空高編


第3章 神子と双子と襲撃



しかし。
と、無色は言葉を付け足す。その瞳は真剣で、別の何かを見通しているような瞳。
彼がこれから何を言おうとするのか、何故か、容易く想像することが出来た。

「本当に神々がこの世界を理想と思わず、破壊しようとしているとして。私たちがそれを阻止することに成功したとして。彼等を失望させてしまったのは、他ならぬ人間たち。人々がそれに向き合い、気付かなければ、また同じようなことが、遠い未来で起こるのではないでしょうか?」

そしてそれは、誰もが考えていたことだった。
穹集は人が醜いと言った。
人に失望しているのであれば、人が変わらぬ限り、壊すに値はせんと思わせない限り、また歴史が繰り返される。
同じことが何度も何度も起こり、何度も世界は壊される。
彼等にとっての理想が完成する、その日まで。

「政府は崩れた。そして、穹集のあの宣言。…人々は間違いなく混乱している。世界破壊の阻止だけでなく、政府の、世界の立て直しも同時並行で行わなければいけない。でなければ混乱した人々が、ますます神々の失望を掻き立てる事態を起こすかもしれない。」

だから、と弓良は言葉を続けながら翼を見つめる。
青い空色の瞳は、動揺で揺らぐ。しかし、彼には混乱している時間も、悩む時間も、与えられない。

「お前は神の子として、世界を守り、世界を立て直す必要がある。…まずは、代表一族の頭首選定を、行わなければならないだろうな。」

彼が立ち止まることは、彼が逃げ出すことは、誰も許してはくれないのだろう。


第58晶 神子の重荷


家が半壊してしまった今、しばらくは実験班組織に滞在せざるを得なくなってしまった。
幸い部屋が余っていたこともあり、組織に訪れた者達は、病院へと戻った瑠淫と燭嵐を除いて各々提供された寝室で休んでいた。
翼はごろりと慣れないベッドの上を寝転がり、天井を仰ぐ。
古びて少し黄ばんだ天井に浮かぶ、茶色いシミを数えながら、大きく溜息をついた。
神の子という身分が厭で、神の子であることが厭で、普通の人間になりたくて、そう思って、翼は空然地を出たはずだった。
しかし気付けば神の子としての影響力を重視され、神の子の席を巡り兄弟同士で争うように仕向けられ、いきなり神を自称する少年が現れて、しかもどうやら彼は本当に神らしく、世界を壊そうとしていて、そして、神の子として世界を立て直すべきと、そして世界を守るべきと言われて。

「…最初から…」

思えば最初から、翼は『神の子』というものから逃げられてはいなかったのだ。
羅繻や死燐、無焚が自分に興味を示してくれたのも、神の子だから。
神の子だったからこそ、こうして自分に興味を抱く者、守る者、味方する者が現れる。本命は、神の子として付いて来る、影響力という名の特権。
最初から神の子というものに縛られているし、ただの人間を目指していたが、翼はもう二度と、死んでもただの人間という称号からは逃れられなくて、死ぬまで、死んでも神の子というものに縛られるのだろうということを痛感させられた。
十八歳になるまでの間、世間のことをろくに知らされず、屋敷の中で閉じ込められるように育った翼。遂に外へと飛び出し、自由を夢見た翼。そんな翼にとって、外の世界は想像以上に自由とは程遠く、厳しいもので。
凡そ二か月近くの間で体験したものの密度の濃さに圧倒され、己が気付かぬ内に、心身共に疲弊をしていた。
息苦しくて、上手く酸素を吸えない。苦しくて、水中の中にいるような、沈んでいくような感覚に、いっそ身を委ねようかと、目を閉じる。

「翼。」

コンコン、というノックの音に反応して、翼は目を覚まし、身体を起こす。ギシリとベッドの軋む音がした。
ベッドからゆっくり身体を下ろして、ゆらゆらと扉の前へと足を進める。
冷え切ったドアノブを握り締めて扉を開けると、自分と瓜二つの顔をした少年がそこにはいた。

「青烏…」
「今、いいか?翼。」

翼は青烏を部屋へと招き入れる。特に座る場所もないので、ベッドに腰掛け並んで座る。
二人の間に、しばしの沈黙が流れるが、その沈黙を、翼が破った。

「どうしたんだ、青烏。俺に何か話か?」
「いや、特に話というものは、ないんだ。ただ、そろそろ翼がパンクしそうになっているんじゃないか、と思ってな。」
「え?」

思ってもいなかった言葉に、翼は思わず目を丸めた。
長年暗闇に閉じ込められていた故か、羽切に洗脳染みたことをされていた故か、心身の麻痺が残ったような、そんな表情の読み取れない無感情な目で翼を見つめる。
そして、手を伸ばすと、翼の空色の髪を優しく撫でた。

