黄昏商店街


本編



鈍く光る黒い髪は、会館内の淡い照明に照らされて、薄っすらと本来の紫色を浮かび上がらせている。
両の眼に宿る紫色の瞳は、髪のそれとくらべればずっと明るい色で、まるで紫水晶のようだ。
しかし、案内屋の瞳と比べると、光は鈍く、少し気だるげな印象を与えている。

「……お前が、迷い人か。」

低く、よく通る町内会長の声。
それは小さな音ではあるものの、アリスの耳によく伝わった。
彼がその気になることがあれば、人々の耳に、心に、心地よく響くような、力強い演説を行うことが出来るだろう。
アリスが小さく頷くと、町内会長は、アリスを、頭からつま先まで、まるで何かを探るように見つめた後、案内屋へと視線を向けた。

「……案内屋。その娘のことはお前に一任する。」
「え?い、一任といいますと……」
「そのままの意味だ。どうせ、それがお前の仕事なのだから、問題はないだろう。」
「え、あ、いや、まぁ、そうですけど。」
「どちらにしても、お前が案内をしてやらなければ、どうしようもないだろう。しかし、そうだな。まずは御祈り屋でげん担ぎしてもらったらどうだ。」

ふ、と口元を持ち上げ笑う町内会長とは裏腹に、案内屋は少し戸惑っているようだ。
しかし、仕方ないと納得したのか、案内屋は、町内会長に一礼をすると、アリスの手を引いて、会館の外へと向かっていく。
パタン、と扉が閉まる音が聞こえたと同時に、町内会長は、深い、深い溜息を洩らした。

「……すごい汗。」
「…………仕方ないだろう。」

額から零れ落ちる冷や汗を拭いながら、町内会長は呟く。
どくんどくんと高鳴る胸を優しく撫で、流れ落ちる汗を拭うのは、陶器で出来た人形の手だ。

「そうね。頑張ったわ。褒めてあげる。町内会長。……いえ、それとも、」
「町内会長で良い。此処は、そういう場所だ。」
「そう。」

絹糸のような金色の髪を持つ人形は、まるで人間のように口元を持ち上げて、優しく微笑み、町内会長の頭を優しく撫でる。
小さな人形は、そこが特等席であるかのように、町内会長の膝の上に、ちょこんと座り込んだ。

「探す手伝い、してあげればいいのに。知ってるんでしょう?あの子のこと。それに、何故、此処を彷徨っているのかも。」
「……それは、お前も同じだ。それに、それでは意味がない。自分自身の手で、目で、導き出さなければ、彼女は永遠に、この商店街から抜け出すことは出来ない。」

それもそうね。
人形がそう呟くと、町内会長は、人形の髪を、愛おし気に、優しく撫でた。


第2話 紅茶屋


「じゃあ、紅茶屋に向かおうか。」
「紅茶屋?さっき、町内会長は、御祈り屋へ行けって言ったよ?」
「嗚呼、うん。そうなんだけど、御祈り屋はこの時間、いつも紅茶屋に行くんだ。彼は紅茶を愛しているからね。三時のティータイムは欠かせないのさ。」
「そう、なんだ。」
「うん。」

案内屋はアリスの手を取ると、再び、商店街の中心へと向かって歩き出していた。
この商店街は、店がとても多い。
数店舗がちらほらある、というものではなく、左右でずらりと並んだ無数の店の数々は、数えれば十、二十、否、それ以上、という程だ。
三時という、本来であれば太陽がまだ天にあるはずの時間帯であるにも関わらず夕焼け空のこの空間だけでも異質なのに、このような異質な空間に、多くの店が、そして、多くの店主がいるということが、アリスにとっては驚きだった。

「この商店街にいる人は、みんな、働いているの?」
「ん?嗚呼、そうだね。みんな働いている。そして、みんな何かしらの役職……職業を持っているんだ。寧ろ、職業を持ち、働くことが、この商店街で暮らす条件と言ってもいいかな。」
「そうじゃない人は、どうしているの?」
「そうじゃない人は、この商店街にはいない。みんな、商店街を出て、行くべき目的地を思い出して、向かっていくんだ。中には、君みたいに、目的地がわからず、この商店街に迷い込んでしまう人がいるから、そういった人を案内するのが、僕の役目さ。」
「……目的地……」

案内屋の言葉を復唱するように、アリスは、ぽつりと呟いた。
目的地。
アリスは気付けば、商店街の目の前に立っていた。それより前は何処にいたのか。何をしていたのか。誰と一緒にいたのか。
全く何も、彼女は思い出すことが出来ないのだ。
だからこそ、彼女には目的地がわからない。
行くべき場所が何処なのか、わからない。
けれど。

「……私、何かを、探してた。」
「ん?」
「何かを、探していたの。何かはわからない。でも、とても大切な何かを、探してる。そんな気が、する。」
「そう。じゃあ、僕の仕事は、君の探し物を探すことだね。」
「そうすれば、私は、目的地を思い出せる?」
「きっとね。さあ、此処が紅茶屋だ。」

案内屋がぴたりと足を止めたそこは、少し古びた印象のある店だ。
ドアノブには木の板がぶら下がっていて、何か、四文字の言葉が刻まれている。しかし、その刻まれている言葉は掠れていて、とてもではないが、読むことが出来ない。

