鐘の音が鳴る前に。


本編



一週間後、読の連絡を受けた宰とさえるは、とある会社の前に立っていた。
何十階建てなのであろうか、数える気も失せるそのビルに刻まれている、オセロカンパニーという文字を呆然としながら眺めている。
オセロカンパニーといえば、現在、文房具や玩具、菓子とあらゆるメーカーのブランドに名前を連ねる大企業だ。
数十年前に同じような事業を行っていたグレイカンパニーが倒産した際に、その会社を吸収合併して、成長したと言われている。
その会社を立ち上げたのは倒産した会社の御曹司で、大々的な世代交代。所謂下剋上だったのではないかという話があったりもしたらしいが、現在、倒産する気配もなく、オセロカンパニーは順調に経営を続けている。
何故このビルの前にいるのかと言えば、このビルが、今日の待ち合わせ場所であったからだ。

「やあ、先生。それに、そのご夫人。待たせてすまないね。」

ビルから出て来た読が、宰とさえるを出迎える。
話によると、八月朔日は既に来ていて、部屋に通しているということだ。

「おい、読。さえるは別に夫人では……」
「嗚呼、未来の夫人であったかな。確かに、その齢ではまだ婚姻には早いだろう。」

そう言って、クスクスと彼は意地悪そうに笑う。
これ以上は突っ込んでは負けなのだろう。閉口していると、ビルの扉が機械音を立てて静かに開いた。

「さて。ついて来てくれ給え。会わせたい人と、見せたいものがあるんだよ。」

語る読に導かれるがまま、宰とさえるは、ビルの中へと入って行った。


第12話 神器


読に導かれるがまま、連れられたのは社長室であった。
社長室に入ると、そこにいるのはスーツを着た、ロマンスグレーの髪をした初老の男。その顔は、何度か雑誌やテレビでも見たことがあった。
オセロ=グレイ。この会社の社長だ。
大企業の社長と繋がりがあるなんて、読はどういったコミュニティを持っているのだろうと、立ちくらみがしてくる。

「読くん。これで全員かな。」

そう言って、オセロが問いかけると、読が頷く。
硬くなっている宰に対し、そう硬くならないで、と、オセロは穏やかな笑みで笑った。

「話の内容が話の内容だからね。秘密裏に話したいということであれば、僕の会社の一室でもどうだい?って提案したんだ。だから今日は社長だけど、友人の孫の頼みともあれば、断れないからね。」

そう言って、オセロはへらへらと、初老の男だというのに、何処か幼さの残る、少年のそれのような笑みを浮かべる。
よく見れば、客人用のソファに八月朔日が座っている他、見覚えのない人間が一人、座っていた。
オセロよりもいくつか年上と思わしき男だ。翡翠の瞳と、白髪混じりの赤い髪。その顔付きは、何処か読と似ているようにも思える。

「彼はエイブラム=アクロイド。我の祖父だ。」
「突然招いてすまない。実は、オセロにこの場を設けるように頼んで、君たちを呼んだのは、私だ。」

そう言って、エイブラムが頭を下げる。
落ち着きのある男性だ。社長であるオセロと懇意にしているなんて、どんな人物なのだろう。
そんなことを思いながらエイブラムを眺めていると、彼は、テーブルの上に、ことんと音を立てて小さなネックレスを置いた。
赤い宝石が飾り付けられた、女性用のネックレス。もう何十年も昔のものなのだろう。所々古びているが、それでも、大事に保管されていたということは、よくわかるものであった。

「これが、何に見えるかな。」

エイブラムが尋ねる。
思わず宰は、ただのネックレスでは、と返したが、その言葉にエイブラムは小さく笑った。
何なのだろうと首を傾げていると、すまないすまない、と、呟く。

「否、君の回答は正しい。確かにこれはただのネックレスだ。しかし、ただのネックレスであって、ただのネックレスではない。」
「……と、いうと……」
「これは神器だ。」

神器。
その言葉に、その場にいた宰、みえる、八月朔日が目を丸める。
まさか、神器が本当に存在しているなんて。しかも、読の祖父であるこの男が所有をしているなんて。
信じられないという目で見ていると、オセロもまた、テーブルに古びた万年筆を置いた。

「もしかして……」
「そう。これも神器。僕も若いころはやんちゃをしていてね。間違った使い方をしていたんだ。」
「間違った使い方って、例えば……」
「そうだねえ。人を傷つけたり、苦しめたり。ただ、それが正しいことだと思っていたんだ。だって、対象にしていたのは、横領をしていたり、犯罪を犯したことのある罪人だったり、地位や金を使って人を苦しめ、それなのに世間でのうのうと生きているような、そんな、所謂グレーな人間たちだったからね。法の代わりに裁いている。そんなつもりでもいたさ。」

