Pray-祈り-


本編



不自然な寒さに身を震わせると、どくどくと溢れる血液の感触がして自然と眉を寄せる。
ぞくぞくとした寒さは出血による寒気だろう。
既に感触と呼べる感触はまともに感じれぬようになって来て、身体もろくに動かない。
腕の感触がなくて、動かそうとしても動かない。動かないというよりは、そもそも腕がないのだ。
何処にいってしまったのかは…考えるのも、億劫でしかない。
氷の壁に寄り掛かっている背中は余計に冷たく、深く息を吐くと、その息は白く浮かび上がった。

「…フェレト…」

彼女は逃げ切れただろうか。どうせだったら、下に逃がしてやりたかった。
けれど、もしもアベルがいるのであれば、逃げる方法はゼロではないだろう。
この先の未来がどうなってしまうのかは、ミストが道をあけた、二人の男にかかっているのは言うまでもない。

「…頼んだぞ…」

誰に言うでもなく、ミストは息を大きく吐きながら呟く。
目の前に降りかかる、巨大な刃を眺めていると、ミストの視界は朱く染まった。


第40器 赤い雷は拳と成りて@


次のフロアへと進んだイノセントとエイブラムを待ち受けていたのは、無人の部屋であった。
また誰かが下りて来るのではないかと身構えるが、シンとした空間には人の気配が全くといって良い程ない。
このフロアには階段がなく、すぐ目の前にはもう一つ扉があることからこの先に階段があるか、もしくはゴール地点があるのだということがわかる。

「とりあえず、此処で立ち止まっていても仕方ない。扉をあけよう。」

イノセントがそう言って扉をあけると、やはりその扉の先には階段があった。
そして、階段の上には、今までの扉とはまた少し異なる、厚い扉がずしりと待ち構えている。
この先に、待ち構えている人たちがいるのだろうか。
イノセントが、一歩、部屋へと足を踏み入れる。
エイブラムも後ろへ続こうとした時、突如、二人を引き離すように扉が勢いよく閉じられ、ガチャリと鍵のかかる厭な音がした。

「なっ…!」

エイブラムが声をあげて、ドアノブをひねる。
ガチャガチャと音がするだけで、扉が開く気配がない。イノセントも反対側で、エイブラムと同じように扉を開けようとしていたが、こちらからも開けられる様子ではなかった。

「駄目だ、開けられない…」

扉越しから、イノセントの声が聞こえる。
幸いにも、扉越しで会話をすることが可能な程度の厚さではあるらしい。
エイブラムが、イノセントへと語り掛ける。

「イノセントは、そのまま先に進んでくれ。」
「エイブラム!だが…」
「扉のことは自分でなんとかする。それよりも時間が惜しい。イノセントは早く先に進んでくれ。」
「…わかった。」

エイブラムに言われ、イノセントは扉を離れて階段を上っていく。
トントントンと階段を上っていく音は扉越しでも聞こえて来て、イノセントが無事先へ進んでくれたことを確認することが出来た。
しかし、扉のドアノブをいくらひねったところで、この先に進むことが出来る気配がしない。
何度か体当たりで扉にぶつかってみたが、身体の側面が痛むばかりで扉はうんともすんとも言わない状態だ。
あまり力を使い過ぎたくはないのだが、神器を使わなければ強行突破は難しいだろう。
首に下げたネックレスにそっと手を当てて、神器の力を解放させるために力を集中させる。

「よぉ、エイブラム。どうしたんだ扉の前で立ち尽くして。」

その時、聞き覚えのある声が聞こえた。
振り返ると、見慣れた青色の癖っ毛と、桃色の瞳が視界に映る。
アベル=ムーアが、にこにこと見慣れた笑みを浮かべながらエイブラムの目の前に立っていたのだ。
今まで誰もいなかったのに何時の間に現れたのかという疑問も当然思い浮かぶが、その前に、どうして今になって自分の目の前に現れたのかとか、今までどうしていたのかとか、何で裏切ったのかとか、あらゆる疑問が脳裏をかすめる。
そして、それと同時に、裏切る前と変わらない笑顔が酷く懐かしく、嬉しくもあり、悲しくもあった。

「おいおいエイブラム、なんつー顔してるんだよ。今、凄い顔してるぞ。鏡で見てみろよ。」

へらへらと笑う彼の笑顔からするに、自分は本当にすごい顔をしているのだろう。
実際に鏡で拝んでみたいところだが、残念ながら此処には鏡がない。
アリステアがいれば見せてもらえたかもしれないな、と少し暢気なことを思ってしまうのは、親友である彼と二人きりの空間だからかもしれない。

「なぁ、エイブラム。何も俺は、お前を裏切りたくて裏切った訳じゃない。それ所か、お前には神器のことは何も知らないままでいてほしかった。何も知らない、ちょっとコミュニケーション能力が低い、俺がいないと何も出来ない幼馴染のままでいてほしかったんだよ。」

なのにお前は神器を解放してしまった。
アベルは目を伏せながら呟く。初めてエイブラムが神器を解放してしまったあの時を、エイブラムが協会へ入ると告げた時の、あの時のことを思い出しているのだろう。
エイブラムもまた、当時のことを思い出していた。
あの時は神器なんてただの神話とか、御伽噺程度にしか考えていなかった。
まさか実在していて、それらを集める為に戦うなんてことは、考えてもみなかったことだ。
しかし、エイブラムがごく普通の学生をしている間、アベルはずっと、エイブラムが知らない間に、戦い続けていたのだろう。
そう思うと、今となってはもう、何も知らなかったあの頃に戻ることは出来ないし、戻る訳にはいかないし、戻りたいとも思えない。

「残念だ。本当に残念だよ、エイブラム。」

アベルはそう告げ、手に握る銀色のものをエイブラムへと突き出す。
それが、拳銃なのだと認識するのに、少し時間がかかった。
エイブラムも、背筋を伸ばして、じっと、アベルのことを見つめる。

「お前があの時、あの店に行かなければ。あのネックレスを手に取っていなければ。神器を解放させていなければ。協会に入るなんて言わなければ、お前は、何も知らないままだったのに。何も知らない、俺がいないと何も出来ないエイブラムのままだったのに。」
「アベル。人は変わる。そして、成長する生き物だ。俺はもう何も知らなかった、ただの学生だった俺じゃない。過去は変えられない。進むしかない。もう、お前がいないと何も出来なかった、弱い自分じゃないんだ。」
「…残念だよ、エイブラム」

パン、という乾いた銃声が響く。
アベルの威嚇射撃だ。
しかし、エイブラムは怯まない。怖くないと言う訳ではない。
戦いは怖いし、出来ることならば避けたいし、しかも、親友であり、幼馴染である彼とは、戦いたくはない。
けれど、彼と戦わないと、この先へ進むことは出来ないのだろう。

「知らない方が幸せなことだって、あるんだぜ、エイブラム。」
「例え知ることが不幸だったとしても、俺は、それでも知りたい。知らないままぬるま湯に浸かっている方が、ずっと不幸だと俺は思うから。」

異なる意見は、拳となり、力となり、赤と青は、ぶつかり合った。

 


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