「…お前は小さい頃、様々な勉学を受けることが出来て、たくさんの豪華な食事を食べることの出来る青烏の役を、頻繁に交換してくれたな。でも、私は知っていたよ。私が翼として、神子の盾になるべく生まれたのだと羽切に言われていたのと同じように、お前が青烏として、神子とはなんたるかを、延々と言われ続けていたのを。」

そんな大事なことを忘れていたのだけれど、と、青烏は自嘲染みた笑みを浮かべる。

「名前を変えて、入れ替わって、それでも、立場は結局変わらないまま、お前は神子の宿命や、重石を背負っている。それは、ただお前を守る、それだけの役割だった私とは違う。もっと色々なものを背負わなければいけなくて、とても重くて、気付いたら、その重石に、潰される。」

そして、お前は今、潰れそうだ。
青烏は翼の身体を抱き寄せて、絞り出すような声で、語り掛ける。
青烏の身体は、とても冷たい。昔から体温の低かった彼の身体は、元々体温が高めの翼にとって、心地が良く、されるがままに身体を預けた。
先程までの息苦しさが嘘だったかのように、大きく息を吸って、吐くことが出来る。
これが安心というものなのだろうか。
雷希とも雷月とも飴月とも違う、兄弟故の、対等故の安心感。年上だとか男だとか、そういった見栄を張ることなく、身体を預けられる。

「私も、代われるものなら代わりたい。世界を守るとか、人々を導くとか、そんなだいそれた役割、荷が重すぎるし苦しすぎる。楽になりたいって、自由になりたいって、逆の立場だったら誰だって思う。守られる人間であるということは、それ以上に誰かを守る存在で、守られるに値する重要な重荷を背負っているんだ、そんな役割、担えと言われてはいそうですかというようなやつはそういない。」

それにな、と青烏は饒舌に話し続ける。
まるで今までの空白であった十年を埋めるように、そして、懺悔するように、想いを吐露していく。

「私が青烏になったのは、逃げたんだ。お前の役目から。私は知っていた。お前の役割の重荷も、背負う運命も、あの日の前夜に気付いていた。だから、私はお前を守るなんて言いながら…失いたくないって言いながら、お前の背負う運命に怯え、ただ、神子を守る存在である方が楽だと…お前を庇う道を選んだ。」

すまない、と謝罪を口にする彼の肩は、腕は、声は、震えている。

「でも、この役目はきっと、お前じゃないと担えない。神の子としての、万物の自然を操る力を持つ、森羅万象に愛されるお前だからこそ、出来ることなんだ。お前以外に、神子の役割は背負えない。どれだけの重圧があって、どれだけお前が苦しむことになっても、そうしてくれと、いうしか出来ない。今はそれが最善なのだと、皆、思っているから。」

青烏の、翼を抱きしめる腕が強くなる。
ぎゅう、と力が込められて少し苦しい。けれど、彼が部屋を訪れる前と比べれば、ずっと、苦しくない。
寧ろこの苦しみは、心地いい位だ。

「だけど、お前の背負う重荷を共有することは出来る。だから、潰されないでくれ…一緒に、背負わせてくれ。」
「…青烏、確認だが……それは、贖罪か?」

翼が、疑問を投げかける。
疑問を投げかけたその声が震えているのに、翼は自分でも意外に思っていた。
青烏は、彼を抱きしめる腕を緩めて、少し翼から離れる。そして、彼の肩に手を置いて、彼の瞳をじっと見つめる。
その瞳は、力強い。

「違う。それは違う。確かに、最初はそれもあったけど、違う。…兄弟だからだ。」

彼の表情は、相変わらず無表情だ。昔のようなおどおどとした様子や、穏やかな笑みを見せる様子はない。
それでも翼には、彼の顔が、笑っているように見えた。無表情だけれど、それでも、優しく笑いかけているように見えた。

「…ありがとう。少し、楽になった。」

翼は、青烏の肩にもたれかかるように身体を預ける。
力が抜けて安心したのか、少しずつ瞼が重くなっていく。

「…神子とか、世界をどうするとか、正直、どうでもいい。…でも、お前や、雷希、みんなを死なせるのは、厭だ。だから、それを避けることが出来るというのであれば、お前が、一緒に居てくれるのであれば…」

俺は、俺の出来ることをしようと思う。
翼はそう言って、穏やかに口元を緩めながら、ゆっくりと目を閉じた。

 


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