怖いだろう?そう言って笑うオセロの笑みは、ひどく穏やかだ。
こんな穏やかな笑みを浮かべることのできる人間が、数十年前の、この古びた万年筆を使って、人々を苦しめた過去があるなんて、想像が出来ない。
きっと、オセロにとって、十年前の事件を隠蔽した学園関係者は正にその、人々を苦しめてなお世間で平然と生活をしているグレーな人間というものなのだろう。
当時のことを思い出せば、そんな、自身の保身のために逃げ惑う人々を、法に変わって裁いてくれる存在がいたならば。そんな力を持つことが出来たならば。
それに縋る人間がいたとしても、全く不思議には思わない。
それが、当時十代という幼い年齢の少年であったならば、尚更。

「けれどね、それを間違っていると否定して、止めてくれて、更に、更生のチャンスをくれた人間がいるんだ。それが、そこにいるエイブラムだ。彼には、本当に助けてもらったよ。もう彼は定年してしまったけれど、つい最近までは、僕らの母国で部下としても働いてくれていたしね。定年した後も支えてもらいたかったんだけど、引退すると聞かなくて。」
「オセロが働き過ぎなんだよ。私は隠居して、時折遊びに来る孫の話を聞きながら、友人とゲームをして余生を過ごしたいんだ。」

最近のゲームは面白いしね、と、エイブラムがくすくす笑う。
さて、話が逸れたな。笑いながらも、エイブラムはこほんと咳払いして、本来の話題に路線を戻す。

「つまり、神器は実在しているということだ。ただし、数十年前に全ての神器を封印……つまり、無効化したはずなのだけれどね。このネックレスも、万年筆も、今やただの骨董品だ。」

そう言って、エイブラムはつんつんとネックレスを指先でつつく。
コトンと音を立てて動いただけで、そのネックレスは、何か人為らざる力を発揮してくれる気配はない。
彼の言う通り、これは、今やただのモノなのだろう。

「あらゆる物質に神々の心臓が宿ったもの……それが神器だ。故に、神器というものは、色々なものがある。ネックレス。万年筆。杖。ピアス。指輪。そして、ロザリオ。」

懐から古びた写真を取り出したエイブラムは、それをテーブルに置く。
テーブルに置かれた写真に写っていたのは、二人の神父だ。顔を見合わせ、互いに笑い合っている。一人は長身の男で、茶髪を短く切りそろえ、右目の視力が弱いのかモノクルをはめている。もう一人の男は、白みがかった薄緑色の髪を肩より下まで伸ばしていて、その首には、銀色に輝くロザリオが下げられていた。
そのロザリオは、見覚えがある。

「……これは……小鳥遊に突き刺さっていた、ロザリオ……」
「やっぱりな。」

宰の言葉に、エイブラムは、眉間にしわを深く刻んで溜息を漏らす。
その溜息には、落胆と悲しみ、そして、静かな怒りが込められているように感じる。ただし、その怒りは当然、宰たちに向けられたものではない。
どちらかと言えば、エイブラム自身に向けられたもののようにすら、思えた。
何故、彼はやはりと零したのだろうか。そして、この写真の男は誰なのだろうか。宰が疑問に思っていると、その疑問に答えるように、オセロが話を始めた。

「僕たちはかつて、協会と呼ばれる組織に加入していた。神器を集める組織だよ。そして、彼等がその団長と副団長を務めていたんだ。このロザリオを首に下げた青年……アルバさんはね、命を懸けて、その神器を封印したんだ。」
「命を、賭けて……と、いうことは……」
「そう。彼は亡くなった。もう、四十年以上前になるのかな。神器は封印され、当時の関係者は皆、散り散りになった。まあ、僕やエイブラムのように、まだ縁がある人間も何人かいるけれど……自然と会わなくなったり、疎遠になったり。世の中、そんなものさ。あえて、詮索しなかったという人たちだっている。」

彼の奥方とかね。そう呟いて、オセロが見せたのは、女性の写真だ。
淡い栗色の髪に、碧い瞳。大人しそうな綺麗な女性だ。先の薄緑色の髪をした青年と、茶髪の青年、二人の腕を抱いて中心に立ち、微笑んでいる。
よく見れば、こちらの写真のアルバは、茶髪の青年と同じくらい髪が短く、色もはっきりと鮮やかな翠色をしている。こうしてみると茶髪の青年と瓜二つで、まるで兄弟のように見えた。
こちらの写真もだいぶ色褪せていて、かなり昔の写真であるということが、よくわかった。

