Pray-祈り-


本編



エイブラムの家は、思えば行くのは初めてだった。
神器を通じた関わりが出来る前はただのクラスメイトだった訳だし、会話もなかったし、まさか彼と友人になるなんて思ってもいなかったのだ。
同じクラスであるということが幸いし、プリント類を届けるという口実の元住所を聞き出せていたアリステアたちは、エイブラムの家の前にいた。
緊張の面持ちで、アリステアは扉のインターホンをゆっくり押す。
勢いのまま飛び出してしまったが、どういう顔で出会えばいいのか、わからなかったのだ。
ガチャリ、と扉が開く音がする。

「…みんな…すまない、来てもらってしまったんだな。」

そう言って出迎えてくれたのは、エイブラムだった。
憔悴しきった顔をしているが、体調面については、元気そうである。
困ったように笑った彼は、家の中へと招き入れてくれた。

「エイブラム、どうしたの?」
「友人が来てくれたんだ。部屋へ行く。」

黒色の髪をした女性が、エイブラムに対して心配そうに問いかける。
恐らく母なのだろう。姉に見えなくもない若々しさだが、成程、大変美人だ。
エイブラムは母親には似ていないので、恐らく父親似なのだろう。
母親はこちらを見ると、優しく微笑みながら、頭を下げる。

「俺が、今日学校を休みたいと言っても、何も言わずに受け入れてくれた。優しい母だよ。」

エイブラムの脳裏には、愛されているねと笑いかける、アレスの顔がちらついた。
部屋へ入り、各々床や椅子、ベッドの上に座り込む。

「エイブラム、その…」
「わかっているよ、アベルのことだろう?」

そう言って、エイブラムは笑う。
エイブラムは、頭では理解していた。
アベルと別れることになってしまった今、彼とは別の道を歩み始めてしまっている。
彼等の目的はわからないし、わからないからこそ、彼等の居場所を突き止め、止めなければならない。
そして、戦うということは、命を奪う可能性もあるということ。

「ずっと、悩んでいたよ。アベルは大事な幼馴染で、親友で。こうなってしまったのも、凄く、ショックだ。」

けれど、とエイブラムは言葉を続ける。

「それは、今までも同じだ。俺はアリステアの暴走を止めた時だって、オセロと対峙した時だって、戦った。あれもれっきとした戦いだ。あの時だって、もしかしたら、俺が死んでいたかもしれないし、アリステアたちを殺していたかもしれない。たまたま運よく、俺は人が死んでいる現場に居合わせていないだけだ。だから、今回も同じだ。」

エイブラムの拳は、小さく震えている。
何故震えているのか、その理由はアリステアにはわからない。それでも、彼が何か内に秘めるものがあるからこその、震えなのだということはわかる。
決して、ただ怯えている訳ではない。

「それに俺は、親友だから。アベルの親友だから。親友だからこそ、俺が止める。俺が止めたい。それに、聞きたいんだ。どうしてこんなことになったのか、目的は何なのか。」

馬鹿なことを言っているのかもしれないけれど、とエイブラムは笑う。
アリステアたちが思っているよりも、エイブラムは逞しかった。
そして、覚悟を決めていたのだ。

「お前たちを巻き込むのは、重々承知だ。頼む、一緒に…」
「戦うに決まってるだろ。」

そう言って、アリステアは笑う。オセロも同調するように頷き、ベイジルも、穏やかに微笑んでいた。

「俺たちだって、友達だ。」


第24器 覚悟


何もなくなった教会の地下で、イノセントは一人呆然と佇んでいた。
今まで存在した数多くの神器も、背中を預けることが出来た旧友も、頼りになった部下も、みんな、姿を消してしまった。
否、みんなではない。
残っている者だって、確かにいる。
それでも、なくなったものの方が多過ぎて、どうすれば良いのか、わからなくなってしまったのだ。
アルバは、血を分けた兄弟。
しかも、双子。
その事実を突きつけられて、イノセントは、愕然とした。
初めてアルバに出会ったのは、まだ幼い時。
人と関わるのが得意ではなかったイノセントが一人で泣いていた時に、その手を取ってくれたのが、アルバだった。
当時のイノセントとアルバの関係は、今のエイブラムとアベルの関係と、よく似ていたのだ。
アルバは常にイノセントのことを引っ張って、導いて、背中を預けられる頼もしい存在で、けれど、裏切られた。

(何処からだ…何時からだ…)

それとも、分岐点なんてなかったのか。
最初から既に分岐をしていて、こうなってしまうのは、決定事項だったのか。
冷たい床に座り込んで、頭を抱える。
こんなことをしても解決出来ないことはわかっている。わかっているのに、立ち止まってしまう。

「神父さん?」

聞き覚えのある声がして、顔をあげる。
透き通った金色の髪に、桃色の瞳。花屋のクレメンスだ。
何故彼が此処にいるのだろうと、茫然としながら彼のことを見つめる。

「教会に来たら誰もいなくて…そしたら、此処が。勝手に入って来てしまい、すみません。」

以前は、フェレトたちが上階で留守をしていたので一般人は此処に入ることが出来なかった。
ハマルもショックでふさぎ込んでいる今、教会の留守をしてくれる人間は、誰も、いない。
故に入って来れたのだろう。
とは言っても、もう此処を見られても困る理由はない。隠していたものは全て、なくなってしまったのだから。

