鐘の音が鳴る前に。


本編



朝から、嫌なニュースを見た。
女子生徒が学校で亡くなっていたという。死因は窒息死。目立った外傷はなく、自宅に遺書があったことから、自殺とみて調べているようだ。
宰が眉間に皺を寄せて珈琲を飲んでいると、さえるが、コトン、と音を立ててトーストの乗った皿をテーブルに乗せた。
テレビに注ぐ視線は、少し、悲しげだ。

「……最近、多いね。」
「そうだな。」

サクリ、と音を立ててトーストを齧る。
女子生徒の自殺。言い方は悪いが、マスコミにとっては格好の良い餌だろう。
新聞を広げてみても、紙面にはその女子生徒のことがびっしりと書き尽されていた。

「うちの近所だね。」

さえるが呟く。
ニュースで公開されているのは地名だけで、学校名が公開されていない。
所々モザイクで処理されているものの、わかる人が見れば、わかってしまう。確かに、今テレビで映されている景色は、この近所だ。
そして、その近所にある学校と言えば、自ずと想像出来てしまう。

「蒼ヶ崎学園、だな。」

そこは、有名な私立学校だ。付属幼稚園から始まり、小学校、中学校、高校、大学と存在しているため、幼い頃からエレベーター式に進学する子どもがいるのも珍しくはない。
最近では、幼稚園を認定こども園に移行させたこともあり、0歳児から二十歳になるまで、この学園にお世話になる予定の子どもも出始めている。
もし、教育学部に進学して、保育教諭にでもなれば、定年までずっとお世話になることになるだろう。
学力も申し分なし。
学費はその分かかるけれども、教育は充実していて、多少の教育費は惜しくないという保護者は、喜んで入学させたがる。
そんな、優等生しか集まらないであろう私立学校で起きたスキャンダルだ。
マスコミが蔓延るのも、頷ける。

「宰さん、あれだけでわかっちゃうの?すごいね。」
「……まぁ、有名だからな。」

マスコミが蔓延る理由は、それだけではないのだけれど。
胸の中に溜まったもやもやは、珈琲と共に、飲み干した。


第6話 都市伝説


件の学校はあんな出来事があったから休校らしいが、さえるは近所とはいえごく普通の公立中学生だ。
胸に抱えるものはあるだろうが、ひとまず、学校に無事送り出した。
幸いにも、といっていいのかわからないが、殺人ではない。さえるの身に何かが及ぶことはないだろう。
否、正確には、殺人なのかもしれない。
虐めを苦にした自殺。自らを殺すと書いて自殺と読む。その名の通り、自殺なのだから、最終的に命を絶ったのは自分自身の意思だ。
けれど、その意思が作用した原因が虐めだというのであれば、それは、れっきとした殺人なのだろう。

「先輩。悠久休暇って、知ってます?」

後輩社員、藤枝由がカチカチとコンピュータを弄りながら問いかける。
くるくるとした癖っ毛が特徴で、それこそ、動物の毛みたいなふんわりといした触り心地がしそうな髪の毛だ。
その触り心地はとても気になる。実際、触ることはないけれど。
ともかく、由の突然の質問に、宰は飲んでいた珈琲を吹き出しかけた。

「ぐ、げほっ」
「え、ちょ、大丈夫ですか先輩。」
「……問題ない。で、悠久休暇が、何だって。確か、ここ最近、有名になっている都市伝説だろう。」

悠久休暇。
それは、決して有給休暇の誤字ではない。都市伝説に登場する店の名前だ。
店主が客に与えるのは、悠久。つまり、永遠の休暇。簡単に言えば、「死」だ。
「死」を欲する人間の前にその店の扉は現れる。扉を潜ったら最後、店主によって差し出される、死という果実にかじりつき、永遠の眠りについてしまうのだそうだ。
苦しまない、安らかな死。
悠久休暇を訪れた客人の遺体にはいくつか特徴がある。
遺体からは、花のような甘い香りが漂っていること。まれに、身体に花粉が付着していること。死因が窒息死であること。胃からは睡眠薬が検出されること。外傷が一切なく、死体には死化粧が美しく施され、その表情は、安らかなものであること。
これだけ特徴があれば、遺体を見ればすぐに、悠久休暇を訪れた者の末路だとわかるだろう。
何故こんな都市伝説が広まっているのかといえば、ここ十年、定期的に件の特徴をもった遺体が発見されるからだ。
宰がこの都市伝説を知っている理由は、ただ有名故の口コミだけではなく、実際に調べたことがあるからなのだけれど。

