黄昏商店街


本編



「片付け屋……そいつを殺すな。」

それは、町内会長の口から放たれた。
御祈り屋に身体を支えられた状態の彼は、既に満身創痍だ。
先程よりも身体の黒ずみは消えているが、身体を思うように動かすことが出来ず、片腕でなんとか身体を持ち上げている。
これ以上の戦闘は不可能に近いだろう。
赤い瞳で彼を横目に見た彼は、小さく溜息を吐く。

「だから、殺すつもりはないと言っただろう。片付け屋の俺に、始末をするなと言うのだから、酷いお人だ。」

そう言って、彼は、片付け屋はまた溜息を吐く。

「片付け屋。彼は、商店街にとって不利益なものを片付けるのが仕事だ。」

アリスの隣に居た案内屋が呟く。
不利益なもの。恐らく、目の前にいる異形のモノも、本来であれば、彼が片付ける対象なのだろう。
けれど、彼はそうしないと言う。それを信じて良いのか、アリスは、心配げに片付け屋を見つめた。

「大丈夫だよ。彼は信じるに値する。」

片付け屋から、彼のものとはまた違う、別の声。
誰の声だろうかと、アリスは周囲を見渡す。周囲に、声の持ち主と思われる人物の姿はない。
気のせいかと思っていると、片付け屋の九つ生えた尻尾がもぞもぞと動く。そこから、白髪の青年がひょっこりと顔を出した。
透き通った翠の瞳は、オズワルドのそれとよく似ている。
よく見れば、その穏やかな顔立ちも、オズワルドにそっくりであった。

「久しぶりだね、気まぐれ屋。否、オズワルド。」

そう言って、白髪の青年は微笑んだ。


第10話 片付け屋と記録屋


「記録屋……お前も付いて来たのか。」
「商店街での出来事を記録するのが、僕の仕事だからね。それに、僕は町内会長の秘書でもあるから。」

そう言って白髪の青年、記録屋は穏やかな顔で笑いながら、町内会長へ駆け寄る。
記録屋の顔は、見覚えがあった。
彼もまた、遠い記憶の中、かつての故郷、古い都市国家に暮らしていた人間の一人だ。
そして、オズワルドと、深く縁のある人物。

「……何で貴方が此処にいるんだい。兄さん。」

オズワルドが、ぽつりと呟く。
記録屋。生前の名は、テフィラ=エメット。不老不死の都市国家を統括していたノワールを支えた魔術師の一人であり、オズワルドの実の兄。
恐らくオズワルドにとっては、アラジンと同等の、探し物になるに値する程の、深い縁のある人間だ。
少し困ったような顔をして、記録屋は、笑う。

「やめておくれよオズワルド。僕はもう、ただの記録屋。君の兄であったのは、遠い過去のことさ。」
「そうやって、僕を拒絶するのかい?」
「まさか。これでようやく、対等になれるということだよ。」

そう言って彼が取り出したのは、翠色の宝石がはめ込まれた、大きな杖。
その杖を握り締めて、淡い光を放つと、地面から生えた植物が異形のモノに絡みつき始めた。
悲鳴に近い呻き声が、アリスの、そしてオズワルドの耳に厭と言う程、突き刺さる。

「今はアレをどうにかしなければならない。」
「どうにか、出来るものなの?」
「わからない。似たようなものは、何度も商店街に現れた。その度、片付け屋が片付けてくれていた……だから、正直なところ、アレを救えたことはない。」
「前例がないことを、やろうというの?いくらなんでも無謀だ。」
「嗚呼、無謀だ。僕一人の力だとね。でも、君もいる。」

記録屋はオズワルドに向けて微笑む。
温かい翠の光。その瞳を見つめたオズワルドは、小さく息を吐いて、その手に持つ扇子をふわりと振った。
一回、二回と扇子を振れば、風の束が刃になって、異形のモノがぼこぼこと身体から生やす触手を切り裂いていく。
パシン、と扇子を畳む音が軽やかに響いた。

「ねえ、『記録屋』なんでしょう?アレのこと、もう少しわからないの?」
「そうだねえ。触れれば腐る。全身を腐らされたら僕らの魂は消滅する。つまり、また死ぬ訳だね。だから基本、触れるのはご法度。異形のモノの動力源は、その中心にあるはずの、迷い人の魂。」
「……じゃあ、アラジンはアレの中心にいるのか。」
「でも、僕が記録し続けて来た異形のモノと、少し形態が違うんだ。彼は形が不安定というか、なんというか、あまりにもぐにゃぐにゃしていて……」