「これは……」
「エヴァさん。アルバさんの奥方でね。彼が亡くなった後、海を渡った。その理由は、まあ、お家騒動とか、いろいろあってね……彼等の家は、かなり大きかったから。」
「この女性と、アルバという青年は、一体どういった関わりが……?それに、彼が首に下げているロザリオが、何故、あの時、小鳥遊の首に……?」
「簡単なことだ。小鳥遊浮が、アルバとエヴァの子孫だからだよ。年齢的に考えれば、孫にあたるのかな。」
「……孫……?」
「エヴァさんは当時、身籠っていた。腹の子と共に、逃げるように海へ渡った。亡くした旦那の形見を抱いて。その形見の中には、彼の日記や衣服。そして、神器としての機能を失くしたロザリオもあっただろう。彼の孫であるならば、ロザリオを身に付けていても、不思議ではない。」

小鳥遊浮の両親は、彼が幼い頃、既に死亡していた。
故に、誰も小鳥遊がどうしているのか、近況を知る術を持たなかったのだろう。彼等の平穏を願って、あえて接触せずにいたのであれば猶更だ。
もし、もっと調べていたら。エイブラムが言葉を零す。

「そうすれば、彼を保護することだって出来た。きっと元気でやっているだろうと、幸せにしているだろうと、希望的観測から何もせずにいた結果がこれだ。アルバさんたちには、世話になったというのに……あの世に逝っても、彼に顔向けできないよ。」

先の溜息の中に込められていた、怒りの真意はこの言葉に尽きるのだろう。

「神器は無力化されていた。けれど、彼は……アルバさんの孫だ。神器に適応する者を共鳴者と言うんだけどね、彼にも、その才があったのだろう。そう思えば、宰。貴方が十年前に見た現象についても、頷ける。神器は間違いなく実在し、そして、その力を発動させた。……その証拠がこれだ。」

エイブラムが宰に手渡したのは、黒い手帳。
これは古びたものではない。比較的、新しいものだ。ぱらりと手帳を捲ると、隣に座っていたさえるや八月朔日も、その手帳を覗き込む。
スケジュール帳と日記帳を併用して使っていたのだろうか、中を見ると、その日行う予定が青いボールペンで書きこまれ、黒いボールペンで、その時の感想のようなものが書きこまれている。
手帳の年月は今年のものだ。
誰の手帳なのだろう。不思議に思いながらページを捲ると、ある文字が、目に飛び込んで来た。

「……“悠久休暇をついに見つけた。店主は黒髪に赤目の男。客は女子高生。止めようとしたが、店主に睨まれる。気付けば、街中。”……これは……」

つい先日亡くなった、元生徒の手帳だ。

「店を見つける数か月前にも、書かれている。“悠久休暇。自殺志願者を支援する店。バカげている。これは立派な殺人だ。止めてやる。”」

彼は悠久休暇を探していたのだ。
人を死に導く。その行為を批判して。店主のことを止めるために。
そして、あの女子高生が亡くなったとされる日に、彼は悠久休暇を見つけて、実際に訪れていたのだ。

「……やはり、あの女子高生は、悠久休暇を利用して亡くなっていたのか……」

手帳を更に捲る。そこには、“蒼ヶ崎学園。女子高生の母校。彼女が知っていた=悠久休暇の都市伝説を知るものがいるかもしれない。”という書き込みが、乱暴に箇条書きで書かれていた。
あの学校へ赴いたというのは、偶然だったのだろう。
この青年は、十年前の事件を忘れていたのだ。全てを忘れて、生きていた。だから、結びついていなかったのだ。店主と、悠久休暇と、十年前の事件と。
そして、赤い文字で、こう、綴られていた。

「……“なんてことだ。店主は小鳥遊だ。あの時死んだはず。殺したはず。どうして。”」

当時の感情を彷彿とさせる、震えたような、乱れた文字。動揺と焦りが読み取れる文字。手帳はそこで、途切れていた。

「手帳の入手ルートは、内緒にさせてくれ。でも、この手帳は、彼の部屋にあったそうだ。万が一を考えて、手帳を彼に見られたくなかったんだろうね。意図的に、置いて行ったんだろう。」

彼は最期、どんな気持ちで店へ赴いたのだろう。
絶望していたのだろうか。それでも、彼を止めようと躍起になっていたのだろうか。今となっては、それを知る術はない。
彼は自ら死を選んだ。わかることは、それだけだ。

「……神器を封印した男の孫が、神器の力で、まだ現世に留まり、人を殺めている。皮肉なものだよ。」
「でも、小鳥遊が、本当に……」
「本当に彼が悠久休暇の店主で。こんなことを、何年を続けているというのであれば、止めなければならない。彼の祖父である、アルバの仲間だった人間として。……だから、私はここに来たんだ。」

本当は、偉そうなことを言う資格はないのかもしれないけれど。
エイブラムはそう言って、困ったように、笑ったのだった。

 


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