Pray-祈り-


本編



白い羽と、水飛沫が四方へ弾け飛ぶ。
水飛沫は雨のように降り注いで皆を濡らし、その上から、ひらひらと羽が舞った。
鮮明になった視界の先にはアレスとハマルが居て、ハマルの剣の切っ先がアレスの胸元へと突きつけられ、アレスの剣は、先からぽっきりと折れている。
アレスの背に生えていた羽も姿を消していて、二人は、ぜえはあと大きく荒い息を吐いていて、それがもうこれ以上は神器を操ることが出来ないということを現していた。

「もう、終わりだよ、アレス。」

ハマルが悲しそうに、終焉を告げる。
するとアレスは、にこりと、優しく微笑み、

「そうだね。終わりだ。だから…」

短剣を握る、ハマルの手を握った。

「終わりにしよう。」

そして、アレスは己の身体を引き寄せて、自らの胸に、ハマルの刃を突き刺した。


第33器 星に憧れた愛されがりA


時は、十五年前。アレスとハマルがまだ十歳だった時に、遡る。
その日は、ハマルの誕生日であった。
そもそものきっかけは、それよりも前にあったアレスの誕生日で、その直前、アレスは誕生日プレゼントに何が欲しいかを問われ、店に売っていた大きなぬいぐるみを希望した。
そのぬいぐるみは、当時のアレスやハマルと同じくらいの大きさで、母親は、人形は大きすぎるから小さいものにしなさいと断ったのだ。
確かにそのぬいぐるみはあまりに大きすぎるし、断られても仕方ないものだと、アレスは諦めた。そして、当初希望していたよりもサイズの小さい、丁度胸に収まる程度の小さなぬいぐるみを誕生日として買ってもらった。
しかし、ハマルの誕生日。
その日、ハマルが買ってもらったのは、あの時アレスが欲しがっていた、大きなぬいぐるみだったのだ。

「どう、して…?」

当然アレスは困惑した。
あのぬいぐるみは大きすぎるから、家に置いておくには場所がないし、高くて買うお金もないから我慢するようにと母に言われたから、だから言われた通り、我慢をした。
少し小さく、安いぬいぐるみにしたのだ。
両親を困らせたくはなかったから。
なのに、ハマルには何故、そのぬいぐるみを買い与えるのか。アレスは納得が出来なかったのだ。

「どうしてハマルには何でもするの?どうしてハマルばかりなの?僕のお父さんとお母さんなのに、なんでハマルばかりなの!?ハマルがいなければ、ハマルなんていなくなっちゃえばいいのに!」

アレスが叫んだと当時に、アレスの身体は、はじけ飛んだ。
実の父に殴り飛ばされ、壁へと激突したのだ。
壁に強く頭を打ち付けたからか、ズキンズキンと頭部に鈍い痛みが走る。それに、頬も痛くて、熱い。
視界が急に赤くなり、それが、血によるものなのだと自覚することに少し時間がかかった。痛みはあったけれど、まさか出血する程のものだったとは、アレスにとっても予想外だったのだ。
父は真っ青な顔で、肩で息をしながらアレスのことを見つめていて、母も口元を手で覆い、真っ青な顔をしながらアレスを見ている。
ハマルは、今にも泣きそうな顔で、ぬいぐるみを抱きしめたまま、アレスを見ていた。
全て、自分がめちゃくちゃにしたのだ。
ハマルの大事な誕生日を、アレスのせいで。

「…ごめんなさい。大事な誕生日を滅茶苦茶にして。…本当に、ごめんなさい。」

アレスは深々と頭を下げてから、家を飛び出し逃げ出した。
家にいるのがあまりにもいたたまれなくて、苦しくて、悲しくて、それだけではなく、そこには自分の居場所が一切ないような、そんな心地すらしたのだ。
あの家には両親と、そしてハマルだけの居場所が存在していて、アレスが存在するためのスペースは、最初から存在なんてしていなくて、それが痛感出来てしまうのが苦しくてたまらなくて。
気付けばアレスは家を飛び出し、ふらふらと街中を彷徨い、教会の前へと訪れていた。
救いを求める者は教会を訪れるのが定番ではあるけれど、アレスはこの中に入ることすらも躊躇っていた。入ったところで、自分の居場所は見つかる訳がないと、そう思っていたからだ。

「どうした、中に入らないのか?」

アレスはびくりと身を震わせて、振り返る。
神父の服を着た青年が立っていることから、この青年が教会の神父であるということがわかった。
おろおろと戸惑っているアレスを見て、青年は少し微笑みながら、紙袋から取り出したお菓子を差し出す。

「ほら、中でも入れよ。もっと美味い菓子、作ってやるから。」

神父に促されるまま、アレスは教会の中へと入って行く。
教会の中は無人で、ステンドグラスに太陽の光が入り込んで、様々な色にキラキラと光り輝いている。
いくつもの長椅子が並んでいて、奥にある教壇の前で神父は常に演説をするのだろう。しかし今回、神父はその教壇の後ろにある扉の向こうへと招いた。
その中は小さな部屋になっていて、ソファや、眠る為のベッドがあることから、神父は此処で寝泊まりするのだろうと想像出来る。

「そこに適当に座れよ。紅茶淹れるからさ。」

言われるがまま、ふかふかのソファに腰かける。
部屋の中をきょろきょろと見回していると、小さなキッチンがあったり、テーブルやテレビといった最低限のものはあるけれど、あまり生活感のない質素な部屋だ。
寝泊まりすることが可能とは言っても、此処が生活の拠点という訳ではないのだろう。
紅茶と、美味しそうなパンケーキを持って戻って来た神父は、アレスの目の前にそれを差し出す。
あまい香りが鼻を擽り、食欲を誘う。

