黄昏商店街


本編



青い右目と、金の左目。
異なる色ではあるけれど、どちらの瞳も優しさの漂う光で、彼がにこりと微笑めば、緊張が和らぎほっとしている自分がいた。
微笑んだ口元は、下がる目尻は、どことなく、紅茶屋と似ている気がしなくもない。
静かに紅茶を飲む御祈り屋は、白い頬を朱に染めて、嬉しそうに、笑っていた。

「やはり紅茶は良い。アリスもそう思うだろう?」
「え?あ、はい。」
「そう緊張することはない。ほら、甘い菓子もある。いっぱい食べると良い。焦ることはない。時間はたっぷりあるのだから、今はこの時間を楽しむといい。」

そう言って、御祈り屋はまた、笑う。
個人的にはこの胸がつっかえているようなもやもやを拭うためにも早く探し物を見つけてしまいたいところだが、御祈り屋にとっては、紅茶の方が重要らしい。
美しい銀細工のフォークとナイフを握り締めて、パンケーキにゆっくり通す。
余計な力を入れる必要もなく、それらはすっとパンケーキに食い込んだ。
驚いた瞳で見ていると、案内屋が、微笑ましそうににこにことアリスのことを見つめている。

「そのフォークとナイフは、銀細工屋お手製のものさ。びっくりだろう?」

このフォークとナイフを作っている人間も、この商店街にいるらしい。
アリスは何度か頷きながら、生クリームの乗ったパンケーキを、一口、頬張った。
もぐもぐと口を動かせば、口の中に程よい甘みが広がって、胸が温かくなるような、幸せな気持ちで満たされる。

「美味しいか?」

御祈り屋が問いかける。
アリスがこくこくと何度も頷いてみせると、御祈り屋は、嬉しそうに表情を和らげた。

「そうだろうそうだろう。いっぱいあるからな、どんどん食べろ。」

そう言って御祈り屋は、アリスの頭を優しく撫でた。


第3話 御祈り屋


紅茶を飲み干し、パンケーキを完食すると、紅茶屋がすべての食器をさげてくれた。
先程の薄気味悪い笑みが嘘であったかのような穏やかな表情をする彼を見ていると、まるで二重人格であるかのような錯覚に陥ってしまう。
アリスがそれを呟けば、御祈り屋は、少し困ったように笑った。

「あの子は少し変わっているからな。でも、根は優しい子なんだ。度々変なことを言うと思うが、害は与えないから、許してやってくれ。」

そう言う御祈り屋の表情は、友人というよりも、兄のような、父のような、家族の表情を連想させた。
さて、と御祈り屋は呟くと、首に下げていた、銀細工製のロザリオをその手に取った。
キラリと鈍い光を放つそれを両手に取ると、御祈りは跪く。

「腹も喉も満たされた。本題だ。貴女を祈ろう。」

御祈り屋はそう呟いて、目を閉じた。
手に取ったロザリオは淡い翠色に輝いていて、此処は室内のはずなのに、窓なんて開いていないはずなのに、何処からともなくふわりと風が吹き込む。
吹き込む風でアリスの亜麻色の髪はふわふわと舞い、甘い香りが鼻を擽った。
花と、草。
紅茶のそれとは異なる植物の香り。

「……あ……」

祈りを捧げる御祈り屋。彼の足元からぶわりと白い花弁が舞った。
眼前に向かってくる花弁に、思わずぎゅっと目を閉じる。
しかし、顔に花弁がぶつかって来ることはなく、アリスは、恐る恐る、その瞳をゆっくり開く。
次に広がった光景は、店内のそれではなかった。
乾いた風が頬を撫で、風と共に頬にぶつかる砂が少し痛い。
きょろきょろと周囲を見回し、そして、天を見上げる。
アリスが居たのは、店内ではなく、何処ともわからぬ外であった。天に広がる空は、商店街の夕焼け色ではなく、夜明け直前の青紫色。
薄っすらと白い星が天に散りばめられていて、商店街で見たそれのように、地面に降り注いでくる気配はない。
地平線の上に浮かぶのは、大きく白い、太陽と月。
左右対になるように浮かび上がるそれは、幻想的ではあるものの、永遠に夜明けが来ないような、寂しさのようなものが胸でざわつく、そんな光景で。

「アリス。」

聞こえて来る懐かしい声に、アリスは振り向く。
しかし、振り向いたと同時にアリスが見た光景は、彼女を呼んだ人物の佇む幻想的な空が広がる街ではなく、数十分程滞在したことで見慣れてしまった、紅茶屋の風景だった。

「……あ……」

ガタン、と、椅子の倒れる音。
アリスが立ち上がろうとしたことで、倒れたのだろう。
シン、とした沈黙が周囲に響き渡る。

「何か見えたか?」

沈黙を破ったのは、御祈り屋だった。
その問いかけに、アリスは小さく頷く。見えた光景を伝えるべきだろうか、しかし、あの光景をなんと言えばいいのだろうか。
アリスがもごもごと口籠っていると、御祈り屋は優しく微笑みながら、アリスの髪を優しく撫でる。

