鐘の音が鳴る前に。


本編



「ねえ。そんなバカなことしてさ、楽しいの?」

その言葉は、賑わっていた教室をシンと静まり返らせた。
教室の真ん中には、数人の男子児童。そして、男子児童に囲まれている女子児童は、自分の身を護るように身体を丸めていた。
白い制服は所々汚れていて、その目には、透き通った大粒の涙が溜められている。
その様を見て、少年は、あーあ、と深く溜息を吐いた。
長い前髪から覗く、血のように赤い瞳で男子児童たちを見据えると、彼等は、まるでバケモノでも見るかのように、ビクリと身を震わせた。

「なんだよ、お前!人殺しの癖に!」
「そうだ!知ってるんだぞ!お前に関わった奴、みぃんな死んじまったんだろ!」
「ひっとごろし!ひっとごろし!」

それを言い始めたのは一人だった。
けれど、少しずつ、まるで、何かのウイルスに集団感染でもしたかのように、クラスの児童たちは人殺しと、少年に叫び始める。
教室中が、少年に対する「人殺し」コールで包まれる様は、異常以外の何物でもなかっただろう。

「あはっ、はは、アハハハハハハハハハハハハ。」

しかし、今、この教室という密室に閉じ込められた児童たちにとっては、この一人の少年の笑い声こそが、最も異常なものであった。
腹を抱えて、少年は、面白そうに、笑っている。気付けばコールは止み、教室中には、少年の笑い声のみが響き渡っていた。

「ははっ……はー、おっかし……」

ぼそりと呟き、少年は、ゆらりと揺れる。
クラスメイトを睨むその赤い瞳は、決して、十二歳の少年が宿すことの出来る瞳ではなかったと、その場に居合わせた生徒たち全員が後に語ることが出来るだろう。
そんな瞳で彼等を見据え、少年は、小鳥遊浮は、彼等に、こう告げた。

「そうだよ。僕は人殺しだ。だから、僕に関わったお前らもみぃんな、死ぬことになるだろうね。」

狂っている。
そうとしか言えない、悪意ある言葉。その言葉に恐怖を覚えた男子生徒は椅子を持ち上げて。

「ッッ。」

ガタリと、座っていたソファから崩れ落ち、そこで小鳥遊は意識を覚醒させた。
床に崩れ落ち、仰向けになりながら見上げるそれは、埃がかった薄暗い天井。つい先程まで見ていた、蛍光灯のついた明るい教室とは正反対なものであった。
懐かしい夢を見たな。そんなことを思いながら、小鳥遊はぼうっと天井を眺めつづける。起き上がる気にはなれない。
今思えば、あれから、自分の転落人生はスタートしたのだ。
否、両親が死んだあの時から、自分の人生なんて転落しっ放しだ。虐めが始まったくらいで、転落なんて言ってしまっていいのかすらも悩ましい。
両親の死。義父母の虐待。あの地獄絵図を鑑みれば、同い年の子どもたちからの虐めなんて、子犬に噛まれた程度のものだ。今更心を刷り切らせるようなものでもない。
まあ、所詮その程度という認識であったものに、結局は命を奪われたのだから、本当に自分の人生はどうしようもないと、しみじみ思う。

「……あの女。」

ぼそりと呟く。
男子生徒に虐められて、丸くなって泣いていた、無力な少女。名前は確か、八月朔日と言った気がする。
自分と負けず劣らず、読めない珍しい苗字だなあと、思った記憶だけはあった。

「何で、助けたんだろうなあ。」

助ける必要なんてなかった。
別に、無視をしていればよかったのだ。それなのに、助けてしまい、それが原因で、自身の寿命を何十年と縮めたのだ。
けれど、助けたことを後悔しているかと問われれば、不思議と、その答えは「否」と言い切れる。

「何でだろう。」

もう一度、呟く。
彼の疑問に答えてくれる者は、まだ、誰もこの場にはいなかった。


第10話 男子高校生転落事件


目の前に広がるそれは、地獄であった。
力無く投げ出された身体は血の池にぷかりと浮かんでいて、開かれた赤い瞳は虚空をぼんやりと眺めたまま、何も映し出していない。
喉に突き刺さったロザリオがあまりに痛々しくて、咽かえるような血の香りに、思わず吐き気が込み上げる。
嗚呼、もう、ぐしゃぐしゃだ。
素直に、そんな感想を持ってしまう。
サスペンスドラマで出て来る転落死体が、所詮ドラマで、どれだけ状態が良いものか、痛感した。

「……冗談、だろ……」

誰に言うでもなく、宰は呟く。
だって。だって。朝には、気だるそうな雰囲気こそあったけれど、普通に、動いて、挨拶をすれば、おはようと、呟いて。
あんたは声掛けてくれるんだね、なんて、そんな皮肉を言いながらも、微笑んでくれた少年は。
今、二度と言葉を話すことのない、死体となって転がっている。
ちらりと、三人の生徒を見る。青い顔をした彼等は、違うんです、と、絞り出すように言葉を出した。

