Pray-祈り-


本編



その日はもう既に空が夕焼け色に染まっていて、ひとまず解散して全ては次の日にしようという話になった。
どんなに慌ただしい非日常を経験しても、時間は流れ、夜が来て、一日は終わり、また次の日には、ありきたりな日常を送らなければならないのだ。
平日は、学校があるからすぐに協会へ向かうことが出来ない。
早くイノセントたちにこのことを伝えたいのに、早くしないともっと被害者が出るかもしれないのに。
それが酷く、もどかしく感じられた。

「エイブラム、何怖い顔してるんだ。」

アベルが、エイブラムの顔を覗き込む。
眉間に皺を寄せたまま、険しい顔をしていたエイブラムは思わずはっとして、顔をあげた。
穏やかな顔で、アベルが笑う。

「気持ちはわかるけど、あんま焦るな。焦ってもいい事ないぞ。」
「アベル…、…でも…」
「大丈夫だって。まぁ、急ぎたい気持ちはわからなくはねぇけどさ。これ以上、被害を増やしたくねぇもんな。」

アベルに自分の思考が当てられて、思わず俯く。
それでもアベルは極力明るく笑って見せた。きっと、彼だってもどかしいだろうに。

「俺等は学生だ。学生の本分は勉強。それに、協会だってただぼーっとしてるだけじゃねぇんだし、信用しようぜ。な。」
「そう、だよな。」
「そうそう。ほら、次は移動教室だし、早く行こうぜ。」

エイブラムは、幼いころからアベルに手を引かれ歩いていた。
今もそうだ。
何度もエイブラムは、アベルのその明るさと、笑顔と、自分を引っ張ってくれるその頼もしさに、救われている。

「ほんっと、エイブラムは俺がいねぇと駄目だよな。」
「…そうだな、お前がいないと、俺は駄目だよ。」
「うわ、なんだよ、なんでそんな素直なんだよ、ちょっと気持ち悪いぞ?!」
「え?!気持ち悪いはいくらなんでも言い過ぎじゃないか?!」

まもなく非日常がやって来る。
日常をもどかしいと思いつつも、非日常がやって来ることを恐ろしいと思う自分もいて。
もう少し、日常が続けばいいのにと、先程とは矛盾した考えを持つ自分が、そこにはいた。


第15器 灰色は全て黒へ


「隣、いいかな?」
「…構わないよ。」

昼の食堂。
アベル、アリステア、ベイジルの三人と食事を共にしていたエイブラムに、一人の少年が声をかけて来た。
艶やかなハッキリとした黒髪に、青色の瞳。そして、特徴的な白黒の動物のようなフードがついたパーカー。
オセロ=グレイ。
万年筆の神器所有者と疑われている少年。
白と黒の区別を付けずにはいられないとされる、犯罪声明文を送ったとされている少年。
その少年は、この学校の中では、少し特徴的な程度の、ごく普通の少年だった。
にこりと無邪気な、何処にでもいる子供のような笑みを浮かべると、エイブラムの隣に座り、己の昼食を食べ始める。
まだ動くべきではないし、疑いをかけている段階なだけなので、神器に関する接触は当然避けるべきだし、自然に振る舞わなければいけないだろう。
そう思っているのに、どうしても意識してしまって食事が喉を通らない。
それはアリステアも同じらしく、神妙な顔をしながらスープを口に運んでいる。
アベルはこういうことには慣れているのか平然としているし、ベイジルはわれ関せず食事に没頭しているので、其処は尊敬するべきなのだろう。

(というかベイジル、お前、神器で食事をするな…!)

しかし、ベイジルは食事の時にいつも神器であるフォークを愛用しているので、大事な武器を食器として使っているのは見ていて冷や冷やする。
否、本来は食事をするための道具なのだから、傍から見れば当たり前の光景なのだが。
しかし、何故オセロはわざわざ自分たちの隣の席を選んだのか。
食堂は賑わっているが、それでも席がない訳ではない。空いている席は、他にもたくさんあった。

「最近、物騒だよね。色々な事件が多発していて…君は、知ってる?」
「…え?」

唐突に、オセロがこちらに話しかけて来る。
透き通った青い瞳が見透かすようにこちらを覗き込む。瞳は澄んでいるというのに、その奥は、何処か、暗い色が見え隠れしていた。
不可解な事件。
それは、あの万年筆の神器が原因と思われる事件のことか。
それとも他の神器が係る事件のことか。
緊張で口が渇き、珈琲を口に運ぶ。砂糖を入れ忘れた珈琲は、口の中に苦味を広げさせた。

「…知らない。あまり、流行には感心がないから。事件なんて、あったか?」

ひとまず、此処は知らないということにしておく。
それで会話が終わればそれまでだし、其処から会話が拾えるなら、それはそれで、良い。

「あるよあるよ、それも沢山。厭になっちゃうよね、こんな物騒な世の中。窃盗とか横領とか、その他色々。それに、悪いことしても、大抵の人は数か月から数年牢屋にいれば、外に出られる。」

どうやら、事件というのは神器が係る事件のことではなかったらしい。
下手に知っていると言わなかった己の判断を、まずは褒めることにした。

「本当、厭になるよ。犯罪を犯しても、その後はのうのうと生きていられるなんて、狡いと思わないかい?悪いことをしたらみんな死刑。…そうすれば、誰も悪い人がいなくなって、平和な世の中になると、そう思わないかい?」