「大丈夫。私も見えたから。」
「……見えた?」
「私の祈りは、お前の手助けをする役割を持っているささやかなものだ。今回、お前がこの商店街に迷い込んだのは、探し物が理由みたいだからな。深層心理の記憶を呼び起こさせてもらった。今回は、あそこまでが限界ではあったけれど。」
「……深層心理……。じゃあ、あの光景は……」
「きっと、お前が暮らしていた世界だ。そして、お前の名を呼んだ人物こそが、お前が探そうとしている人物なのだろう。」
「私が……探している……」

確かに、その声を聞いた時、アリスの胸は間違いなく高鳴った。
胸が締め付けられるように苦しくなって、熱くなって。今にも泣き出しそうな想いにさせられて。
それ程までに、アリスが探し出したい人物ということなのであれば、この身体の変化は納得だ。
けれど、今思い出せるのは、それだけ。
名前もわからない。顔もわからない。わかっているのは、あの幻想的な風景と、低く響いた、優しい声だけ。
会いたい。
あの人に会いたい。
その気持ちだけが、強くなっていく。

「深層心理を見せるのであれば、鏡屋へ行くのが良いでしょうか。」

案内屋が問いかけると、御祈り屋は静かに首を横に振る。

「今は情報が足りない。鏡屋に行くのはいいが、今のままでは何も映し出せないだろう。映し出せたとしても、彼女に対する負担が大きい。もう少し情報が欲しいところだ。」
「そうなると……どうするのがいいんでしょうか……」
「……案内屋よ。それを判断するのがお前の仕事でもあるだろう。」
「う、面目ないです。」

御祈り屋は小さく溜息をついて、案内屋を嗜める。
体躯のある男の人が小さくなっているところを見ると、何処か心苦しい。アリスがおろおろとしているのを察した御祈り屋は、少し困ったように口元に笑みを浮かべた。

「アリス。私は別に叱っている訳ではない。ちょっとした皮肉……というのもあれか。まぁ、意地悪が過ぎただけだ。お前が気にする必要はない。」
「う、で、でも……」
「安心しろ。あてはある。……社守り屋だ。」
「社守り?」

アリスが首を傾げながら御祈り屋の言葉を反復すると、御祈り屋は、そうだ、と頷いた。

「おや、彼等の次の目的地は社守りかい?」

そう言って、くすくすと不敵な笑みを浮かべながら現れたのは、紅茶屋だ。
恐らく、食器の処理が終わったので戻って来たのだろう。
彼の不気味な笑顔には、どうしても慣れない。

「紅茶屋。」

アリスの様子を察したのか、御祈り屋もそう一言呟いて嗜める。
ごめんごめん、と、紅茶屋は楽しそうに笑いながら、謝罪した。

「社守り屋は僕と違って完全無害でいい奴だから、安心しなよ。まぁ、彼の場合、社守りの癖に、滅多に社にいないから、見つけるのが大変だけど。」

だから苦労するよ、と、また笑う。
それについては紅茶屋も同意なのか、小さく溜息を吐いた。

「その点は、紅茶屋の言う通りだ。奴は気まぐれで自由奔放。故に、社にいないことが想定される。まぁ一応、一度は社に向かうのが良いだろうが……私も同行するよ。」
「すみません、御祈り屋。アリスを案内するのは、僕の仕事なのに……」
「気にするな。彼女のことが気がかりなのは、お前だけではない。町内会長も直々に心配しているからな、奴の代わりに少しは手を貸してやろう。」

町内会長が心配している。
その言葉は、アリスにとって少し意外ではあった。
何故なら、あの時出会った町内会長は仏頂面でこちらを見つめているだけであったし、全てを案内屋に一任すると言っていたのだから、アリスのことなど、全く気に留めていないのだとばかり思っていたのだ。
それは案内屋も同意見だったらしく、意外そうに、瞳を丸めている。

「紅茶屋。お前には留守を頼むぞ。」
「留守っていっても此処は僕の店だけどね。……まぁいいよ。僕、外出るの嫌だもん。外眩しいじゃん。太陽の下とか無理無理。僕死んじゃう。」

そう言って、紅茶屋はおどけたように笑ってみせる。
太陽の下だと死ぬと言うのであれば、彼は実は、正体が吸血鬼とかであったりするのだろうか。
そう思っていると、案内屋が、アリスにそっと手を差し伸べた。

「さ、次は社守り屋のところだ。移動ばかりで大変だろうけど、君がちゃんとあるべき場所へ帰れるように、僕が案内を続けるから。」
「……ありがとう。」

彼となら、どんなところへ行っても安心だ。なんとなくだけれど、そんな気がする。
アリスはそう思いながら、案内屋の手の平に、己のそれを重ねた。

 


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