空高編


第4章 神子と一族



ふわりと、まどろんでいた意識が浮上して、ゆっくりと翼は目を開く。
どうやらあのまま眠ってしまっていたらしい。
気温がだいぶ温かくなって来たとはいっても、柳靖地の森の奥となれば、朝はまだ少し肌寒かった。
ぶるりと身を震わせながら、布団の行方を探していると、布団とは全然違う、やわらかい感触に触れる。
よく見れば、翼の隣で、丸くなって眠っている青烏の姿があった。
穏やかな寝息を立て眠っている、自分とそっくりな少年がいるということに違和感と懐かしさと両方の感情が翼に押し寄せる。
今、此処に、青烏がいる。
当たり前で、当たり前じゃなかった存在が、今、目の前にいるのだ。
その存在にむず痒さを覚えながらも、それでも確かに、胸の中に、じわりと温かく広がる何かを、翼は感じていたのだった。


第59晶 方針


夜が終われば、朝が来る。
後半年で世界を終わらせると宣言されてからも、当たり前のように時間は流れ、過ぎていく。
世間も、あの出来事が嘘のように日常が繰り返されている、というのであればまだ良いが、日常が非日常に切り替わってしまったあの日から、民衆の騒ぎは悪化していく一方だ。
政府が崩れてなお、神子である翼が民衆の前に姿を現さないのだから、周囲が苛立つのも、当然と言えば当然だろう。
しかし、翼が表舞台に立ったからといって、事態が好転する訳でもないのだ。
後数か月でようやく十九になる男が、いきなり政治を取り仕切るなんて、寧ろ不安だけが募る。
そしてこの日、翼、雷希、青烏、死燐、羅繻、無焚の六名は、今後の対応を話し合うべく、再び弓良のいる書庫へと訪れていた。

「そもそも、一族頭首は、どうやって選定するんだ。選定どころか、それぞれの一族の人間にすら、俺は出会ったことがないんだ。いや、一族の人間以前に、俺は空高一族以外の人間とまともに顔を合わせるようになったのはここ数か月の話だ。」

そう言って、翼は嘆くように項垂れる。
それはそうだろう。
彼は今まで、屋敷で軟禁生活を強いられていたのだ。
それがいきなり、人々の前に立ち世界を立て直すとか、一族頭首を選定して政治の基盤を安定させるとか、そんな課題を課せられても無謀に等しい。

「俺なんかが取り仕切るよりも、もっと頭の良い人間や、専門家を寄せ集めて政治を行った方が良いに決まっている!家柄や種族を無視して、代表者を、こう、みんなで選んで決めた方がまだマシだ!俺が政なんて出来る訳がない!」
「アンタが政を出来ないのも、皆で代表者を決めて政を行っていく方が良いのも同感だが、それは長期的な見方でしかない。今は建前上でもいいから、それっぽく建て直すことが重要だ。言ってることは間違いじゃないが、いきなり民衆にそれを強いるのはもっと無謀だし、少なからず政を経験している代表一族の頭首を選定し、数年は凌ぐしかないだろう。」

翼の意見は、死燐によってばっさり切り捨てられる。
しかし、あくまで全否定という訳ではない。
最終的には、血縁だけで代々続いている一族頭首制ではなく、家柄や身分、種族を問わず、公平に民衆の中から代表者を決め、その数多くの代表者たちで議論をして政を行っていくのが、よりよい世界を創っていくのには素晴らしいだろう。
翼の発想は、決しておかしなものではない。
けれど、それを実行し、形にしていくには莫大の時間がかかるのだ。
まず、今まで行って来たやり方を廃止しなければならない。
ただでさえ民衆は政府という基盤を失って混乱しているのに、今、「みんなの中で代表者を選んで、話し合って決めていきましょう」なんて神子が言ったら、ますます混乱に陥る。
皆が今求めているのは「神子による導き」であって、逆に神子が「みんなで世界を導こう」なんていうのは、需要と供給がかみ合わない。
束の間でいい。
束の間でいいから、従来の体制のまま、世間を安定させていくことが、最優先だ。
翼の語る理想的なシステムは、それより後に作っても良いだろう。
だからこそ、一族の頭首選びは慎重に行わなければならない。
野心のある者を頭首に選べば、それこそ、従来のシステムを変える際に、大きな障害となるだろう。

「代表一族は、それぞれ、柳靖地に「酸漿」、蓮郡地に「沓嘩」、黄荒地に「澄友」、霧詠地に「字麒」、弥瀬地に「筑波」、渓雲地に「蓬莱」、季風地に「海波」空然地は「空高」が束ねているというからな。」
「なんか、こうやって名前を挙げると、結構統一感ない感じだよね。」
「そりゃあそうだろう。一族頭首は皆それぞれ、初代の大使者だったと言われているからな。」
「空高の頭首は翼として、後、七人…途方もないな。しかも、その間にも神様とやらは攻めて来るんだろ?」

死燐たちが議論を重ねるにしたがって、翼の顔はどんどんと青くなっていく。
世界破壊のために攻めて来る存在から民を護りつつ、世間の立て直しをするために一族の頭首も集める。
正直、簡単な話ではない。
寧ろこれを簡単な話で済ませる者がいるのであれば、翼は相手を殴り飛ばしても許されるくらいだ。

「まずは、実際に一族の人間に会わないと始まらないだろうな。それに、実際にその地に行って、世間を知るということも、この世間知らずには必要だろう。そうなれば、比較的行きやすい場所から、ゆっくりと足を延ばすのが先決だ。」