「わざとじゃないっ!わざとじゃないんだ!ちょっと小突いて、まさか、本当に落ちちゃうなんて思わなくて……!」
「先生、俺、どうしよう……先生……」

どうしようなんて、こっちが聞きたい。
ズキズキと頭の端が痛むし、吐き気が込み上げる。
まずやるべきは救急車や警察を呼ぶことだろう。生徒たちを現場に立ち入らないようにして、遺体が視界に入ることを防がなければいけない。
ポケットに入っていた携帯電話でそれらを呼びつつ、職員室に電話をかけ、事態を伝える。
本来であれば遺体をどうにかしてやりたいが、現場検証をしないとならないのだから、触れるべきではないのだろう。
しかし、この様のままにしておくのは、あまりにも、遺体となってしまった小鳥遊に不憫だ。
せめて、喉に突き刺さっているロザリオだけでも、どうにかしてやれないだろうか。そう思って、いけないとわかりつつ、手を伸ばそうとした、その時。

「……な……」

ロザリオが、翠色に、淡く光り輝いた。
何か飾りでもついているのだろうかと当初は思ったが、そういう訳でもないらしい。ふわりふわりと、蛍のように淡く光り輝くそれから伸びたのは、青々とした、植物であった。
ロザリオが突き刺さった喉から伸びた植物の蔦は、みるみる、小鳥遊の遺体を包んでいく。
あまりにも不気味で、非現実的な光景を目の当たりにして、三人の生徒は、ヒィ、と、悲鳴をあげて、その場に座り込んでしまう。
呆然とそれを眺めていると、宰を呼ぶ、教師たちの声が聞こえた。

「萩野先生!どういうことですか!生徒が死んだって……」

慌てて駆けつけて来た、複数の教師。
その中には、担任の姿もあった。力無く倒れる小鳥遊の遺体を見て、また、悲鳴があがる。
頭部はぐしゃぐしゃで血まみれで、更に喉にロザリオが突き刺さっている不気味な死体だ。叫ぶなという方が、無理があるだろう。
ずんずんと歩いて来た担任が、小鳥遊の前で膝を降ろすと、生えている植物に手を伸ばす。

「何なんだコレは。蔦か?」

植物に触れた途端、それは、薔薇のような棘を生やし、担任の指を貫いた。
担任が、痛みで、赤い血を滴らせながら悲鳴をあげ、手を放す。すると、その植物はまた、元のただの蔦へと戻った。
まるで、小鳥遊に触れさせないように、彼を守るように、その緑は、生い茂っていたのだ。
始めは首元から生えているだけだった植物は、胴体に、腕に、足に、徐々に絡みついていく。また手を伸ばせば、先程みたいに棘で拒まれてしまうだろう。
唖然とその様を見つめていると、サイレンの音と共に、白い白衣を着た人々や、黒い制服を着た人々が駆け付けた。
先程電話をしたのだから、救急車とパトカーが駆け付けたのだろう。思ったよりも早い到着だ。

「失礼します。現場はこちらですか。」

警察の一人と思われる男に声をかけられ、宰が頷く。
小鳥遊の存在に気付いた警察や医者は、何だこれはと、悲鳴に近い言葉を零した。
それはそうだろう。こんな非現実的な光景を見て、何だこれはと呟かない鉄の心臓を持つ者がいるのであれば、是非ともお目にかかりたい。

「おい、何だコレ。」

ざわざわとした悲鳴。何を今更と宰は、極力見ないようにしていた小鳥遊の遺体へ再び視線を戻す。
何度も死体を見るというのも忍びないが、状況を多少は知っておく必要があるだろう。
少しばかし勇気を出して遺体を見れば、確かに、何だこれと言わざるを得ないような光景が広がっていた。
ざわざわと植物が生い茂り、緑の蔦が絡み合っている。絡み合ったそれは、まるで一本の茎のようにまとまって、そこから、1、2メートルはあるであろう、巨大な、百合のような花がつぼみを作っていた。
三十年ばかり生きて来たし、教師人生も数年送って来たけれど、こんな巨大な百合は今まで見たことがない。
当然、誰も見たことはないだろう。
白いつぼみが広がり、口を開けるように、大きな花弁を見せる。
大きく広がった花弁は、そのまま、小鳥遊の遺体を、捕食するかのように包み込んだ。その光景を、その場にいた一同は呆然とただただ見守っている。
花弁を止めようとする者は誰も居ない。というよりも、何も出来ない。ただ、白い花弁が、真っ黒な少年の身体を飲み込んでいく様を、ただ、ただ、静かに、眺めていた。
小鳥遊の身体を飲み込んだ白い百合は花弁を閉じて、ずるずると不気味な音を立てながら、地面の中へと吸い込まれていく。
白い百合が地面に吸い込まれると、その場には、姿を消した少年が、その身体から零れ落した血液だけが残っていて。

「……死体が……消えた……」

宰は、ただ、呆然と、目の前で起こった出来事、その結果を、呟くことしか出来なかった。

 


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -