Pray-祈り-


本編



その小さな扉は、人が屈んでようやく入れるような、小さな扉だった。
ベイジルはその扉の向こうへ、小さく身体を丸めながら入って行く。
此処で立ち止まる訳にもいかないので、エイブラムとアベルも、ベイジルの後に続いた。

「…これは…」

次の世界は、真っ白な世界。
一面白、白、白で、周囲は光り輝いている。宝石のような水晶が地面から岩のようににょににょきと生えていて、光り輝いている正体は、きっとこれだろう。
そしてその正面には、アリステアと思われる姿があった。

「ユーイング…!…?!」

しかし、其処にいるのは、アリステアのようで、アリステアではなかった。
海のような深い青色の瞳も、太陽のように輝く金色の髪も、まさに、アリステアのものだ。
だが、普段アリステアが着用している服は白いシャツにこげ茶色のズボン。どう見ても男性が着用するような衣服だ。
今目の前にいるアリステアと思われる人間が着ているのは、フリルのついた青いエプロンのようなワンピース。
アリステアと同じ顔をした少女が、其処にはいた。


第7器 虚飾の世界


「ユーイング、だよな…?」
「やぁ、エイブラム。アベル。それに、ベイジルもいるのか?」

朗らかな笑顔を見せるその少女は、無邪気な少女のようにくるくるとスカートを翻して楽しそうにしている。
自分達の知っているアリステアはこんな笑顔を見せたりはしないし、そもそも、スカートなんてはかないし、胸元のふくらみも、もちろん存在しない。

「簡単なことだったんだ。最初から、最初から女の子になってしまえばいい。可愛い女の子の姿なら、みんな誰も私のことをバカになんてしない。私のことを虐めない。アリスであることがコンプレックスだというのなら、本物のアリスに、私がなってしまえばいいんだもの。」

無邪気に語る少女。
その言葉は、アリステアの本音だろう。
彼の悩んだ末の、なれの果て。

「ユーイング、君はずっと悩んでいたんだな…男であるということに…アリステアという、少女アリスの名前がついた己の名前に…そして、周囲の反応に…」

最初の世界に放り出されたときに存在した、多くの鏡。
そして次に現れた暗闇の世界。
最後に現れた、白く、鏡のような水晶が光り輝く世界。
これは全て、アリステアの深層心理を現した世界だったのだろう。
空から落ちる涙は彼の悲しみ。鏡は、己の女性のような顔立ちのコンプレックスの現れ。そいて砂は、悩み苦しみ、沈んでいく彼の心。
沈んで落ちた先は暗闇。
始めに抱いたのは、己を少女のようだとからかった、クラスメイト達への憎悪。
最初はただ単純に、憎悪だったのだろう。
自分に嫌な想いをさせたクラスメイトたちに、罰が当たればいいのにと。彼のその思いが、無意識に神器の力を解放させた。
だからクラスメイトたちは、彼のコンプレックスの象徴である顔を映す存在。つまり、水や鏡を見ることによって、幻覚を視て、錯乱するようになったのだ。
しかし、当然彼の心が晴れる訳はない。
最初は良い気味だと、少なからず思っただろう。けれど、事件はどんどん多発し、そして、大きくなっていく。
そうなってしまえば、彼は戸惑う。
こんなつもりではなかった、と。
人が傷つくのを見続けて、気持ちの良い想いになる訳がない。最初は思ったとすれど、多発すれば、後悔や懺悔の気持ちも募る。
そして誰も傷つかずに済む、最終的な結論こそ、自分自身がアリスになってしまえばいいという結論だった。
真っ白の、光り輝く偽りをいくらでも映し出せる虚無の世界。
そこでこそ、アリステアは理想の姿を得ることが出来るのだ。

「ユーイング…でもねぇ、それは、違うよぉ?」

ベイジルの言葉に、アリステアはぴくりと肩を震わせる。
一歩、また一歩、ベイジルは近付く。

「君が悩んでいたのは、ぼくは知っているよ。君をずっと見て来たから。幼いころから、今までずっと。学校を退学しようか悩んで、登校拒否をしてしまった時だって、君を連れだしたのは、ぼくだ。」