ゆらりと弓良が尻尾を揺らしながら呟く。そして、その意見には、皆それぞれ賛同の意を示した。
実際に会わねば、実際に触れねば、見えるものも見えないだろう。

「しかし、その場合、どの地に行くのが一番いいんだ…?」
「まぁ、一番信頼出来るというか、安心できるのは、渓雲地の蓬莱と、季風地の海波だろう。しかし、その二つの一族は此処から遠い。それに、季風地は…あまり良い思い出がないな…」

そう言って、弓良はごにょごにょと口籠る。
確かに、此処からだと季風地や渓雲地は少し遠い。方角としては、ほぼ正反対に近いのだ。距離としては黄荒地や霧詠地の方が近いし、既に現在とどまっている柳靖地の頭首候補と接触するのが無難だろう。

「弥瀬地はどうなんだ、無焚殿。」
「ぅえ、あー…まぁ、弥瀬地の…なぁ…筑波はその……色々厄介だからなぁ……」

無焚も、故郷の頭首のことについてはやや歯切れが悪い。

「では羅繻殿、黄荒地は…」
「えー、僕あの一族基本好きじゃないし…」
「……貴方たちは何故己の故郷のことになるとそこまで歯切れが悪いのだ。」

この一同の歯切れの悪さには、流石に青烏も溜息をつくしかない。
元々訳があって行動している彼等なのだから、多少なりとも一族の頭首、つまりは政府側と折り合いが悪くても仕方ないのではあるだろうけれど、これから頭首を選定するとなれば、もう少し頼りになって欲しかった気持ちもある。

「……ひとまず、一度、空然地に戻った方が良いかもしれないな。」

翼が、ぽつりと呟く。

「俺が表に出たところでどうこうなるものでもないが、今後、その頭首選定にあたって、各地を回らなければならないだろう。そうなれば、俺の顔は青烏が表に出たことで多少知られてしまっているし、行動がしにくい。あらかじめ頭首選定のために動くと言っておいた方が、妨げにならないのではないか?」
「…一理はある。しかし、お前が各地を回るという話を事前に聞いてしまえば、お前に直談判しようと探し回る輩が出る恐れがあるだろう。やはり、此処は非公式に動き回った方が良い。何人か連れもつけて、な。」
「……やはり、そうか。」

翼はがくりと肩を落とす。
あまりこそこそしたくないという気持ちもあるのだろうけれど、非公式に動いていた方が、見つかるリスクさえ避ければ効率的なのは事実だ。
空然地に戻るのは、一族頭首全員を集め終えた、その時の方が良いだろう。

「名案だと思ったのだが…」
「間違ってはいねぇよ。間違っては。師匠の意見は一番理想的だし誠意のある行動ではあるだろうけど、いかんせん、俺たちにゃ時間がない。時間がない中で、なんとかしなきゃってなったら、多少リスクあっても、比較的効率的に動けそうな手段をやるしかねぇよ。」
「そうだね。それに、僕たち大使者は、一度各地に移動しようと思う。相手がどういう出方をするか、全く予想できないからね。つまり、あまり翼たちの手助けは出来ない。全部同時並行でやらなきゃいけないからね。癪だけど、ちょっと、黄荒地のことも気になるし。何か情報があるなら、各地に回って集めるのがいいだろうし。」
「あー、そうだなー、己れも一回弥瀬地に戻るかな……」
「え、あ、う、み、みんなバラバラになるのか…」

少しずつ、翼の声がしぼんでいく。
いつもアドバイスをして手を引っ張っていた羅繻や無焚が、各々の行動を開始するというのだから、不安だろう。
けれど、いつまでも、誰かに引っ張られながら行動している訳にはいかないのだ。
頭ではわかっていても、それでも、どうしても不安が勝る。

「んな顔すんなよ翼。別に、後は知らねぇっつって匙を投げる訳じゃないよ。」

無焚はそう言って、翼に薄い鉄の板状のものを手渡す。
以前、似たようなものを無焚が手に持っていたのは覚えていたが、その時のものよりもサイズは小さく、翼の掌に収まった。

「定期的に連絡は取り合おう。それはその為の端末みたいなものだ。お互い、情報交換がないまま、何か起きたら不安だろう。」
「……定期的に連絡をとれるのは、安心だな。」
「だろう。そうだな、己れの方から他の大使者たちにもアクションをかけるけど、最低でも毎週日曜日、一回は大使者及び神子全員で連絡を取り合おう。」
「わかった。」

翼はそう言って、ぎゅ、と端末を握り締める。

「…まずは、柳靖地を一通り回ってから、方針を固めよう。一番、情報がひしめき合っているのも、この地だろうし。」
「私と雷希が、お前の同行をする。三人で行動するのが一番無難だろう。」
「じゃあ、雷月と飴月は、しばらくアエルや此処の奴等に任せてもいいか?」
「勿論。僕と死燐は、黄荒地に行ってみる。ちょっと癪だけど、あそこの頭首の息子は幼馴染だし、今は空然地から帰ってるだろうから、様子見てみるよ。」
「己れも、弥瀬地へ帰る。あっちに連れを置いて来てるしな。そこで、今、あっちはどうなってるか、把握してみるよ。」
「……言っておくが、俺はこの書庫から動かないからな。」
「あ、弓良が動くことは期待してない。」
「……」

今後の方針は、凡そ決まった。
これが、正しいのかもわからない。間違っているのかもわからない。
それでも、今、取れる選択の中でも、自分たちで、最善だと、信じられるものを選ぶしかないのだ。

世界崩壊まで、後、半年。

 


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