「と、いうのは建前です、神父さま。…アリステアくんに、全て聞きました。」
「アリステア、から?」
「ええ、とは言っても、貴方がとても落ち込んでいる、ということだけですけど。」

そう言って、クレメンスはイノセントの隣へと腰かける。
床はひんやりと冷たいはずなのに、薄暗い地下なのに、彼は気にすることもなく、笑顔のままだ。

「彼から聞いたのは、『友人や仲間に裏切られて、神父さまやアリステアくんのお友達、そして仲間がとても落ち込んでいる』というだけです。それ以上は聞いていません。が、僕も協会と多少は関わりを持った人間の一人です。彼が守秘義務を貫こうとしていても、事情は察しました。」
「…クレメンス…」
「神父さま、僕にはもう、神器はない。貴方に差し出したから。神器が暴走し、どうしようもなかった僕を助けてくれたのは、貴方です。そして、無理に戦う必要はないと言ってくれたから、僕は貴方に神器を渡した。」

嬉しかったんです、とクレメンスは笑う。
穏やかな笑顔は、不思議と心が温かくなるような、そんな笑みだ。
花を慈しむ彼に相応しい。

「僕は、アリステアくんたちみたいに、戦う覚悟はない。だから、正直、ほっとしました。でも、戦えない僕にも、僕なりに出来ることがあるんじゃないかって、思うんです。だから、貴方に会いに来ました。」
「…私、は…」
「神父さま。神父さまは、これから、どうしたいですか?」

どうしたいか。
それは、ただ裏切られたという目の前の事実の呆然とするあまり、考えていなかったことだった。
アルバは裏切り、イノセントの元を去った。
この事実は、もう覆ることはないし、過去に戻ることも、残念ながら叶わない。
人々に神器をばら撒き、暴走を誘発させ、人々を混乱させ、傷付けた。それが事実。そして、その罪は決して消えることはない。
彼には、罪を償わせなければならないのだ。
例え、彼の命を奪うことになったとしても。

「もう一度…」

それでも、イノセントは願う。

「もう一度、彼と話をしたい。戦うことになったとしても、彼等の命を奪うことになるとしても、それでも、彼ともう一度、話がしたい。」

そう、ぽつりと告げた時。
イノセントが腕に抱える一冊の本が、淡く、白く光り輝いた。
一冊の本。
それが、イノセントの神器。
神器が共鳴しているのだ。イノセントの気持ちに、覚悟に、まるで呼応するように。

「アルバを止めたい。」

既に結論は、決まっていたのだ。
ただ、一歩、踏み出すきっかけが、踏み出す覚悟がなかっただけで。
神器は激しく輝きを放った後、イノセントの声に応えたことに満足をしたのか、再び光らぬただの本へと戻った。
それでも、その光によって全ての霧が晴れたかのように、今のイノセントの心は、すっきりしていたのだ。

「ありがとう、クレメンス。お前に言われて、わかった気がする。」
「僕は、何もしていないですよ。ただ、覚悟の決まっていたあなたの背中を、少し押しただけです。」
「それだけで、十分だ。助けになった。ありがとう。」

イノセントはそう言って、クレメンスに笑いかけながら立ち上がる。
一度覚悟を決めたからには、とイノセントの今まで止まっていた思考が、時計を早送りするかのように動き出す。
まずはアルバたちのことについての情報収集。
それには、デールがいなくなって、混乱している中申し訳ないが情報屋たちの力が必要だ。
そして戦うには、今残っているメンバーの力が必要でもある。
今回は、いつも以上に命を賭ける必要があるだろう。
もしも彼等が拒むのであれば、それは仕方ないと思っている。強制することは出来ない。

「覚悟、決まりました?イノセントさん。」

クレメンスと共に地下を出ると、意外な人物が、其処に居た。

「…ハマル…」

ハマル=シェタラン。
今日は教会には来ていなかったはずだ。
彼もまた、精神的に消耗していたのか目の下にはうっすらと隈が浮かび上がっているし、更にその下は、少し赤い。

「僕も、色々悩んだんです。アレスのこと、アルバさんのこと、みんなのこと。僕も、行きます。連れて行って、ください。」

そう言って、ハマルは深々と頭を下げる。
彼の紫色の瞳は、何かを決意したかのように、強くて、痛い。
全てを捧げる覚悟があるような、そんな瞳だった。

「…置いて行けるわけが、ないだろう。」
「イノセントさん…!」
「そしたら、後は残るのは…」

イノセントがそう呟くと、次は教会の扉が、ゆっくりと開く。
外の夕陽が漏れ込んで来て、オレンジ色の光が、暗闇から出たばかりの瞳によくしみる。
眩しさで閉じた瞳をゆっくりと開けると、そこには、見知った顔がいた。

「アリステアくん…」
「俺も、連れて来れました。クレメンスさん。」

そう言って、アリステアは微笑む。
それが何を意味するのか、すぐに察することが出来たクレメンスは、嬉しそうに笑った。

「…エイブラム。」
「イノセントさん。」

戦おう。
どちらからともなく、その言葉が、唇から洩れる。
互いに、全てに衝撃を受け、落ち込み、立ち止まり、抱いた結論。そして、決意。
恐怖がない訳ではない。
戦って済む問題ではないかもしれないことだって、わかっている。
それでも、今は戦わなければならないし、戦うしかないのだと、一同は、覚悟を固めていた。

 


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