Pray-祈り-


本編



「貴方の執事をすることになりました、ヨアン=セービンです。」
「執事?」
「ええ。執事です。貴方のご命令は、何でも聞かせていただきますので、ご命令があれば。」

ヨアンはにこりと微笑む。
病弱な少年の面倒を命じられたヨアンだが、特別ベッドから起き上がれないとか、そういう事情がある訳ではないので、外に出られない子供の相手をする程度ならまだ楽な仕事だと思っていた。
所詮は十代前半の子供。
願いといってもたかが知れているだろうと。
多少は我儘なことを言うだろうけれど、それも許容範囲ではあるだろうと。

「僕を、僕を外に連れ出して…!」

それが、フィオン=ランドールの願いだった。
病弱で、少しでも身体に障らぬよう、寿命を縮めぬよう、屋敷での軟禁状態が続いたフィオンは、屋敷の窓から見える外の景色しか、知らない。
そして、いくら子供の淡い願いといえど、彼よりも偉い、主人である彼の父に逆らうことは、ヨアンでも出来なかった。
外に出たい。
どんなにそれ以外の命令は何でも聞くからと言っても、彼はその願いを曲げなかった。
純粋で、穏やかで、無垢で、眩しい幼い少年。心臓の病により、何年も生きられないと言われた、儚い少年。

「そいつの病気、病気じゃないぞ。…私に協力するなら、治してやれるかもしれないが、どうだ?」

アルバ=クロスの声をかけられたその時から、フィオンを外の世界へ出すことが、彼を自由にすることが、ヨアンの目的となっていた。


第36器 執事は鳥籠を開ける鍵と化すA


岩の槍は、勢いよくこちらを貫こうと突進して来る。
慌てて避けると、床へと突っ込んだ槍は、そこにとても大きな穴を開けた。
そしてそれが、どれほどの威力を持ったものだったのかということを理解させられる。
こんなものを喰らってしまえば、ひとたまりもないだろう。それは無残な肉塊になること間違いなしだ。
更にヨアンは、岩を操り、無数の岩の槍を降り注いでいく。

「ひとまず避けるぞ!」

まずは、避けて隙を見るしかない。そう踏んだエイブラムたちは、大きな岩の槍を次々に避けていく。
本来であればアリステアの能力で反射をしたり、イノセントの能力で交わしてしまうのが一番妥当なのだろう。
しかし、アリステアは先程、ノアとの戦いで力を消耗したばかりで完全に回復はしきれていないし、イノセントもまだ余力はあるだろうが、此処で全員、力を消費してしまうのは危険でしかないと思ったからだ。
それに、フィオンを大事に抱えているヨアンにはうかつに攻撃が出来ないし、ヨアン自身も、フィオンを傷つけるリスクがあるのは本意ではないのか、距離を取り、砂や岩による遠距離攻撃ばかりを繰り返している。
操っている砂だって、神器の力で無理矢理産み出したものだから、地上で無造作に操れる時よりも体力を消耗するはずなのだ。

「うわっ」
「ベイジル?!」

ガゴン、という鈍く厭な音が響く。
ベイジルに向かって飛んで来た岩、それを、ベイジルはフォークを神器として武器化させることでなんとか回避していた。

「こっちは、平気。…でも…」

だが、床に穴が開いて足場がどんどん悪くなっていく中、避けることにどんどん限界が生じていく。
どちらの限界が来るのが先か。
限界が来たのは、ヨアンだった。

「…ッ、」

肩で息をしながら、ヨアンは地面に膝をつく。
それでもフィオンを落とさぬように、傷つけぬように、腕は彼を抱いたまま放さない。
ループタイの光はちかちかと点滅をしていて、体力が限界に達しているということがすぐにわかった。

「…ヨアン、もうやめよう。これ以上は、君の身体が持たない…そうでしょ?」

チェスターがヨアンの前で屈み、目線を合わせながら問いかける。
その指摘は図星だったのか、ヨアンは諦めたように溜息をついて、その場に、フィオンを揺り起こさないようそっと座った。
そして、敗北の証としてなのか、己のループタイを首から外して手渡す。

「…元々、必要ないものですから。駄目ですね、自分の目的と、アルバさんへの恩義と、両府果たそうとして…贅沢は駄目なのだと痛感します。」

ヨアンは、自嘲染みた笑みを浮かべる。
そして、フィオンの寝顔を見ながら、今にも泣きそうな表情へと変えていった。

「見逃して、もらえませんか?フィオン様は…フィオンは、ずっと、外に出たがっていたんだ。この子の身体が良くなったとして、それでも、あの父親の元では、彼はずっと外へ出るという願いが叶わないかもしれない!赦されないことをしようとしているのは、わかっている、わかっているんです!でも、彼を、外に出してやりたい。その為なら、どんなことでも、したいんです…お願いです!私が死んだら、彼を外へ出せる人間がいなくなってしまう!」

それは、悲痛な叫びだった。
フィオンの父親がどんな父親なのか、イノセントとのやりとりを目撃していたエイブラムにはよくわかる。
あの父親は、フィオンのことをランドール家の跡取りだと言っていた。
跡取りとして大事に大事にしているというのなら、病状が良くなろうと、悪くなろうと、自分に都合の良いように、屋敷の中に、鳥籠のように、牢屋のように、閉じ込め続けるだろう。
そして、都合の良いままに彼を動かしていくに違いない。
ヨアンのしていることは、決して、良いことであるとは思えない。
やっていることは誘拐でしかないし、犯罪だ。

「私たちが咎めているのは、神器による犯罪だ。神器を回収した今、これ以上は管轄外。後は、警察…そうだな、シリルが決めることか。嗚呼、でも、シリルはもう負けて、今ヴェルノが監視しているから、動けないかな。」

イノセントは、そう、淡々と告げる。
事実上、見逃すということだろう。
ヨアンも、まさか本当にそうなるとは思っていなかったのか、ぽかんとした表情をしてイノセントのことを見上げている。

「ところで、身体が良くなったとして、ということは…その子の神器は?」
「…アルバさんが、取り出してくれました。今の彼は、神器を持たぬ、ただの人間です。」

ヨアンの言葉に、イノセントは目を丸くする。
人間から神器を取り出す。そんなこと、簡単には出来ないから、今までずっと模索し続けていたのに、それをアルバがやってのけてしまったというのだから驚くしかないだろう。
しかし、あれだけフィオンのことを気遣っているヨアンが嘘をつくとも思えないので、彼の話していることは真実ということになる。
神器に縛られることがなくなったからこそ、遠くに逃げて、自由になろうとしていたのだろう。

「でも、たった二人でなんて、あまりにも無謀過ぎるよ。」

チェスターはそう言って、自分の指から、きらりと光る指輪を抜き取る。
そしてその指輪を、イノセントへと手渡した。

「私も一緒に行くよ、ヨアン。」
「…チェスター…?!」
「神器の力がなくなるとはいえ、私は医者だ。その子に万が一があれば、診ることは出来る。逃げる身なら、なかなか病院へはいけないだろう。身分がばれるしな?」

ヨアンは異論がないのか、深々と、頭を下げる。
チェスターもまた、申し訳なさそうに、イノセントに頭を下げた。

「すみません、イノセントさん。…私は…」
「此処まで来てくれただけでも、十分感謝したいくらいだ。気にしないでくれ。下へと降りるなら、オセロやヴェルノたちも連れて、外へ出て安全なところへ先に戻っていて欲しい。ハマルとアレスについては…遺体をあのままにしておくわけにはいかないから、この件が済んだら…私たちで…」
「わかっているよ。」
「…アレスと、ハマルは……死んだん、ですね…」

チェスターとイノセントのやり取りから、アレスとハマルの訃報を知ったヨアンはがっくりと肩を落とす。
やはり、彼とて人が死ぬという現実に、ショックを抱かない訳ではないのだろう。
元々ただの執事で、殺人を生業としている訳ではないのだから。
ただ、神器という存在に出会って、少し、人よりも異質な分歪んでしまっただけで。

「フィオンを安全なところに動かさないとだろうからな。まずは、此処から出るといいよ。私たちは、先を急ぐから。」

イノセントの言葉を受け、ヨアンとチェスターは頭を下げてから階段を降り、その場を後にした。
残ったメンバーは、エイブラム、アリステア、ベイジル、イノセントの四人。
当初と比べると、一気に半分にまで減ってしまった計算だ。
人数が減ってしまったからか、イノセントは、少し寂しそうに微笑む。

「すまないな、此処まで付きあわせてしまって。」
「…俺たちも、協会の人間だから、付き合っているとは思っていない。ただ、一緒に来ただけだ。」
「そう言ってくれると、助かるよ。」

イノセントたちもまた、塔の最上部へと続く階段を目指して上って行く。
出来ることなら、もうこれ以上、何かを喪うことがないようにと願いながら。

 


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