Pray-祈り-


本編



真っ赤な液体を、ずるずるずると白い床に擦りつけていく。
鉄の香りがするそれは、どろりと粘り気を持っていて、先程までは色鮮やかな赤だったのに、酸化が始まったが故に、少し、黒い。

「それ、落書きっすか?」

アルバの行動を不思議に思ったミストが、声をかける。
呆れたようにミストを見るアルバだが、その表情には、疲れが見え隠れしていた。

「んな訳あるか。ただの落書きなら、その為だけにどれだけ血を抜いたと思う。そこまでする価値があると思うか?私はマゾになった記憶はない。」
「えー、アルバさんマゾじゃないっすか。痛いの好きっしょ?耳にピアスはつけてるし、背中はタトゥーまみれだし。」
「やかましい。」

アルバの血で床に描かれたのは、まるで落書きのような円陣だった。
しかし、ただの円陣ではない。
大きな円や小さな円を組み合わせ、その中に、一部文字が刻まれている。

「これは構築式だ。お前にはわからないようだがな。」

その手には、一冊の大きな本。
クレヨンでぐりぐりと落書きのように書かれた円陣は、第三者から見れば、当然ただの落書きだ。
しかし、実際はそうではない。
人格には難有りでも、実力は確かな科学者から貰った、大事な構築式なのだ。

「…お前たちまで巻き込んで、すまないな。」
「何言ってるんすか、アルバさん。別に、好きで付いて来てるんすよ?みんな。謝る方が失礼ですって。」
「だが…」

アルバは少し、俯きがちになる。
長い前髪で隠れ、その顔色を覗き見ることは出来ない。けれど、明るい顔をしていないということだけは、よくわかった。

「お前たちまで、来る必要は…」
「アルバさん。もう、何も言わないでくださいって。ね?俺たちみんな、覚悟出来てますから。」
「ミスト…」
「さ、仕上げましょう。最期の仕上げ。救ってください、全部。」


第23器 答え捜し


アリステアは、ベイジルやオセロと共に、暗い顔で街の中を歩いていた。
今日は、協会からの呼び出しはない。
否、正確には呼び出せる状況ではないのだ。
協会の半数が裏切り、出て行った。その痛手はあまりにも大きい。
エイブラムは大切な幼馴染であり親友であるアベルが。
ハマルは義理の兄弟という関係にあたるアレスが。
イノセントは自分の部下数名と、そして、今までともに協会を支えて来たパートナーであるアルバが、裏切りという形で彼等の元を去った。
そのショックは隠しきれないらしく、各々、ふさぎ込んでしまっている。

「みんな、ショックだよねぇ…まぁ、でも無理ないかぁ。」

ベイジルは隣で、街中で買ったミートパイをむしゃりむしゃりと口にしている。
相変わらずよく食べる、と言いたいが、普段であれば三個は注文するのを、今日は一個だ。彼も彼で、無自覚ながらにショックのようなものを持っているのだろう。
幸いと言っていいのかはわからないが、アリステアやベイジル、そしてオセロの三人は、方舟という組織を創り離脱したメンバーと深い交流はない。
あったとすれば、同じ学校に通っていたアベル位だ。
しかしアベルと親しくなったのは神器の事件が関わってからなので、幼いころからともにいたエイブラムと比べれば、ショックはとても少ない。

「ハマルなんて、抜け殻みたいだったよねぇ。」

オセロが語る。
アレスが離れて行ったとき、ハマルはショックのあまりに言葉を失っていた。今は、抜け殻のようになった状態で自宅に閉じこもっているらしい。
エイブラムも、今日は学校を休んでいた。
ヴェルノも、自分の面倒を見てくれていたデールの死が、想像以上にダメージとなっている。

「今、神器を所有している共鳴者は、攫われたフィオン=ランドールも含めれば十七人。方舟を創設したメンバーは八人で、こちら側の神器所有者も八人。丁度、半分ずつか。」
「数だけなら、ね。でも、相手は協会で何年も任務を経験しているんだよ。それに比べてこっちは戦闘不向きな能力者とか、ちゃんと神器を扱うようになって数か月程度の半端者の寄せ集め。…もし本格的に戦うことになれば、絶望的だろうね。」

オセロはそう言って、肩をすくめる。
なんとも非常な宣告だが、彼の言葉は正しい。
しかし、本格的に戦う以前に、残っている面々の半分以上は戦意喪失、茫然自失という状況に陥っている。
状況は酷く、絶望的だ。

「おや、どうかしましたか?」

声をかけられ、アリステアは顔をあげる。
赤、黄、白、桃色といった様々な色をした花々の甘い香りが鼻を擽り、目の前が花屋なのだということに気付かされる。
そして、その花屋の前で、桃色のエプロンをつけた、中性的な青年が鉢を抱えながら、こちらの様子をうかがっていた。
穏やかな笑顔は、見覚えがある。
教会で出会った、クレメンス=レンフィールドだ。
かつて、アリステアと同じく神器を暴走させたことがあるという青年。
そして、アリステアとは違い、協会には入らず、神器を手放したという青年。