「その悠久休暇が、どうしたというんだ?」
「ほら、朝、ニュースやってたじゃないですか。女子高生が亡くなった、って。あの子も、行ったっぽいですよ。悠久休暇。」

そういえば、ニュースで取り上げられた女子高生は、外傷が一切なかったという。
遺書があったことから自殺とみて調べているし、その遺書も手書きで、女子高生の筆跡と一致していることから偽装の線は薄いようだ。
死因は窒息死。成程、確かに、悠久休暇を訪れた客人の特徴と、いくつか重なる節はある。

「藤枝。お前、悠久休暇に興味を持ってるのか?」
「まさか。僕、死にたくないですし。まだまだやりたいこといっぱい残ってますよ。今日も帰ったらアニメを見ないと。」

そう言って、へらへらと、由は笑う。
一見ふざけているようにも見えるけれど、ささやかなことであれ、生きる目的があるというのは大事なことだ。
一度、死を望んだ人間だからこそわかる。
何の楽しみも、希望も、見出す事が出来なくて。何故生きているのかわからなくなって。早く、早く。生きていても仕方ない。どうにかして死ねないか。そんなことばかり考えて。暗い、暗い、どろどろとした世界の中に閉じ込められているような鬱々とした息苦しさが、濃霧のように纏わりつく。
そんな世界に浸ってしまえば、アニメを楽しみにする余裕すらない。何も楽しむことが出来ないのだから。
最近は、少し、視界が明るくなったような気がするけれど。

「そういえば、萩野先輩、最近よく笑いますね。」
「……は?」

突然の由の言葉に、宰は目を丸める。
隠しても無駄ですよ、と語る由は、どことなく、口元を隠してにまにまと不敵に笑っていた。

「最近はコンビニ弁当や外食じゃなくて、手作り弁当ですし。お弁当見る度なんかにまにましてますし。彼女ですか?独身の先輩についに彼女ですか?」
「……何言ってる。気のせいだろう。それに俺はもう四十代なんだから……」
「最近は晩婚が進んでますし四十から結婚する人だっていますよ。遅くないですって。で、式はいつです?式は。」
「おい!広瀬!藤枝回収しろ!おい!広瀬!お前まで何にまにましてるんだ!お前だって最近手作り弁当なの知ってるんだからな!」

この後、諒と共に、手作り弁当について、にやにやしながら由に掘り下げられたのは言うまでもない。

(いや、いつかは突っ込まれるとはわかってはいたけれど……)

弁当を作ったのは、当然ながら、さえるだ。
コンビニ弁当ばかりは身体に悪いし、世話になっている例だと言って、毎日彼女は弁当を作ってくれている。
最初は卵焼きとタコさんウィンナー、ウサギのように切られた林檎がちょこんと入っているような弁当が主であったが、最近では色々調べているようで、弁当のレベルはどんどん上がっている。
そろそろキャラ弁を作り出しそうなので、それだけは阻止したいところだが、もし彼女が実際にそれを創ったら、由にからかわれながらも甘んじて食べることになるだろう。
毎日、少し早めに起きて、自分の為に朝食や弁当の用意をしてくれている彼女の背中を見るのは、正直、悪い気はしない。
いつも作ってもらってばかりで、悪いなとも思うけれど、宰は料理が苦手なのだ。卵焼きを作ろうとすればフライパンにこびりつけてしまうし、油の加減や強火弱火の加減が苦手で、些細な失敗をよくしてしまう。
そう考えると、下手なものを作ってさえるに不味い料理を食べさせるよりも、こうして甘えてしまっている方がいいと、駄目な大人の思考に陥ってしまうのだ。

(せめて、なんか、たまには……礼をするか。)

エプロンとか、調理道具とか、なんでもいい。
プレゼントしか出来ないけれど、それだけでもきっと、彼女は、表情を綻ばせて、嬉しそうに、幸せそうに、笑ってくれることだろう。
そう思うと、いつの間にか、自分の生活が、徐々に、さえる中心になってきているということを、自覚する。自覚させられてしまう。
先輩、よく笑いますね。という、先の後輩の発言を思い出す。
周りから指摘されるぐらい、今、自分は変化を遂げているということなのだろう。
彼女に対して、もっと、胸を張って歩けるような人間になりたい。そう、漠然と、思う。
だから。だからこそ。

「萩野宰さん、ですね?」

萩野宰は、向き合わなければならないことがあった。

「十年前の、男子高校生転落死事件のことについて、お話をお伺いしたいんですけど。」

逃げ出していたことと。向き合わなかったことと。投げ出してしまったことと。諦めてしまったことと。

「当時の副担任として。」

過去の、罪と。

 


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