黄昏商店街


本編



「僕は、いい。」

そう言って、気まぐれ屋、否、オズワルドは伸ばされた手を払う。
困ったように、捨てられた子犬のような瞳で見つめる案内屋とアリスの二人に対し、そんな顔をしないでくれと、オズワルドは困ったように首を振った。

「僕は、探したくない。思い出したくないんだ。」
「何故、思い出したくないの?」
「記憶が鮮明になっていく。それがとても怖いんだ。今の僕が僕でなくなってしまいそうで、否、本当はその記憶が、本来の僕であるというのは頭ではわかっているのだけれど。」
「でも、それが貴方、だよ。」

頭を抱え、呟くオズワルドの言葉を、アリスは真っ直ぐな眼で否定する。
そして、その雪のように白い、細く小さい少女の手をオズワルドへと向けた。

「不安なことも、あると思う。でも、私も一緒。」

オズワルドの、左右異なる瞳がアリスを捉える。
翠の瞳は明るく輝き、紫の瞳は鈍く輝く。異なる二つの輝きを持つその瞳を眺めながら、アリスは、柔らかく微笑んだ。

「私もいる。一緒に探そう?このままでいるのは、きっと、よくないよ。」

差し伸べられた、小さな手。
握っていいのか、瞳を揺らして、躊躇っているのがこちらにもひしひしと伝わって来る。
彼が何に怯えているのか、アリスにはわからない。まだ、何も思い出せていないのだから。
けれど、迷っていては駄目なのだ。立ち止まって、進もうとしないのは、留まり続けることは、きっと楽かもしれないけれど、それは、それだけでは、いけないのだ。
何故かはわからない。
それでも、自分たちは進まなければならない。
アリスは、それを確信していた。

「一緒に探そう。オズ。」

オズ。オズワルド。彼の略称。
不思議と紡ぎ出されたその言葉。けれど、オズワルドと呼ぶよりも、こちらの方が、しっくり来た。
それは彼も同じだったらしい。
オズワルドは微笑むと、アリスの手を、そっと握った。


第6話 鏡屋


鳥居を潜ると、再び、空は燃えるような橙色に覆われていた。
地平線から浮かび上がる太陽のせいだろうか、社周辺の青空よりも、やけに眩しく感じられる。
オズワルドもアリスと同じ気持ちだったのか、空を見上げて、目を細めた。
彼は、アリスと比べると、より眩しそうにしている。

「気まぐれ屋……否、今は再び迷い人となったのだから、オズワルド、と呼んでおくか。彼がこの社を潜ったのは久方ぶりだからな。アリスと比べれば、余計に眩しく感じられるのだろう。」

そう言って、社守り屋が笑う。
確かに、ずっとあの青空の下で過ごしていたのであれば、いきなり強い夕日の差し込む商店街に出るのは瞳に負担がかかるだろう。
それに、と、御祈り屋が言葉を足す。

「そいつのその片目は借り物だしな。思うようにいかないのだろう。」
「借り物?」
「気まぐれ屋のように、特殊な存在とされる者については、社守り屋と町内会長に監視される。社守り屋の許可が下りなければ社を出れないし、その片目は町内会長の術が施されてるから、気まぐれ屋を通じて、町内会長もこの光景を見てるんだよ。」
「じゃあ、今、町内会長にも私が見えているの?」
「そういうことだな。」

アリスがオズワルドの前で手を振る仕草をする。
この様子も、オズワルドを通じて町内会長が見ているのだろうか。そう思うと、少し不思議な気分になる。
目に違和感を覚えることがないのかオズワルドに問いかければ、彼は、別に、と返事を返した。

「特に違和感はないかな。視力とかも問題ないし。全然普通だよ。」
「そう、なんだ。」
「鏡を見ると、変な気分になるけどね。だって、こっちの目だけ、なんか目が死んでるんだから。町内会長と会ったのは随分前だからもうあまり覚えてないけど、これって、町内会長の目が死んでるってことだよね。」
「奴の目が死んでいることは否定せんよ。そして、これから変な思いをしてもらうことになるだろうな。」

オズワルドの軽口を受け流しながら歩いていた御祈り屋が立ち止まったのは、商店街にある店の一つ。その目の前であった。
扉にはプレートで文字が書かれており、『鏡屋』と記載がされている。
丁度鏡の話題が出たところでこの店だったので、アリスとオズワルドは目を合わせて、少し笑った。

「別に洒落のつもりではない。元々行こうとは思っていたんだ。ただ、いきなりすべての記憶を思い出すと負担がかかることもあるからな。ちょっとずつ段階を置きたかったんだ。」

そういえば、紅茶屋の店で御祈り屋に祈ってもらった時に、案内屋がこの店に行くのはどうかと提言していたことを思い出した。
確かにあの時、負担がかかるからと御祈り屋は断っていたのだ。
今、この店に案内したということは、アリスがこの店に立ち寄っても問題ないと御祈り屋に判断されたということだろう。

