Pray-祈り-


本編



赤黒い小さな水溜まりに沈む青年の前に、ハマルは膝を付く。
震える手で青年に触れると、その身体はまだ温かい。つい先程まで、生きて、動いて、叫んでいた青年。
しかしもう息はなく、その瞳に光はない。

「…あれす…?」

問いかけるが、反応はない。
当然だろう。彼は自ら命を絶ったのだ。死人に口無し、声をかけたところで無駄であるということはわかりきっている。
それでも、話しかけたらまた起き上がって、自分のことをバカだアホだと罵る義兄の姿があるのではと、淡い期待をしてしまった。
濁った瞳はその期待に応えてはくれない。
アレスは、死んだ。
それが、紛れもない事実だ。

「アレス…アレスアレスアレスアレスアレスアレスアレスアレスアレス…!」

何度も、亡骸と化した肉塊の、かつての名を呼ぶ。
しかしそれはもうただの肉の塊であり、死体であり、何度名前を呼んだところで、起き上がることはない。
白い空間に、ハマルの叫びだけが、響き渡る。

「…どう、して…どうして、アレス…何で…」

その疑問に、彼はもう答えられない。
手遅れだったのだ。無駄だったのだ。自分たちが、彼を絶望の底に叩きつけてしまったあの日から、既に、修復は不可能な状況にまで陥っていたのだ。
しかし、それならどうして、もっと早く殺してくれなかったのか。
その理由は、既に、ハマルはわかっていた。

「…どうして、死にたがってたんだよ…」

アレスはあの時、本気を出してはいなかった。
だからこそ、互いにぶつかり合ったあの時、アレスの剣は折れた。しかし、ハマルはアレスを殺すつもりはなかった。
だから、ハマルに殺されるということに失敗したアレスは、自ら、ハマルの剣に刺されに逝った。
ハマルを殺すと言いつつ、アレスはハマルに殺されることを望んでいた。
最初から、アレスにはハマルを殺すことは出来なかったのだ。


第34器 星に憧れた愛されたがりB


ハマルは、星の形を模した、アレスのブローチにそっと触れる。
アレスは昔から、星に憧れていた。何故かと問えば、星になれば、皆にきっと愛される。星を嫌う人間なんて滅多にいないだろうと、そう言って笑っていたかつての彼を思い出す。
だからといって、まさか本当に星になることはないだろう。
否、死んだって星になれる訳ではない。死んだら所詮ただの肉塊と化して、魂は消えて、全てが無になってしまうだけなのだから。
しかし、彼がそうなるようにしてしまったのは、彼が星になることを望んでしまった原因は、紛れもなく自分なのだ。
二十年前のあの日、自分も両親と共に死んでいれば。アレスの家に引き取られることがなければ、アレスは、彼の小さな世界の幸せは保つことが出来た。
彼が彼であるための幸せを奪ったのは、紛れもなく自分。
例え第三者が違うと叫んだところで、その事実は変わらない。

「…ハマル…」

声がして、ハマルはゆっくりと振り向く。
震えながら、怯えるような目をしながら、エイブラムたちがこちらを見ていた。
人の死をこんなにも間近で見るのは、きっと初めての経験だったのだろう。
ハマルとて、そう何度も人の死を見つめ続けた訳じゃない。両親の死は覚えていないし、協会の任務の過程で悲惨な光景を目にしてしまうことはあったとしても、こんな直接的に死と見つめ合うのは初めてだ。

「その、あの…」

何かを言いたそうに、エイブラムは口籠る。
彼なりに、きっとハマルを気遣っているのだろうということは、わかった。
それでも、言葉が出ない。
大丈夫かと問うたところで大丈夫ではないし、気落ちするなと言っても気落ちする。何を言ったって所詮気休めにしかならないのだし、それなら言わない方がいいのではないか。
それ故に、エイブラムは何も言わない。何も言えない。
ハマルは、アレスの身に着けていたブローチをぶちりと千切り取り、更に彼の胸に突き刺さった自身の短剣を抜き取ると、ゆらりと立ちあがる。
エイブラムの元へと近付くと、血にまみれたアレスのブローチを差し出した。

「…エイブラム。」

ハマルが短く、告げる。
受け取れということなのだと理解したエイブラムは、おずおずと手を差し出して、そのブローチを受け取った。
どろりとした血はまだ生暖かくて、彼がつい先程まで生きていたのだということを痛感させられる。

「エイブラム。イノセントさん…それに、みんなも。…みんなは、先に、行っててくれないか?」
「…ハマル、お前はどうするんだ…?」
「僕は、行かなきゃいけないところがあるから。」

そう言うとハマルは、手に持った、アレスの血にまみれた短剣を両手で握り締める。

「待っ…!」

次に彼が起こす行動に想像がついたエイブラムたちは、ハマルを止めようと手を伸ばすが間に合わない。

「僕は、アレスのところに逝く。アイツ、ああ見えて…寂しがりやだから…」

そう言ってハマルは笑って、アレスがしたのと同じように、自身の胸にその短剣を突き立てる。
ずぶりと肉に刃が食い込むと、そこから真っ赤な血が広がっていく。
喉に込み上げて来た血液をげほげほと吐き出すと、その血はまるで滝のように、体中から溢れ出ていくのがわかる。
腕に力を込めて、胸から刃を抜き、そして、また突き刺す。
何度も何度も己の胸に刃を突き立て、血を噴水のように溢れさせ、服を、床を、赤で汚していく。
唯一、ハマルの瞳から零れ落ちる涙だが無色透明であったが、それも、ハマルの血と混じり合い赤く染まっていった。

「…あれ、す…ぼくも…」

すぐそばに。
最後の力を振り絞り、短剣を抜いて放り投げる。
カランと乾いた音がするのを聞きながら、ハマルは真っ赤な泉の中に、ゆっくりと崩れ落ちていく。目の前には、既に瞳の光を失ったアレスの姿があった。

(ねぇ、アレス。)

声をかけようと口を動かすが、既に声が出ない。
それでもと、せめて伝えたい思いを、決して伝わらない思いを、アレスに語り掛ける。

(君は怒るかもしれないけど、厭がるかもしれないけど、それでも、僕には君がいないと、駄目なんだ。)

人生の分岐点となってしまった、十五年前を思い出す。
今にも泣きそうになるアレスの顔が、今にも泣きそうな顔で頬に手を添えるアレスの顔が、無表情で頭を下げるアレスの顔が、たくさんの顔のアレスを思い出す。
次に、最近の記憶。
やはりアレスのことばかりだ。
怒った顔のアレスや、小馬鹿にするような顔のアレスや、露骨に嫌そうな顔をするアレスや、他人には朗らかな笑みを見せるアレスの顔が、浮かぶ。
それでも、ハマルは知っていた。
彼が、誰にも愛されるような朗らかで小鳥がさえずるようなかわいらしい笑みを浮かべていたとしても、彼が、心の底から笑っていることはなかったことを。

(君の、笑顔…見たかったな…)

薄れゆく意識の中、最後までアレスのことを見つめながら、ハマルはその意識を手放して逝った。
ハマル=シェタランは、アレス=トアの後を追い、死んだのだ。

 


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