「確か、教会で出会いましたよね。」
「は、はい…」

その笑顔は暖かい太陽のようで、花々を慈しむ男に相応しいと思わされる。
クレメンスの問いかけに、アリステアは、目を伏せながらぎこちなく答えた。

「そう、ですか。…ちょっと、良いですか?」

クレメンスはアリステアたちを花屋店内へと招き入れる。
中には様々な種類の花が展示されていて、自分たちが良く見知っているものもあれば、滅多に見ない、珍しいものも存在した。
ブーケ状に飾り付けられた花は色鮮やかで、しかし派手過ぎず、穏やかな気持ちにさせてくれるその姿は、クレメンスの人柄を連想させる。

「珈琲…は、少し苦いですよね。チョコレートで良いですか?温まりますよ。」
「すみません、チョコレートなんて、そんな…」
「いいんですよ。昔は高級品だったみたいですけど、今はそうでもありませんし。僕が招き入れたんですから、これくらいしないと。」

クレメンスは穏やかに笑いながら、茶色い液体がたっぷりと注がれたマグカップを三人に手渡す。
口に含むと、チョコレートの甘ったるい味が口内に一気に広がった。
温かい甘みに、安心感から思わず一息ついてしまう。

「落ち着きましたか?三人とも、顔色があまり良くなかったので。…何か、あったんですか?」

その問いかけに、アリステアは戸惑う。
いくらクレメンスが協会と関わりがあったとはいえ、神器と関わりがあったとはいえ、全てを語っていいものか、迷ってしまう。
イノセントに多くは語られなかったが、神器の存在は基本的には秘密にするべきもので、守秘義務も多少は発生するはずだ。
しかし、自分達の胸の中で燻らせていても、解決しないのはわかっている。

「話し難いことなら、無理して話さなくても大丈夫ですよ?でも、力になれえるなら、なりたいなって。」

柔らかく微笑むクレメンスに戸惑っていると、アリステアの腕を、誰かが肘で軽くつついた。
オセロだ。
青色の瞳が、じっとこちらを伺うようにぶつけられている。

「…アリステア、少しくらいなら、いいんじゃないかな。」

そして、アリステアに発言を促していた。
エイブラムと同じく、アリステアもどちらかといえば口下手だ。あまり饒舌に話せるタイプではない。
しかしアリステアは、ゆっくり、たどたどしく、言葉を紡ぎ始めた。

「協会の中で、裏切りが、出たんです。それが、イノセントさんとか、エイブラム…嗚呼、コイツは、友達なんですけど、その他にもみんな、ショックを受けてて、どうすればいいかわからないんです。」

わからない。
どうすればいいのかわからないのだ。
自分は裏切られた立場だけれど、決定的な当事者とは、少しかけ離れたポジションにいる。
結局は何処か他人事で、加入して数か月の組織のメンバーとはまだ仲間意識が曖昧で、その矢先の出来事だったから、まだショックが薄い。
オセロもベイジルも、ショックが薄いのはそれが理由だ。
もしも彼等が、方舟のメンバーが、集めた神器を使って何か良くないことをしようとしているなら止めなければいけないし、協会の人間として、いつものように戦うだけだろう。
だが、イノセントやハマル、そしてエイブラムのように、身内に裏切られ苦しんでいる人間の姿を見ているのは、いたたまれない。
しかし、決定的な当事者とはいえない自分たちには、慰めるための言葉を持ち合わせていないのだ。

「戦わなきゃいけなくなる、ということはわかっている。向うは、やる気だ。どんなことをしてでも、何かを成し遂げようとしている。だって、あの人たちはデールさんすら殺したんだから…!でも、わからない、そんな気安く、戦えなんて、言っていいのか…だって下手すれば…殺さなきゃ…」

殺さなきゃいけない。
今まで仲間だと思っていた人を。今まで兄弟と思っていた人を。今まで親友と思っていた人を。
殺さなければいけないかもしれない。
そう思うと、簡単に戦えなんて、立ち上がれなんて、言えない。
だから、アリステアたちは迷っていた。

「いいんじゃないんですか、戦えって言ってしまって。」

クレメンスはそう言って、微笑む。
その言葉に、思わずアリステアも、オセロも呆けた顔をしてしまった。

「無責任に言っている訳じゃないんですよ。でも、きっと彼等も答えが見つかっていると思うんです。だからこそ、ショックを受けて、立ち止まってしまう。戦わなければいけないからこそ、ショックなんですよ。」

だからこそ、と言葉を付け足す。

「彼等に、自分が既に見つけているであろう答えを、改めて、一緒に見つけてあげればいいんです。」
「一緒に…」
「神父さまのことは、僕に任せてください。君たちは、どうかお友達の所へ。」
「でも、そしたらハマルさんが…」
「その人は、きっと僕らではなく、神父さまが訴えかけてあげるべき人だと思います。だから僕がまず、神父さまを。」

クレメンスの笑顔は、とても心強かった。

「イノセントさんのこと、お願いします。俺たちは…エイブラムのところに、行きます。」

アリステアたちは顔を合わせて頷くと、頭を下げ、すぐさま花屋を後にしたのだった。

 


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