Pray-祈り-


本編



この名前が、嫌いだった。
皆、この名前を用いて、人をからかう。
女のようだとからかい、女のような恰好をさせようとし、そして、男たちは、本当は女なのではないかと衣服を剥ごうとしたことさえある。
こんな名前でなければ。
もっと男らしければ。
こんなことにならなかったのだろうか。
名前が憎い。そして女性のような風貌に生まれた自分の顔さえ憎い。
名前が嫌いだ。鏡が嫌いだ。

「みんな、みんな…」

偏見だけで見る、そんな目なんて、抉れて溶けてしまえばいいのにとさえ、そう、思っていた。


第5器 鏡の向こうのアリス


「よぅ、ユーイング。」
「…嗚呼、エイブラムか。」

金髪碧眼。腰まで伸びた髪は太陽の光に反射してきらきらと眩しく輝く。瞳の碧は、まるで海のように眩しい。
すらりと伸びた細い手足と整った顔は、一見すると女性のように見えなくもないが、彼はれっきとした男だ。
アリステア=ユーイング。
女性のような顔立ちであることもあり、周囲からはアリスと呼ばれ、からかわれることも多い。
その為、アリステアはファーストネームで呼ばれることを嫌う。
なので、エイブラムは彼のことを、ファミリーネームでユーイングと呼んでいた。

「最近顔色、悪いんじゃないのか?」
「…そんなことないさ。エイブラムの気のせいだろ。」
「ベイジルも言ってたぞ、ユーイングの様子が変だと。」
「気のせいだって。」

アリステアは、そう言って困ったように、笑う。
これはあくまで、彼の反応を見るためのハッタリ…と、言えればいいのだが、実際、彼は此処数日、顔色が悪い。
彼の異変を思い返すと、丁度、神器が原因と思われるあの異変が始まるようになった時期と重なったのだ。
エイブラムは、共鳴者がアリステアなのではないか、と疑っていた。

「ユーイングが共鳴者ァ?おいおいエイブラム、いくら知り合いが少ないからって、身内を疑うか?」

協会でイノセントから任務を言い渡された翌日、エイブラムは、心当たりをアベルにぶつけた。
アベルは当然、自分も知った名前の少年が容疑者にあがり、驚く。

「何も、理由なしに疑っている訳じゃない。アベル、お前もアリスのお話は知っているだろう?」
「あー、なんか不思議な国を彷徨う話だろ?流石に有名な話だからな、知ってはいるぞ。けど、それとユーイングに何の関係があるんだ?」
「主人公のアリスという娘は作中で身体が大きくなったり小さくなったりしている。その現象と、今回の被害者の錯乱はよく似ている。それに。」
「それに?」
「被害者は皆、一年生の時はユーイングと同じクラスだったそうだ。」

エイブラムも、ただ勘でアリステアを疑っていた訳ではない。
アリステアが犯人なのではないかと疑問を持った際、イノセントに頼み、多少の情報を収集させてもらったのだ。
ユーイングとは親しい間柄とはいえ、一年生の時はクラスが別々であったし、親交が更に深くなったのは二年生からだ。
そして、一年生時代、アリステアはあまり学校には通っていなかったという。
原因は、アリステアの外見や名前をきっかけにした虐め。
丁度、授業の関係でアリスの本に触れる機会があった。その為、それがきっかけでアリステアはアリスアリスとからかわれ、学祭では主人公であるアリスのコスプレをされそうになり、悩んだ末に、彼は登校を拒否したのだという。
友人の過去を探るのには抵抗があったが、結果が白になろうが、黒になろうが、エイブラムは結果に白黒をつけたかったのだ。

「後、これはイノセントを通じた情報じゃなくて、ベイジルから貰った情報なんだが。」
「何だ?」
「アリステアは、騒動が起きる少し前から、指輪をはめている。」

ベイジルとは、アリステアが心を開いている数少ない友人の一人で、無口で食い意地はあるが、とても優しい少年だ。
いつもアリステアの傍にいるから、彼の変化には一番敏感なのだ。

「そういえば、ユーイング、此処数週間前から指輪をしているよぉ。誰かからもらったみたいだけど、教えてくれないんだぁ。ユーイング、女の子みたいな装飾品の類は嫌いのはずなのに。でも、それ以来、少しずつ顔色おかしくなっているみたいで、気になるんだよぉ。」

何か知らない?
そうベイジルは、語っていた。
本当は心当たりがあったけれど、御伽噺のような、ファンタジーのような神器の話を彼に聞かせるのも抵抗があったし巻き込みたくないというのもあり、申し訳ないがベイジルには回答をはぐらかしてしまったのだ。
多少罪悪感はあるが、後悔はしていない。
アリステアを疑う理由、全てを話し終えた時、アベルもエイブラムの説明に納得してしまったのか、そうか、とだけ言葉をもらした。