記録屋の言う通り、目の前にいる異形のモノは、定期的にごぽごぽと水が閉じ込められているような音を響かせていて、スライム状だ。
固形のような、液体のような。あれが完成形と思えなくもないが、姿が不安定だと言われれば、納得することも出来る。
では普段はどのような姿をしているのか。
それをオズワルドが問おうとした時。

「普段のアレはもう少し、そうだな。小さいな。それに、腐敗した肉塊のようなものをぼとりぼとりと落として歩く……そして商店街全体を腐らすんだ。そうなってしまってはもう魂は救えない。アレは恐らく、そうなる前。つまり、まだ魂に迷いがある。」

会話に入って来たのは、片付け屋だった。
迷いがある。彼のその言葉に、アリスは首を傾げた。

「全てを放棄し、消えてしまいたい。そういう類の感情と、……まだこの世への未練を残しているということだ。」
「それって……」
「助けられる可能性は、十分にあるということ。だが、その為には、アレの中心に行って、中身を引きずり出す必要がある。」

片付け屋の言葉に、ちょっと待て、と、町内会長が叫ぶ。
彼等のやり取りが聞こえていたのだろう。無理に身体を動かそうとして崩れ落ちるその身体を、御祈り屋がなんとか支えた。

「アレは肉体を腐らせる!アレの中に入るなんて……自殺行為だ!ひとたまりもない!」
「嗚呼、そうだ。それでもやるしかない。そうしないと、やつを引っ張り出せないだろう。」

片付け屋の言葉に対し、町内会長は、続ける言葉が見当たらないのだろう。口を噤んで、下を向く。
道具は使えないの、という紅茶屋の質問にも、片付け屋は首を横に振った。

「道具なんて尚更駄目だ。きっと、腐らされるだろう。」

そう言った片付け屋はちらりと異形のモノに目をやる。
目の前に飛び出して来た触手を、仕込み刀を握り締めた文字書き屋が切り裂いた。よく見ればその刃は所々が腐食して、刃こぼれしている。
先程まではすらりと凹凸のない綺麗な刃をしていたことから、ただ切るだけでも、確実に物質を腐食させていることがよくわかった。
記録屋が縛り付けている植物も触れている箇所が徐々に黒ずんでいき、引きちぎられてしまっている。
物理攻撃は、一撃必殺の短期決戦に持ち込まないと厳しいのであろうということが、よくわかった。

「……紅茶屋。お前の力なら、どれ程、アレを止められる?」

片付け屋が呟く。
紅茶屋は目を丸めてから、口元に手を寄せて、少し、考えるような姿をした。
その真剣な横顔は、店で出会った時の彼と同一人物だと認識することを難しくさせる。

「……結構デカいからね。僕だけじゃあ、三分が限界かな。」
「じゃ、記録屋と御祈り屋の能力も含めれば?」
「十分はいけるね。」
「充分だ。」

にやりと口元に不敵な笑みを浮かべて、片付け屋が笑う。
一体どういうことだろうかとアリスが首を傾げたい思いでいると、片付け屋は、次にアリスのことを見た。
布で顔が覆われていて、顔の全体は見えない。
けれど、真剣な顔の口元と、鋭い、赤い瞳が覗き見えた。

「アリス。お前は、魂を賭けて、あの男を救いたいと思うか?」

片付け屋の問いかけ。
アリスはその言葉を聞いて、真っ直ぐ片付け屋のことを見て、頷いた。
救いたい。助けたい。
その想いは、どのようなことがあっても、揺らぐことはないだろう。
それを確認した片付け屋は、そうか、と、小さく笑った。

「紅茶屋と記録屋、御祈り屋で動きを止めろ。文字書き屋と万事屋、オズワルドはアイツの触手をどうにかしろ。鏡屋は町内会長の護衛。社守り屋は、俺と一緒にあの異形のモノに穴を開ける。」

そして、と、片付け屋はアリスを見る。

「アリス。お前はアレの中に入って、アラジンを引っ張り出せ。」
「わかった。」

アリスは、頷く。
例え危険なことだとしても。魂が腐らされる可能性があるとしても。それでも、彼の中心に行き、彼の手を握るのは、自分でありたい。
だからこそ、片付け屋の人選には、寧ろ感謝をしていた。
それなら、と、案内屋が呟く。

