鐘の音が鳴る前に。


本編



立っているだけで、頭がぐらぐらと振り回されているような感覚に陥っている。
今にも胃液が逆流しそうになっていて、それを妨げているのは、ふらふらな情けない男の手を握り、支えてくれている一人の少女のおかげであった。
少女は、心配そうに男の青い顔を覗き込んでいる。

「宰さん。やっぱり、辞めておいた方が……」
「いや。まあ、遠目で見るだけ。だから。」

その日、宰は喪服で身を包み、喪服のないさえるは、黒いセーラー服を着ていた。
今日は、十年前の事件を目撃した元生徒の通夜が執り行われる。
何故宰がそれを知っているかと言えば、元学校関係者からお節介混じりの連絡が来たからだ。
だからといって、線香をあげる勇気はないので、せめて、喪服を着て、遠くから眺めようと赴いたのだが。

「……しかし、案の定というか。凄い、な。」

宰はぼそりと呟く。
通夜の会場には、多くの喪服を着た人間が列を作っている。彼は学校を卒業した後、それなりの地位を築いていたのだろう。多くの友人が、彼の死を悼んでいた。
周囲にはそれを報道する報道陣。
世間では十年前の事件が明るみになったから亡くなったのではと言われているのだから、遺族の心理的負担は計り知れない。
報道陣を前に、彼は十年前から素行の良い生徒で、きっと心を痛めていたのだろうと涙ながらに語る人がいれば、彼は外面だけはいいのだからと皮肉を込めて呟く者もいて、彼等は元生徒にとって、敵なのか味方なのか、非常に悩ましい状況だ。
まさに混沌。と言えばいいのだろうか。

「宰さん。そろそろ行こうか?」

そう言って、気遣うように、さえるがスーツの裾を掴む。
彼女の言う通り、長時間留まっていれば、宰が十年前の副担任であり、当事者の一人であるということに気付く人間が現れるだろう。
そうなってしまっては、こちらの心も持たない。
そろそろ帰ろう。そう思って、宰とさえるがその場を去ろうとした、その時。

「萩野先生……?」

一人の女性が、宰のことを呼び止めた。


第9話 繋がる事件と都市伝説


「萩野先生。萩野先生、ですよね。」

声をかけて来たのは、一人の女性であった。緩いカーブのかかった亜麻色の髪を背中まで伸ばしていて、一部は三つ編みにして結んでいる。
黄緑色の瞳には憂いがあり、夜空を連想させる黒いワンピースがまるで喪服のように映った。
懐かしむような、微笑みを浮かべるその女性には、見覚えがあるような、ないような。宰は女性を眺めて、首を傾げる。
元来、人の顔を覚えるのは苦手なのだ。
女性もそれを察したのか、すみません、と、一言置く。

「八月朔日です。八月朔日皐。えっと……覚えて、ない、ですかね?」
「……八月朔日か。嗚呼、あの、その、少し覚えている。少なくとも、その名前は。」

八月朔日皐。
彼女は元蒼ヶ崎学園のOGであり、十年前転落した男子生徒や、今回自殺した元生徒とは同級生の間柄だ。
珍しい苗字であったことから、その名前は、記憶していた。
しかし、当時と比べて顔つきも大人びているし、よく見れば面影があるけれども、一見しただけでは中々結びつかない。
そもそも普段顔を合わせている生徒は皆制服を着ていて、制服から私服になった途端、認識できなくなるのはよくあることだったのだから、十年経った状態で私です、と言われてすぐわかる訳がないのだ。
否、普通、教師であればわかるのかもしれないけれど。

「どうしたんだ。こんなところで。……とはいっても、だいたい、想像はつくが。」
「あ、はい。たぶん、先生と同じ理由です。」

そう言って、ちらりと、八月朔日は通夜の会場を一瞥する。

「正直、亡くなった生徒には興味がないんです。」

八月朔日は冷淡に呟いた。
言われれば、納得出来る。遠目に見るだけとは言っても、喪服を着ずに、この周辺を歩いていたのだからそれが証だろう。
亡くなった元生徒を悼むつもりは、毛頭ないのだ。

「でも、十年前の事件を思い出したから、立ち寄ったんです。……いえ、順番が違いますかね。彼が十年前の事件に関係している人だったから、立ち寄ったと言えば、いいのでしょうか。」

そう零す八月朔日の瞳には、燃えるような小さな焔があった。
怒り。悲しみ。しかし、その対象は、亡くなった彼に対してではない。

「先生。私は、今でも、浮くんの死が事故だったなんて、考えられないんです。」

浮。それは、十年前に亡くなった男子生徒の名前だ。
小鳥遊浮。屋上から転落をして亡くなった男子生徒。屋上で、事故により亡くなった不幸な生徒。

「だって、浮くん、虐められてたから。ずっと、ずっと。私のせいで。私を庇って……!」
「……庇って?」
「確かに浮くんは、クラスから浮いてました。でも、最初は少し避けられていたくらいだったんです。初等部の時に、虐められた私を庇って、それから長年、ずっと、ずっと、浮くんは私の代わりにターゲットにされて、虐められていたんです……!」

八月朔日の叫びのような言葉に、宰は、眉間の皺を深く刻む。
虐められていた。その言葉を聞いて、元教師として、元副担任として、そうかと無表情で頷くことが出来る程、宰は人間を棄ててはいない。
彼の様子を察したのか、さえるは心配そうに、あの、と小さく呟く。彼女の存在に気付いた八月朔日は、顔を青くして、すみません、と、呟いた。