「鏡や水辺…つまり、人を移すものを対象に扱う力を持つのが、本来の神器の姿だろう。だが、今回はそれが人に幻覚を魅せ続けるという形で暴走している。」

エイブラムの言葉に、アベルは頷く。

「近くにユーイングがいれば、目撃情報があるんだろうがそれもない。つまり、ユーイングのあずかり知らぬところで発動してしまっているんだろうな。根本的な解決になるかはわからないけど、ユーイングから指輪をとりあげるのが一番手っ取り早い、か。」

本当はそんな手段を取りたくないが、とアベルは言う。
最終目的が神器の回収であるのは変わりない。
けれど、アリステアから神器と思われる指輪を取り上げ、それで終わり、めでたしめでたしで終わるには、どうも腑に落ちない。
これはアリステアの深層心理が影響して起こっている事件だ。
つまり、神器を取り上げたところで、アリステアの心に宿る問題は解決しない。
被害を止めることが出来て、被害者を救うことが出来たとして、アリステアは救われないのだ。
根本の問題が解決していない歯痒さはあるものの、だからといって、それを解決してやれる程の度量があるとも、エイブラムは思えなかった。

「なぁ、ユーイング。ちょっと、いいか?」

そして、更にアベルとのやりとりからその翌日。
時系列は再び現在へ戻る。
放課後、エイブラムはアリステアを呼び出し、今は使われていない旧校舎へと招いた。
大事な話だからと言うと、アリステアは最初こそ怪訝な顔をしていたが、エイブラムに敵意がないのを悟ったのか、大人しくついて来てくれた。
彼の過去を考えると応じてくれないのではないかと思ったが、エイブラムが思っているよりも、アリステアには友人として無害の位置に置いてくれているらしい。
本当はもう少しマシな所で話をしたいところだが、神器の話はあまり人前でしたくはない。

「なんだ、大事な話って。」
「話があるんだよ、ユーイング。大事な話が。」

エイブラムは、改めてアリステアの瞳を見つめる。その瞳は、何か後ろめたい心当たりがあるのか、僅かに、泳ぐ。

「どうしたんだ、エイブラム。そんな改まって。」
「最近、一年生の時にお前と同じクラスだった人たちが、次々と病院送りになっているようだな、心当たりはないか?」
「ない、に決まっているだろ…偶然じゃないのか、そんなの…エイブラムどうしたんだ今日は…」

彼の瞳は、左右に泳いでいる。そしてその瞳は、エイブラムを映してはいない。
彼の言うことは、嘘なのだろう。
そして彼の右手薬指には、金色のリングに彼の瞳と同じ、青色の宝石が施された指輪がはめられている。
恐らく、あれが神器なのだろう。

「お前がつけているその指輪。…誰からもらった?」
「…!!だ、誰でもいいだろう!何故そんなこと教えないといけないんだ!」

アリステアの声が、大きく、激しくなる。
友人を怒らせてしまうのは、厭な想いをさせてしまうのは、本意ではない。
けれど今、彼から神器を奪わないと、また多くの犠牲者が出てしまう。

「お前の指輪が、次々と生徒を病院送りにしているかもしれないと言っているんだよ。」
「…!」

白い顔が、徐々に青白くなっていく。

「何で、お前が、それを…」
「それは危険なものなんだ。信じてもらえないかもしれないし、信じがたいとは思うだろうが、本当に、危険なんだ。頼むから、それを渡してくれ。決して悪いようにはしない。」
「それ、は…、…厭だ…」
「え?」

細い身体は何かに怯えるように、小刻みに震えている。
彼の顔がますます青くなっているのかと思っていたが、正確には、彼の指輪が青々と輝き、彼の顔を青く見せていた。
神器が、光り輝いている。
彼の心に、共鳴しているのだ。

「ユーイング!待っ…」
「うるさいっ!」

アリステアの叫び声とともに、まるで何かに弾かれたかのようにエイブラムの身体は吹き飛ぶ。
背中を強く地面に打ち、一瞬呼吸が止まり、咳き込んだ。
その瞳は何かに怯えているようで、しかし、怯えている対象は、エイブラムじゃない。

「これは、お守り、なんだ。俺を守ってくれる、お守りだ。これがあれば、俺に嫌なことをする奴等は、みんな、天罰が喰らうから…だから、これは、渡せない…」

ブツブツと呟く彼の顔は、完全に色を見失っていた。
指輪は尚も青々と強く輝いている。

「ユーイングッ…!」
「煩いっ!俺に近寄るなっ!俺をっ!俺を見るなっ!」

アリステアが叫んだと同時に、辺りは一面、青色の光で包まれた。

 


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