「食べていいんだぞ。」
「え、ほ、本当に?」
「嗚呼、本当だ。」

にこにこと優しく微笑む神父の言葉に甘え、パンケーキを一口食べる。ふわふわのそれは口の中に入ると一気に甘みが口内に広がる。
パンケーキに使用されているラズベリーソースは、甘みと酸味を適度な割合に調整して作られているため、パンケーキにもよく合う。
とにかく、美味しい。
さらに一口、もう一口と食べ進んでいくにつれて、いつの間にか全て食べきってしまっていた。

「はは、いい食べっぷりだな。」

そう言って、神父は笑う。

「なぁお前、名前は何て言うんだ?」
「…僕?…アレス。…アレス、トア。」
「アレスか。なぁ、アレス。お前はどうして、教会の前で、泣きそうな顔をして立っていたんだ?しかも見るに、怪我もしているようだし。」

優しく語り掛ける神父。
この神父になら、何を話してもいいかもしれない、そう思ったアレスは自分の今までの経験を全て話した。
義理の弟のこと。家族のこと。そして誕生日の騒動のこと。
アレスが話をしている間、神父は何も口を挟まず、黙ってうんうんと聞いてくれた。その相槌はきちんとアレスの話を聞いてくれているのだと思わせてくれるもので、話しやすくて心地の良い時間だった。
全てを語り終えると、神父は、アレスのことを優しく抱き締めた。
優しく抱き締められるなんて、母親にもしてもらえなかった経験を今この場で体験することに、アレスは戸惑いを見せる。
しかし、ずっと求めていた温もりをこうして得ることが出来た今、アレスの手はそれを拒む理由はない。

「…辛かったな。」

その一言。
たった一言のはずだけれど、その言葉に様々な労わりが込められていて、今までの体験全てを思い出し、アレスは瞳から涙を零した。
子供のように、否、実際彼は子供なのだが、とにかく彼は幼子のようにしゃくりあげて泣き出した。
ひっくひっくと漏らす嗚咽が痛々しくて、神父はアレスの桃色の髪に優しく触れる。

「怪我も手当してやろう。もし、帰るのが辛いというのであれば、此処にいればいい。私も大層な人間ではないが、それでよければ私が家族になってやる。」

神父の言葉に、アレスはうんうんと何度も頷く。
この日以来、アレスはこの教会に寝泊まりをするようになり、教会を手伝うようになった。
神器と共鳴したのは、本当に偶然、教会の地下、つまりは協会に保管されていた神器を見つめていた時に、たまたま共鳴したというありきたりな経緯だった。
しかしそのおかげで、アレスは協会の人間として、その任務に身を投じ、更に自分を救ってくれた神父のため、その身を削ってでも働こうと決意した。
その神父こそがアルバであることは言うまでもないだろう。
両親の顔は、あの日以来、見ていない。

「げほっ…」

咳き込むと、喉から込み上げて来た粘り気のある血の塊が白い床を濡らしていく。
ゆっくり顔をあげると、顔を真っ青にしたハマルが、信じられないものを見るような目で、アレスのことを見つめていた。
確かに信じられないだろう。
今、ハマルの短剣はアレスの胸を貫いている。
いくらアレスが自分の意思で、強引に、自分の胸にそれを突き立てたとはいえ、ハマルにとってはショックが隠し切れないものだろう。
それはよくわかる。
わかるけれど、最初から、アレスはこうするつもりであった。
もしもハマルを殺すことが出来れば、ハマルを殺す。
でも、もしも殺せなければ、ハマルに殺されるか、もしくは、自ら命を断とうと。
アレスのこの想い、この行動に共感を抱く人間もいなければ、理解出来る人間もいないだろう。人間の考えは人によって様々、十人十色であり、その人の気持ちはその人しかわかることが出来ない。
アレスのこの行動を見て、アレスはハマルを恨んでいて、それ故の行動でしかないと思う者が大半だろう。
その解釈は間違っていない。事実、居場所を奪われたアレスは、ハマルのことを恨んだことすらもある。
けれど。

『居場所がない、か。それなら、此処にいるといいさ。私がお前の居場所になろう。それでは駄目かな?』

そう言って笑ってくれたアルバの顔を思い出す。
居場所を得ることが出来たあの日から、ハマルに対して、居場所を奪われたという恨みはない。
そうでなければ、自分のことを追いかけて、イノセントに連れられ教会を訪れた彼を受け入れることなんて、出来ないだろう。

「…あれ、す…ど…して…」

ハマルの声が、震えている。
目に涙を溜めているハマルの姿は、酷く痛々しい。そんな顔をさせているのが自分だと思うと、ぞくぞくと興奮のような気持ちを覚える反面、申し訳ない気持ちも浮かぶ。
力の入らない手をゆっくり伸ばし、彼の頬に触れる。
ハマルの頬は、アレスの手にこびり付いていた、アレス自身の血で汚れた。

「…おれと、お前、が…他人で…」

もしも義兄弟という関係になることがなければ。

「…おれ、が…おんなだったら…」

そうでなければせめて、己の性別が女性であったなら。

「よか…った、のになぁ…」

アレスはそう言って、ハマルに微笑み、そのまま自分自身で作り出した血の海へと沈んで逝った。

 


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