彼はあくまで、にこにこと無邪気に己の考えを述べる。
しかし、それはあまりにも極端で、突拍子があり過ぎて、エイブラムの中にある小さな疑いが、確信に変わりそうな、そんな気配がした。
ちらりと他の面々の顔を見る。
ベイジルは相変わらず食べ物を食べてはいるが、アベルも流石にこちらを見ていて表情に落ち着きが見えないし、アリステアに至っては、もはや真っ青だ。
それはそうだろう。罪を犯した人間は皆死ぬべきと言うのであれば、アリステアは遠回しに、お前は死ぬべきなのだと言われているようなものだ。
しかし、オセロはアリステアの起こした事件を知っているはずがない。
彼の言う死ぬべき犯罪者というのは、世間一般にいる犯罪者たちのことなのだろう。

「…どう、だろうな。罪を償う機会があっても、いいんじゃないか。赦されて、正しい道を歩むことが出来る人間も、いるはずだ。」
「へぇ。甘いんだね、君。」
「お前は逆に、手厳しいんだな。」

オセロはにこにこと、笑顔を崩さない。
その笑顔には、何処となく自信が満ち溢れているようにも見えた。

「厳しい?そうかな。僕はただ、よりよい世界を、より平和な世界を創るためにはどうしたらいいかを考えた末の結論なんだけどなぁ。悪には死を。そうすれば、悪いことをする人間なんて、いなくなるはずだよ?」
「…世の中には、償う機会というものがあってもいいはずだ。それに、白黒はっきりしてはいけないことだって、ある。それが、世の中というものじゃないのか。」
「それは違うね。それは大人の屁理屈さ。自分たちに都合の悪い部分は、灰色という曖昧な領域において誤魔化そうとする。地位のある人間であればある程、灰色の世界に逃げ込む。それってとても卑怯なことだと思うんだ。そして犠牲になるのは、必ず弱い立場の人間だ。僕は、そんな卑怯な人間は、絶対に許せない。」
「だから、灰色は全て、黒…か?」

エイブラムが問う。
これは、シリルに見せてもらった、警察へ送られた犯罪声明文の一部だ。
一瞬オセロはきょとんとした顔を浮かべるが、急に、嬉しそうな顔に変わった。

「なぁんだ、知ってるんじゃん。」

そして、それは己が犯人であるということを認める、自供でもあった。

「認めるんだな。」
「認めようが認めなかろうが、君が僕を止められないことには、変わりないからね。」
「…今、お前を此処でとっ捕まえることも、出来るぞ。」
「それはどうかなぁ。僕は、グレイカンパニーの御曹司だ。御曹司の言葉と、ただの凡人の言葉、どちらを人は信じるかねぇ?」

エイブラムは、口籠る。
彼の言う通り、地位の高い彼の言葉の方が、エイブラムの言葉よりは説得力があるだろう。
それに、元々口下手なエイブラムでは言葉で勝つ手段はない。
いくら社交的で顔の広いアベルでも、彼に説得力で勝てるかどうかは怪しいだろう。

「誰も創れないというのなら、僕が創る。全てがハッキリとした、理想的な世界を。その為には白黒をはっきりつけなければならない。僕が黒とみなしたものを全て処罰すれば、世の中はそれが黒なのだと理解する。そして、黒き行為をする人間には罰が与えられれば、人々は恐怖し、黒き行為は行われない。ほら、世界は平和になる。」
「…恐怖で支配した世界は、平和とは言えない。」
「それはどうかな。かつて、恐怖というもので事実上世界を支配した、閉ざされた世界があったと聞いたことがあるよ。」
「その世界も、結局は反乱により滅びた。」
「そうだね。それは支配者が甘かったからだ。でも僕は違う。失敗はしない。僕にはその力あがる。」

オセロの表情は、何処までも自身に溢れている。
どうすれば此処まで自信満々になれるのか、聞きたいくらいだ。

「俺は…俺たちは、必ずお前を止める。」
「やれるものなら、やってみなよ。楽しみにしてるよ?」

御馳走様、そう言って彼は席を立つ。
気付けば彼はとっくに食事を終えていた。こんな会話をしながらだというのに堂々と食事を終えられるのだから、胆が据わっているのもいいところだ。
オセロが席を立ち食堂を後にすると、四人の間には沈黙が流れる。

「…アリステア、さっきから食事が止まっているぞ。」
「…仕方ないだろ。本人は気付いてないとはいえ、遠回しいに死ねと言われたようなもんだぞ俺は。それよりエイブラムこそ、よく平然と会話が出来るな。」
「まさか。死ぬかと思ったぞ。アベルも加勢ぐらいしてくれていいじゃないか。」
「いやいや、アレは俺よりもエイブラムの冷静な口調の方が重みがあっていいよ。俺は顔は広い自覚はあるしお前よりはずっと人と話すことに長けてるけど、ああいう場面は専門じゃないって。」
「…だよな。」

エイブラムは、溜息をつきながら既に冷めてしまったスープを口に運ぶ。
ひとまず、彼が犯人であるということは既に確定事項だ。

「何で、俺たちに話したんだろうな。」
「誰でも良かったんじゃないか。いくらオセロでも、協会の存在は知らないはずだ。己の思想を誰かに聞いて欲しかったんだろう。」
「だと、いいけどな。」

ひとまず今言えることは、学校で唯一楽しめるともいえる食事の時間が、この件のせいで全く楽しめなかったということだった。

 


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