ベイジルが一歩一歩近づくにつれ、アリステアもまた、一歩一歩、後ろへと下がる。

「君の悩みは、まだ、解決してなかったんだねぇ。気付かなくて、ごめんね?でも、ユーイング、君を虐めた人が傷つこうが、君が女の子になろうが、根本的な問題は、何も解決出来てないんだよぉ?」
「こ、来ないで…」
「いいじゃない、男の子でも。男なのにアリステアという名前でも、いいじゃない。どうして女でないといけないの?物語の主人公と、君の名前が似ていたのは、ただの偶然だ。君は君のままでいい。君までアリスにならないといけないなんて…誰が決めたんだい?」
「来ないでって!言ってるだろう!」

アリステアが声を荒げると、ベイジルが近付こうとしても、見えない壁に遮られるかのように彼の身体は何かに弾かれ、尻もちをつく。
顔をあげるとそこには呆けた顔をしたベイジル自身の顔が映っていて、鏡の壁が彼を弾いたのだと悟った。

「私はこのままでいい!このままでいいの!ずっと此処で、アリスとして、この世界で生きていく!そうすればみんな私をバカにしない!だからこのままで良い!私のことなんて、放っておいて!」

彼女の絶叫が、周囲に反響して響き渡る。
だからといって、はいそうですかと言って帰ることも出来ない。

「お前はまだ!苦しんでいるじゃないか!」

エイブラムは叫ぶと、首に下げていたネックレスにそっと触れる。
どくんと心臓が高鳴るのを感じると、バチバチと、あの時と同じ、赤い電撃が彼の身体から漏れだす。

「放っておいてと言われて!簡単に引き下がれるか!」

赤い電撃は、アリステアの創り上げた鏡の壁へと向かい、鏡を貫く。
本来であれば鏡の壁をこれで貫ける…はず、だったのだが、その鏡は、まるで雷を受け入れるかのように、中へと吸い込んでいく。

「なっ…」

エイブラムの電撃、その全てを飲み込んだ鏡は、バチバチと音を奏でたと同時に、その鏡から、エイブラムのものとまったく同じ電撃を放った。
電撃が身体を貫く、その直前に、反射的に避ける。

「駄目だエイブラム!その鏡、攻撃を弾くぞ…!」
「幻影だけじゃないのかよ…!」
「恐らく、その神器は鏡…鏡を操る神器なんだ。映し出して魅せるだけじゃない。光に当てたら反射するように、その攻撃すらも反射するんだ…」
「じゃあどうすりゃいいんだよ!お前の神器はどうなんだ!」
「悪いが、解放はとっくにやってる!やつの空間に入り込めればいいんだが、生憎弾かれて入り込めないんだよ…」

目の前にそびえ立つ壁は、まるで砦のようだ。
アリステアごと全てを覆って、入り込む余地は一切与えてもらえない。
このままでは、アリステア共々、空間を出ることすらかなわない。

「二人とも、大丈夫…?」

事態を飲み込み切れないベイジルは、困惑の顔を浮かべながら二人を見る。
そういえば彼は神器の存在を把握していなかった、と今更ながら思うが、それを気遣っていられる状況でもない。

「すまない、ベイジル。いきなりこんなことに巻き込んでしまって…」
「平気だよぉ、ぼくが勝手に付いて来ただけだし。…君たちも、ユーイングと同じように、変わった力を使えるんだね?」
「嗚呼、一応な。しかし、弾かれてしまうのではどうしようもない。」
「…いいなぁ。」

ベイジルは、ぽつりと言葉を漏らす。

「ぼくにも、君たちみたいな力が使えたら、ユーイングを、助けられるのに。」
「…ベイジル…」

その時、一面白の世界に、一色の色が浮かび上がった。
ふわふわと光り輝く、緑色の、優しい輝き。

「これは…」

その光の源は、ベイジルの胸ポケットにあった。

 


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