「……悠……、んー、休……?」

辛うじて読み取れる文字をぽつりと呟く。けれど、やはり駄目だ、読めそうにない。アリスは諦めたように息を吐く。
少なくとも、紅茶屋と書かれていないことだけは確かで、営業中とか、休業中とか、そういう店の状態を示しているという訳でもなさそうだった。
案内屋はその板のことを気にするでもなく、ドアノブをひねって扉を開く。
ギイ、と鈍い音を立てて店の中へと入ると、店はぼんやりと暗く、店内を照らしているのは、淡い蝋燭の光だけだ。
天井を見上げてみる。
天井にあるのは木の板だけだ。電気はなく、唯一の灯りがこの蝋燭の火のようである。
壁には戸棚が設置されていて、戸棚の上には紅茶の茶葉が入っていると思われる入れ物がずらりと並んでいた。

「客人かな?」

そう言って出て来たのは、黒い帽子に黒い髪。そして黒いスーツを着た男だ。
上から下まで黒、黒、黒。全身黒ずくめの男を唯一彩るのは、量の眼に灯る、血のように赤い瞳だけ。
不気味な色とは裏腹に、男は、人当たりの良い好青年の笑みを浮かべて、アリスに笑いかけた。

「いらっしゃい。此処は紅茶屋だ。どんなものがお好みかな?」

そう言って、店主と思われる男、紅茶屋は手でずらりと並んだ茶葉の数々を指し示す。
本来であれば此処に来ていると思われる御祈り屋が目当てなのだが、やはり、茶の一杯は飲んでいかないと失礼だろうか。
アリスは少し悩む仕草をしてから、

「ミルクティーはある?」

と、問いかけた。
紅茶屋はぱちくりと目を丸めてから、おやおや、と呟き、先程の人当たりの良い笑みが嘘であったかのように、不気味に笑う。
ぞくりと悪寒が走ったのは、気のせいではないはずだ。

「僕にミルクティーをご所望かい?本当に?」

にたにたと笑う彼を見て、言ってはいけなかっただろうかと後悔する。
しかし、青い顔をするアリスの肩を抱いた案内屋が、まるで彼女を庇うように立ちながら、紅茶屋を叱った。

「紅茶屋。今の君の商売はそれじゃあないでしょ?」

そう言われた紅茶屋は、また、笑う。
今度の笑みは、人当たりの良いそれに、戻っていた。

「そうだった。今は違うんだった。忘れていたよ。」

どうやら彼には前職があるらしい。
その前職は、聞かない方が良いのだろう。

「ミルクティーを準備しよう。砂糖とミルクはどうするんだい?」
「……多め。」
「かしこまりました。で、案内屋はどうするんだい?飲んでいくだろう?」
「僕も同じもの。ただ、砂糖は少な目のミルクは普通で。」
「ふふ、かしこまりました。お客人たち。」

紅茶屋はまた、柔らかく優しい笑みを浮かべると、アリスに深々と頭を下げて、店の奥へと姿を消していく。
呆然と立ち尽くすアリスに、案内屋は椅子を引いて彼女に座るよう促した。
クッションの効いた柔らかい椅子に腰かけると、案内屋もまた、同じように腰をかける。

「ごめんね。びっくりしただろう?彼はああいう人だから、変わっているけれど……悪い人ではないよ。うん。」
「……少し怖い人だったね。」

少し失礼な言い方だっただろうか。アリスはそう心配してみたものの、案内屋はただただ柔らかく笑うだけなので、特に期しなくても良いのだろう。
きょろきょろと店内を見回してみるが、今のところ、アリスと案内屋以外に、人の気配は感じられない。
此処に御祈り屋は来てはいないのだろうか。

「もー。だから僕の店の厨房、勝手に使わないでよね。」
「別に構わないだろう。私とお前の仲だ。それに、お前だって、私の作る菓子は好きだろう。」
「まぁそうだけどさぁ。毎日のように使われると複雑なんだけど?というか、君が紅茶屋をやればよかったじゃないか。好きだろう、紅茶。」
「まぁまぁ。今日のパンケーキも出来が良いんだ。私が紅茶屋を営んでも良いが、紅茶屋が二人だと紛らわしいだろう?それに、私は今の仕事も気に入っている。」

先程の紅茶屋の声とは別の、男の声が店の奥から聞こえて来る。
暗がりから姿を現したのは、湯気が漂う暖かな紅茶を持ってきた紅茶屋と、ふんわりとふくらみがあり、甘くておいしそうなパンケーキを持った翠色の髪の男だ。
翠の髪をした男は真っ白な祭服を着ていて、まさに神父様と言いたくなるような風貌で、彼がどんな職業をしているのか、想像することは容易い。
男はパンケーキをアリスの前へと置くと、まるでこの店の店主であるかのように深々と客人であるアリスに頭を下げる。

「いらっしゃい、お客人。小さな迷い人。私は御祈り屋。話は町内会長から連絡があってね、聞いているよ。貴女の探し物が見つかるよう、どうか祈らせていただきたいが……その前に、紅茶とパンケーキでもどうかな。彼の淹れたミルクティーは、なかなか美味しい。私が保障するよ。」

そう言って、御祈りは、青と金。異なる二つの瞳を輝かせながら優しく微笑んだ。

 


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