深淵ノ彷徨


本編



巨大な剣が振り下ろされ、バキリと床に剣が突き刺さり、木の破片が飛び散った。
翼の青い髪が乱れる。
ぐい、と手を引かれる感触がしたと思えば、翼の身体は雷希に片手で抱き上げられていた。
足が床から離れ、変な浮遊感が身体を襲う。
翼が声をあげる前に、雷希の身体が飛び上がり、視点が少しずつ地面から離れて行く。
守役が木の破片から身を守り、目を開けるという数秒の行動を取り終えた頃には、翼は既に屋敷を囲う塀すらも飛び越え、守役の視界から姿を消していた。
翼の名を呼ぶ声だけが、耳に届く。
突然のことに、何が何なのか、翼は理解をすることが出来なかった。

「ら、雷希…です、よね。」
「そうだよ。自分でも言ってたじゃねぇか。」
「…何で…」
「言っただろ。アンタを殺しに来たって。」
「ですが…」

これは、雷希の言っていることと、その行動が矛盾している行為だということはわかっていた。
本当に殺そうと思っているのであれば、あの段階で剣を振り下ろしていれば、翼を確実に殺すことが出来た。
それでも雷希はそうしなかった。
翼を攫い、屋敷外へと連れ出した。

「アンタがかつてやったことと、同じことをやっただけだ。」
「同じ……私は、貴方に恨まれるようなことをした自覚はありますが、同じ、なんて…」
「恍けんなよ。アンタの意見がわかんねぇ程、俺ももうガキじゃねぇ。」

気付くまでに、五年かかったけど。
雷希はそう言って、顔は見えなかったけど、笑っているような、気がした。


第二話 翼と雷希


空高一族は、空高一族同士で契りを結び、純潔を残していかねばならない。というのが、空高一族のしきたりであった。
しかし、当然親戚同士で契りを結ぶのであるから、各家系で多くの子孫を残していかねば、最終的にはきょうだいしか親戚が居ないという恐れが出て来てしまう。
そこで空高一族がとったのは、分家をつくることだった。
分家をつくり、空高一族同士で契りを交わすことが出来ない事態が生じた際に、その分家の者と契りを交わし、少しでも空高の血を色濃く残そうというのが、分家の目的だ。
そして生み出されたのが、荒雲、卯雲、卯時の三つの種族。
このそれぞれの種族は、半分は空高一族の血縁である。
三つの種族は、血縁だけではなく、ある時は武力で、ある時は戦略で、ありとあらゆる形で、空高一族の存続をサポートし続けて来た。
しかし、この関係も長くは続かなかった。
空高一族が、一族として勢力を広げれば広げる程、荒雲、卯雲、卯時は不必要の烙印を押されることになる。そして、万が一、空高一族の脅威になってしまっては困るからというだけの理由で、この三つの一族は滅ぼされてしまったのだ。
他でもない、空高一族の手で。

「どうして、何で、」

殲滅対象としては、荒雲雷希も、例外ではなかった。
戦闘能力では三つの種族の中で随一だったのだから、寧ろ荒雲は積極的に殲滅されることになっていたし、幼い雷希も、荒雲として十分な戦闘能力を持っていたのだから、当然といえば当然だろう。
そもそも、雷希と翼は、顔見知りだった。雷希は荒雲一族の中から、翼を守る守役に任命された子供の一人で、空高一族の屋敷に毎日稽古に来ていた。
翼はその際に雷希と接触し、親しい関係になっていたのだ。
直接剣を教えるのは、危険だからと周囲の大人が担っていたが、それでも親しげに話しかけて来る翼に、雷希は心を開いていた。
だから、まさか翼が自分に刃を向けることになるとは思わなかったし、脅しではなく、本気で切り付けてくるとも、思わなかったのだ。
額が熱い。
ズキンズキンと鈍い痛みが走る。それと同時に、熱を持った額から、どくどくと赤い液体が溢れ出て来た。
額が斬られ、傷ついているのだと自覚するのに、少し時間を要し、そして、信じられないものを見るように、翼を見る。

「すみません、雷希。死んでください。」

その時雷希が胸に抱いたのは、他でもない、怒り。
どうして裏切ったのかと、今まで優しく笑いかけてくれたのは嘘だったのかと、そんななんともいえないどす黒い感情が胸の中でぐるぐると渦巻いて、そしてその怒りから、雷希は翼を傷つけた。
手に持っていた、父の形見。
自分の身体よりも、ずっと大きな、重い剣。
それを抜いて、振りかぶり、翼の胸に大きな傷をつけて、雷希は逃げ出したのだ。
翼に激しい憎悪を抱いて、そのまま死んでしまえばいいのにという、怒りを抱いて、翼の胸を切り裂き、逃げたのだ。
雷希を追う者はいなかった。
翼の治療が最優先されてしまったからだ。
最終的に、翼の傷は致命傷にまではならなかったが、胸に一本の刀傷が痕となって残ることになってしまった。

「今思えば、空高は何で大事に大事にしてるアンタを最前線に出したんだろうな。」
「…私が、聞いてしまったからです。会話を。荒雲を殲滅するって。そして、頼んだんです。連れて行って下さいって。雷希は私に心を開いているから、私が隙を突いて殺した方が、やりやすい、と。」

翼と雷希は、空然地の外れにある森の中に居た。
もうすぐ歩けば、港がある。雷希の目的地は恐らくそこなのだろう。
ぶおん、と船の鈍い汽笛が聞こえる。
そもそも雷希は何故此処に来たのだろう。自分を殺そうとした男を、きっと五年間憎み続けて来たであろう男を、こんな所にまで連れ出して。
雷希の目的や意図が、わからない。

「俺が何しに来たかわからないって顔してんな。」
「…バレ、ましたか。」
「わかりやすいからな、アンタは。」

雷希はそう言って、笑う。
あれから年月が経っているのだから当然と言えば当然だが、雷希は少し背が伸びだ。
まだまだ自分より小さいが、きっと後二年も経てば背は追い抜かれてしまうだろう。まだまだ彼はこれからが成長期だ。
あの時は満足に振り切れず、翼に傷跡こそ残すことは出来ても、致命傷は与えることが出来なかった刀も、だいぶ様になって来ている。
彼は生き延びて、確実に、成長しているのだということがすぐにわかった。
嬉しい気持ちと、後悔の気持ちと、様々な想いが混ざり合う。

「なぁ、翼。確認なんだけど、翼は本当に、俺のこと殺そうと思った?」
「…え?」

雷希に投げかけられた質問に、翼は思わず首を傾げる。
翼の青い瞳を覗き込む雷希の赤い瞳は、真剣そのものだった。
炎のような、燃えるような赤に、どくんと心臓が高鳴る。

「正直なとこ、どうだったのか、聞きたいな。」
「…殺そうと思っていたら、きっと、あなたの額ではなく、首を狙っていたと思います。」

雷希の額に巻かれている包帯を見つめながら、確信的とは言えない、曖昧な答えを返す。
殺すつもりはなかったと言ってしまえば、その通りだ。
他の者が行けば、確実に雷希は殺される。けれど、自分が威嚇として負傷させれば、彼は命に対する危機感から、すぐに逃げてくれる。もしも怒りに任せて自分を傷つけてくれれば、周囲の人間は自分に死なれては困るのだから治療に専念する。どちらにしろ、雷希は追えない。
シナリオ通りだった。
といえば、そうだ。
けれどそう言ったところで、言い訳をしているようにしか聞こえなくなってしまうかもしれない。
だから翼はあえて、曖昧な返答をした。
けれど、雷希にとってはその返答だけで十分だったようだ。

「そっか。」

少し満足したような、納得のいったような、そんな声で頷く。

「やっぱ、アイツの言う通り、か。まぁ薄々そう思ってはいたけど。」

そして、独り言のように何かを呟く。
彼は気付くまでに、五年かかったと言っていた。
五年かかったというのは、自分だけで自発的に気付いた訳ではなく、きっと誰かの助言もあり、誘発的に気付くことが出来たということなのだろう。

「俺は、今、柳靖地にいるんだ。」
「柳靖地…?といえば、あの、経済の中心ともいえる場所じゃないですか。随分と、華やかな場所にいるのですね。」
「とは言っても、そこにある森の外れだけど、さ。…なぁ、翼。あんな所にいるんじゃなくて、一緒に、一緒に柳靖地に来ないか?神子なんてつまらない役職背負わされているよりも、自由になった方が、いいだろ。政府なんてろくなもんじゃないし、一緒に、逃げないか?」

雷希はそう言って、翼に手を差し伸べる。
雷希は最初からこれが目的だったのだ。
翼を外へと導くために、翼を神の子という身分から引き下ろすために。
それは翼にとって、非常に魅力的な誘惑であった。
何故なら翼は神子という役割を嫌い、そして、神の存在に疑問を覚え、自分の役割にすら、疑問を覚えていたからだ。
鳥が羨ましかった。
自由に大空を飛んで、色々なところに行ける鳥が羨ましかった。
そんな憧れが、今近付こうとしている。
最初は難しくても、これが、少しでも神子としてでなく、人間として自由を踏み出す第一歩になるのであれば、とも思う。
けれど、翼は、静かに首を横に振った。
雷希は驚きの表情を浮かべる。

「何で?!屋敷に戻りたいっていうのか?!アンタは、あの屋敷で、神子としてぬくぬくしている方が幸せだって、そんな腐ったこと言うのか?!」
「違う!そうじゃない!そうじゃないんです!確かに外には出たい!勉強勉強勉強で同じことの繰り返しで自分の存在意義とか目的とかそんなことが一切わからなくなるような、敷かれた道通りに進むしかないような、そんなつまらない人生、変えられるなら変えたい!でも!私は出られない!出てはいけない理由が私にはあるっ!」

翼は、振り絞るように、叫ぶ。
それは紛れもない本心だった。
翼には、目的がある。だから、屋敷から出られない。

「何で、何でそれなのに、屋敷に…?」
「……あそこには、私が、助けたいと、十年、助けたいと思っている人が、いるんです…」
「誰だよ。その助けたい奴って。」

雷希が、不思議そうに、けれど、真剣な瞳で、翼に問う。

「…空高、青烏。」

震える声を振り絞り、翼は答える。

「私の、双子の兄です。」

 


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