「俺がアリスを、彼の中心に送り届けるよ。」

僕は案内屋だから。そう言って、案内屋は笑った。
決まりだな、と、片付け屋は呟く。

「行くぞ。」

片付け屋の言葉と共に、紅茶屋が一歩、前へ出る。
深くかぶっていた帽子を外すと、烏のように真っ黒な髪が、風になびいてふわりと揺れる。
髪が揺れ、前髪が浮かび上がれば、美しい赤の瞳が隙間から見えた。
異形のモノに向けて、一歩、また一歩と近付いていく。これ以上近付けば危険、その寸前で、紅茶屋はぴたりと足を止めた。
彼の足元から、黒い塊が姿を現し、異形のモノの身体を貫き、地面に縛り付ける。彼の足元をよく見れば、その黒い塊は、彼の影から現れていることがわかった。
あれは、影。彼の影なのだ。

「御祈り屋!記録屋!お願い!」

紅茶屋が叫ぶ。
それと同時に、御祈り屋は首に下げたロザリオを振るい、記録屋は、手に持つ宝石のはめ込まれた杖を振った。
バキバキと地面が裂ける音と共に伸びた、青々とした植物たちが、影によって地面に縫い付けられてもなお動こうとする異形のモノに向かって絡みついていく。
身体を動かそうとしても、ミシミシと軋む音をさせるだけ。
進むことが出来なくなれば、次に起こす行動は、その触手を動かすことだ。
ごぼごぼという音と共に、何本もの触手が放たれる。伸ばされた黒いそれに向けて、オズワルドが扇子を振るえば風の刃が切り裂いた。
更に、刀を握り締めた文字書き屋と、剣を握った万事屋もそれに続き、黒い触手を切り裂いていく。

「いけるか?社守り屋。」
「嗚呼、任せてくれ。」

社守り屋が頷くと、片付け屋は、その手の平から、ぽっぽっぽっ、と音を放ち、青い炎を放った。
ふわふわと淡く揺れるその炎に、社守り屋の白く透き通った手が伸びる。
彼が炎を握り締め、そのまま、ぶん、と手を振ると、ただ揺れているだけだった炎は、青い刀身を持つ刀に形を変えた。
社守り屋が、ぎゅ、と刀を握り締めると、刀身の周囲を、青い炎が渦巻く。

「はあああああああ!」

地面を蹴り、社守り屋がその刃を振るう。
ずるり、と異形のモノの中心部が切り裂かれると、その切り口から青い炎が噴き出て、傷口がみるみる開いていく。
めらめらと燃える焔の奥。異形のモノのその体内。
中心を見れば、何か黒いものが、ポツンと存在しているように見えた。

「アリス。」

アリスの名を呼ぶ、案内屋の優しい声。
大きな手を差し出されて、アリスはその手を、そっと握った。

「行こう。」

ぎゅ、とアリスの手を握り締めた案内屋は、空いた左手で器用に紫色の紐を放つ。
何本もの紐が組み合わさり、異形のモノへ向けて、橋のようなものが創り上げられた。
案内屋に手を引かれて、その橋に、足を乗せる。紐で出来ているというのに、足場はしっかりとしていた。
軽い足取りで、異形のモノの中心まで伸びる、紐の橋を渡っていく。
社守り屋によって切り裂かれたのが原因だろうか、異形のモノの動きは鈍っていて、オズワルドたちが警戒をしているものの、あの黒い触手は伸びて来ない。
橋の先までたどり着くのに、そう時間はかかっていないはずなのに、まるで、一時間以上かけて渡ったような、そんな疲労感が身体に圧し掛かった。
橋の終着点で、ぴたりと足を止める。
俺はここまでだ、と、案内屋が言った。

「後は、君次第だよ。アリス。気を付けて。」

案内屋の言葉に、アリスは頷く。
不思議と、恐怖心はない。
此処まで、色んな人達が協力してくれた。そして、ようやく、此処まで来られた。
そして、不思議と、これからやることについても、上手くいくような、そんな気が、している。

「行ってきます。」

そう言って、アリスは、異形のモノに向かって、飛び込んだ。

 


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