかけられていたはずであろう門が、勝手に開き始めていた。
間違いなく、鍵がかかっていたはずなのに。エイブラムの表情は、そう言いたげで。
彼がわざわざ門が開かないなんて演技をする必要もないのだから、それは間違いないのだろう。
では、何故、門が勝手に開いているのか。
まるで、誰かが、宰たちを招き入れるかのように。

「…………まさか……お前、なのか……?」

エイブラムが、誰かに問いかける。
しかし、問いかけたい相手は、きっと、宰でもさえるでも八月朔日でも読でもないのだろう。
そして、小鳥遊浮でもない。
別の誰か。
彼にとって、深く馴染みのある、そして、きっと、形を為して現れることの出来ない、別の、誰か。

「……祖父さま?」

読がエイブラムに問いかける。
はっと我に返った彼は、もう一度、開いた門を見つめてから、なんでもない、と、呟いた。

「門は開いたんだ。……行こう。」

彼の言葉に、その場にいた全員が頷く。
そして、門をくぐり、屋敷に向かって、歩き始めた。

 


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