「……萩野先生に、今、言っても、仕方ないのに。」
「否、いい。本来、受けるべき言葉だ。……薄々、気付いていた。けれど、担任に進言しても、あしらわれた。それ以上の行動に移すことが出来なかった、私の罪であり、罰でもある。」
「……萩野先生……」
「そんな顔をするな、八月朔日。さえるも、気遣ってくれてありがとう。」

二人の女性が暗い顔をしている様を見るのは、正直堪える。
だからといって、気の利いた言葉を言える訳でもないし、言える立場でもない。
さて、どうしたものかと思っていると、コツコツコツと、ブーツでコンクリートを蹴るような音が、静かに響いた。

「失礼。」

そう声をかけて来たのは、少年だった。
燃えるような、ふわりとした癖っ毛の赤い髪は彼岸花を連想させる。翡翠の瞳で宰を見据えた少年は、にやりと不敵な笑みを浮かべてみせた。
詰襟のその制服は、蒼ヶ崎学園のもので、彼が、現在学園に通っている生徒であろうということだけは、わかる。
けれど、現役の生徒とは特別面識を持っている訳ではない。この生徒は、何故こちらに来たのか。

「貴殿らは、十年前の事件の関係者だろう?」

そして何故、十年前の関係者だと、人目でわかったのか。
背中に、じんわりと汗が滲むのを感じていると、警戒しないでくれ給え、と、わざとらしい言葉遣いで少年は答えた。

「我には多少、視えてしまうものでね。こちらに、彼の青年と同じ十字架を持つ者の気配を感じ、来てみたところ話し声が聞こえたものだから……嗚呼、勘違いをしないでくれ給え。我は別に、貴殿らを責めに来たのではない。ただ純粋に、知的好奇心故から、貴殿らに話を聞きたいのだ。」

勿体ぶった話し方だ。
恐らく、その年頃特有の精神的な病を患っているのだろうということだけはわかるが、そこに突っ込みを入れても仕方ないだろう。
面白半分で首を突っ込むなら他を当たってくれ。そう言って、突き放そうと思ったけれど、次に放たれた彼の言葉により、その意を削がれることになる。

「今回自殺した元生徒と我は顔見知りでね。会ったんだよ、学園で。とある都市伝説を調べに来た彼と、ね。」
「……都市伝説……?」
「そう。都市伝説。悠久休暇、という都市伝説は知っているだろう?」

悠久休暇。
自殺志願者を支援する店の都市伝説。その話が、まさか。

「まさか、都市伝説の話を此処で聞くとは思わなかった……だろう?」

そう言って、少年が笑う。
悔しいけれど、少年の言う通りだ。悠久休暇を調べていた元生徒。しかし、その死にざまは、悠久休暇を訪れた客人の末路に酷似していた。
悠久休暇を調べていた男は、悠久休暇を訪れ、死んだのだ。
では、何故、調べていたのか。
店を訪れ、命を絶つ。そのためだとでも、言うのだろうか。

「あの男が、何故都市伝説を調べていたかは、今の我にはわからない。けれど、彼は、都市伝説を調べるためにこの学園を訪れ、そして、我はある言葉を彼に投げかけた。そしたら彼は、はっと、何か、真相に気付いたかのような顔をして、学園を去った。その後は、貴殿たちも知った通りの末路だろう。」
「……なんて、言ったんだ?」
「十年前の目撃者二人が、過去に亡くなっているというのは、知っているかな?」
「……嗚呼、知っているよ。ニュースで聞いた程度だがな。」
「……目撃者二人が亡くなったころと、都市伝説が広がり始めたのは、時期が重なる。目撃者の死こそが悠久休暇の原点であり、店主はその関係者であるのが我の持論だと。彼に、そう告げた。」

その言葉に、宰も、そして八月朔日も、その目を見開いた。
自身の言葉に驚愕を覚えてくれたことに、喜びを感じつつ、少年は更に言葉を紡ぐ。

「青年は我に、ありがとうと、言っていた。何かに気付いたように。悠久休暇と十年前の事件はきっと……否、間違いなく、繋がっている。」

故に、教えて欲しい。そう語る少年の顔は、真剣だった。

「十年前、何があったのか。この悲しい都市伝説は、人によっては救いかもしれない。けれど、存在してはいけない都市伝説なんだ。……白の君。貴殿なら、それがよくわかるだろう。我と同じ、感じることが出来る者よ。」
「……!」

さえるは、「死」の音が聞こえる。
それを知っているのは、現在、宰だけのはずだ。出会ったばかりの少年に、それを知る術はない。
この少年は、ただの中二病患者ではない、ということなのだろう。

「……萩野先生。私も、私も知りたいです。十年前、浮くんに何があったのか。先生の知る限りを、教えて欲しいんです。」

宰は、はあ、と息を吐く。それは、観念したかのようにも思えるものであった。

「……わかった。ただし、場所は移す。他の人間に聞かれては面倒だからな。それでいいな。」
「嗚呼、構わないよ。」
「少年。名前を教えてくれ。いつまでも見ず知らずの他人という訳にもいかないだろう。」
「嗚呼、そうだな。……我は読。比良読という者だ。蒼ヶ崎学園の二年生だ。よろしく頼む。」

そう言って、少年、読は深々と頭を下げた。

 


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