「この店にいる奴等も中々個性的だからな。……まぁ、個性的でない者など、この商店街にはいないが。」

御祈り屋がそう言って扉を開けた、その瞬間。

「いらっしゃーい!」

扉から二人の子どもが勢いよく飛び出して来た。
男女の子どもは瓜二つの顔立ちで、男の子はその髪を肩で綺麗に切りそろえており、女の子は腰より下まで長く伸ばしている。
どちらも輝くほどに美しい金色の髪で、ぱちぱちと何度も瞬きをする大きな瞳は、エメラルドグリーンのそれであった。
雪のように白い肌。滑らかな陶器をも連想させるつるりとした手足。にこりと微笑むその仕草は、男女対の人形のようにさえ思えるものであった。

「鏡屋!おい!」

御祈り屋の訴えるような声が響く。
よく見れば、御祈り屋はいきなり飛び出して来た男女の子どもによって、下敷きにされていた。
不満を訴える御祈り屋に対し、双子はごめんごめんと謝って御祈り屋から退く。

「君たちが客人。迷い人だね。待っていたよ。僕らは鏡屋。」
「こちらで鏡を売っていますの。さあさあ、こちらへいらして?」

二人の鏡屋によって、アリスとオズワルドは手を引かれる。
その部屋へと入って行けば、確かに、鏡屋と名乗るに相応しく、数多くの鏡たちが部屋には飾られていた。
壁に掛ける形式のものから、床に置く形式のもの、手に持つような小さいものまで、その種類も、大きさも、形も様々である。
コツコツと店の中を歩けば、鏡に己の姿が映り込む。
それが一枚であればまだ良いが、何枚もの鏡に映り込んでいるもなれば、少し、落ち着かない。

「僕らは二人で一つ。どちらのことも、鏡屋と呼んでくれて構わないよ。」
「ええ、ええ。そうですとも。寧ろ。わたくしたちはそう呼んでくださることを望んでいますわ。」

オズワルドは男児の鏡屋に、アリスは女児の鏡屋に手を引かれ、異なる鏡の前に立つ。
その鏡には、自分自身の姿と、その隣に立つ鏡屋の姿が映り込んでいた。

「鏡とは、姿を映すもの。」
「でも、わたくしたちの鏡は、姿だけを映さない。」
「映すものは、魂そのもの。君たちの魂。記憶。想い。あらゆるものを、鏡を通じて映し出す。」
「だからといって、全てを映せるとは限らなくてよ。人の記憶というものは多いもの。膨大な情報量の中から、映し出されるのは限られていますの。」
「その中から、君たちは見つけるんだ。」
「あなたたちの探しもの。」
「もう答えは出かかっている。だから君たちはここに来たんだろう?」
「であれば、わたくしたちは、その背中をひと押し、させていただきたいと思いますの。」

交互に話す、男女の声。
とんと背中を押されたと思うと、アリスの身体は、ふらりと前によろめいた。
慌てて手を前に出す。そして、その目の前には、大きな鏡。
鏡に触れると、その鏡は、白く光り輝いた。
その目に飛び込んで来たのは、鏡に映り込んだ、懐かしい景色。
青紫色の空。輝く白い星。地平線に浮かぶ、白い太陽と月。かつて暮らした、時の止まった、停滞した国。不老不死の都市国家。
アリスはそこで暮らしていた。
未来に進むこともなく、過去に戻ることもないこの国を、変えようと集い、語り、そして、行動した。
国を変えたくて。世界を変えたくて。希望を追い求めて。
仲間と共に進んだその世界で、アリスは、一人の青年に希望を抱いていた。
生命の象徴。深緑色の髪を持つ青年。その翠の瞳も、眩しく光る。国を変えようと立ち上がった青年に、アリスは、彼女は、恋をしていた。

「……アラジン。」

ぽつりと、アリスは、無意識ながらにその名を呟く。
瞳からは、ぽろりぽろりと、大粒の涙が、こぼれ出ていた。

「……アリスも、思い出したの?」

オズワルドの声に、振り向く。
オズワルドも、きっと、似た光景をその鏡で見たのだろう。見たに決まっているのだ。オズワルドは、彼は、彼もまた、アリスと同じ時間を過ごしていたのだから。
アリスは何度も頷く。
視界が涙でぐにゃりと歪んで見えにくいけれど。アリスは何度も、頷いた。

「ブラン、アラジニア。」

アリスはその名を、噛みしめるように呟く。

「私の、探しもの。」

ずっと、探していた存在。ずっと、追い求めていた存在。

「私の、大好きな人。」

その存在を、アリスはようやく、この商店街を彷徨うことで、思い出すことが出来たのだ。

 


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -