Pray-祈り-


本編



「ある、ば…?」

ふらふらと、イノセントは足をふらつかせながら、目の前に根付く一本の木に触れる。
ぺたりと素手で触れた木は暖かくて、何故か、脈打っているようにも思えた。
足元に落ちている本。イノセントの神器だ。
神器を拾い上げ、優しく触れ、撫でる。しかしそれはただの本なのだと、何故かイノセントは理解することが出来た。
これはもう、神器ではない。
もしも『神器』と定義出来るものがあるとすれば、この、目の前に根付いている木なのだろう。
だからといって、この木に、神器としての特別な力を感じるかと問われれば、何も感じない。
神聖で、厳かな、そんな気配は確かに感じられる。
けれど、力は感じられないのだ。

「…永久の眠りに、堕ちよ…」

アルバが唱えていた言葉。その最期の一説を、復唱する。
もしもこれが、封印の呪文なのだとすれば、アルバは、命を賭して神器を一つにまとめ、そして、もう二度と人の手によって悪用されることがないよう、封印したのだろう。
全てを賭した彼の遺体は、木に飲み込まれ、何処にも、ない。
当然、ユーリの遺体も見当たらなかった。

「何も…」

声が震える。拳が震える。怒りに任せて、イノセントは目の前の木を、己の拳で殴った。
ドンという鈍い音。
そして手の痛み。
けれど、木は、びくともしない。何の反応も、見せてはくれない。

「何も、死ぬことはないだろう…!私は、私は…!」

お前と何も話が出来ていないじゃないか。
イノセントの叫び声だけが、虚しくその場に響いていた。


第49器 終焉の傷跡


ミスト=アディンセル、アレス=トア、ハマル=シェタランの葬儀は、その日の翌日に行われた。
アレスの両親は、十年以上彼とまともに出会っていない。まさか、十年以上ぶりに再会した彼が、もう物言わぬ死体になっているとは思わなかったのだろう。
母親は泣き崩れ、父親は、無言でその遺体を眺めていた。
アレスと同じような形で命を絶ったハマルに対しても、きっと、思うところがあったのだろう。
既に両親を亡くしていたミストに、家族と呼べるのは妹しかいない。
ミストの妹は、最上階の別室で眠っているところを発見された。外見は十六歳の少女のままで、彼女の中の時代は十六歳の時のままで、突如一遍した周囲の環境に戸惑い、そして、目を覚ました彼女にとって、唯一の家族であった兄であるミストの死は、ショックを与えるものだった。
ミストの遺骨は、彼女の手に渡り、一人では心細いであろう彼女の傍には、フェレトがつくことになった。

「自分に出来ることは少ないかもしれないけど、自分は彼女の傍にいるよ。…ミストにも頼まれたし。それに、ミストは自分にも、遺してくれたものが、あるから。」

フェレトはそう言って、少し恥ずかしそうに、泣きはらした赤い目で微笑んだ。

「まだ、安定するには程遠いから、しばらくは安静にしててほしいけどね。ヨアンたちもまだしばらくはこの辺りで身を潜めるみたいだし、彼女の出産までは、私も彼女を診るよ。フェリシアの身体も、少し心配だしね。」

そう言って、チェスターは笑う。
フェレトは、妊娠していたのだ。父親は、ミストだと言う。
アルバが、そして、他の皆も気にかけていた、下階に残して来た皆は無事であった。
上にいるエイブラムたちを追って加勢することが出来ないよう、多少嬲られはしたようで、何人かはいまだに病院で入院中だと聞いたが、命に別状はないらしい。
その報告だけでも、ひとまずほっと胸をなでおろすことが出来た。
他の皆も、今は休養を要され、元の日常生活に戻りつつある。

「アルバのことも…報告しないと。な。」

イノセントは、暗い表情で呟く。
アルバ=クロスの死。それは、カートライト家、そしてクロス家にはすぐ伝えられた。
当然、彼等が関心を見せることがなかった。強いて言うのであれば、都合の良い道具が一つなくなってしまったという愚痴位。
どちらかといえば、その後イノセントが告げた、カートライト家、そしてクロス家の解体の報告について話した時の方が、彼等は衝撃を受けていた。
もう、神器はない。
それならば、もうこんな大きな家は必要ないのだ。
ただし、まだ、アルバの死を報告していない者がいる。

「エイブラム、アベル。お前たちも一緒に来てくれ。これから、あの人のところへ向かう。」
「あの人って…?」
「エヴァ=クロス。…アルバの、婚約者だ。」
「婚約者ぁ?!」

二人は思わず素っ頓狂な声を出す。
そういえば、アルバはクロス家に婿養子として入ったのだ。婿養子なのであれば、嫁としての存在、婚約者がいても不思議ではない。
どうもアルバに所帯を持つような雰囲気を感じられなかったので、頭になかったことではあるのだが。
イノセントは少し気まずそうに、苦く笑う。

「一人で報告するのも、結構精神的にクるんだよ。」

そう言うイノセントの肩は、震えていた。
彼にとってもアルバは大事な存在だったのだ。イノセントだってショックを受けているはずなのに、それを、わざわざ婚約者の対して告げなければいけないというもの程、精神的にキツいものはないのだろう。
エイブラムとアベルはイノセントの頼みを快諾すると、三人で、エヴァ=クロスのいる屋敷へ向かうことにした。
彼女の父親であるクロス家の当主や、その他のクロス家の人間たちがいる屋敷の隣に、ちょこんと小さな屋敷がある。
厭、その屋敷も十分、一般家屋と比べれば大きいのだが、それでも、本体である屋敷と比べれば圧倒的に小さかった。
エヴァは、普段はこの屋敷で暮らしているらしい。
トントンと、扉を何度かイノセントがノックする。

「はい。」

りんと鳴る鈴のような、涼やかで愛らしい声が扉の奥からする。
扉がゆっくりと開くと、そこには一人の女性がいた。亜麻色の長い髪を揺らした、優しげな雰囲気の女性。

「エヴァさま。イノセント=カートライトです。お話があって、参りました。」

彼女こそが、アルバの婚約者、エヴァ=クロスだった。

 


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