深淵ノ彷徨


本編



「双子ぉ?」

雷希は思わず素っ頓狂な声をあげる。
翼に双子の兄がいるなんて、初耳だった。今までずっと、翼は一人っ子だと思っていたからだ。
それに、そうであればおかしい点が一つある。
神の子は、代々空高一族の長子が継ぐ。
翼にもし双子の兄がいるということになると、本来神の子を継ぐべきなのはその兄である青烏ということになるのだ。
では、何故翼が神の子の椅子に座っているのか。

「兄は、…青烏は、羽切様の手によって、幽閉されてしまいました。兄は私と違って、反抗的でしたから、だから、兄よりも、扱いやすい私を…」
「そのために、お前の兄は存在を抹消されたって訳か。」

翼は俯いて、これ以上言葉を発さない。
つまりそれが事実であるということを肯定しているようなものだった。
羽切。
空高羽切は、空高一族の頭首代理であり、実質的に政府の実権を全て握っている権力者だ。
彼が空高一族を、強いては政府を動かしているといっても過言ではない。
そして彼は、翼の父親の弟。つまり、翼から見たら叔父に当てはまる人物でもあった。

「兄が封印されて、それで、羽切様に逆らってはいけないと…そう、悟りました。だから極力、彼に逆らわないようにして来た。でも、ずっと、青烏を助けたくて、何度も何度も、青烏を助けようとしましたけど、私の力では…」

十年間、羽切の言うことを大人しく聞いていた翼には、外へ出る隙はいくらでもあっただろう。
それでも彼は、外へ出なかった。
逃げ出そうとはしなかった。
十年間ずっと、兄を助ける為に、兄を救い出す為に、ずっと、ずっと、タイミングを見続けていたのだろう。
しかし、雷希は翼の手を強引に引く。
身体は船を目指していた。

「ま、待ってください!雷希!私はっ…」
「十年!十年間ずっと、助けたい助けたいって思いつつも、助けられなかったんだろ?!このままアンタがのこのこ屋敷に戻ったところで、何も変わらない!」

叱るように、雷希は翼を怒鳴る。
翼の想いは尊いものだろう。
しかし、それは達成されなければただ無駄な時間を過ごしているというだけでしかない。
きっと、翼もそれは理解しているだろう。
故に雷希に反論することなく、翼は黙り、俯く。

「…ひとまず、此処を出よう。出ないときっと、なんも変わらないぞ。アンタの兄貴を出す方法も、見つかるかもしれないじゃないか。」
「……わかり、ました。」

雷希の手に引かれ、翼もゆっくりと足を踏み出し、歩き出した。


第三話 船の中にて。


ぐらりぐらりと揺れる不快感に吐き気を覚えながら、翼は薄暗く湿った場所で、じっと耐えていた。
目の前の雷希も、目を閉じて、ゆっくりと時が過ぎるのを待っている。
一体、どれくらいの時間が流れたのだろうか。
かび臭くて、埃っぽくて、けほけほと翼は軽く咳き込む。
冷たい壁に身を委ねて目を閉じようにも、ぐらりと揺れる不快感がそれを許さない。そして床や壁は身体を徐々に冷やしていく。

「少しは眠らないと、身体持たないぞ。」

雷希の声が、狭い室内に響く。
此処は、船の貨物室だ。
この世界には八つの地域があるが、地域と地域の間を行き交うのには必ず身分証明が必要となる。
しかし翼や雷希は己の身分を明かして船に乗れる人物ではない。
翼は神の子だし、雷希は殲滅された荒雲一族の生き残りだ。身分がバレれば翼は屋敷戻りだろうが、雷希はどうなるかわからない。
殺されても、不思議ではないのだ。
故に、この暗く狭い貨物室の中で、ひっそりと息を潜めることにした。
人が忍び込んだという痕跡を残さないために、貨物室の中にある食べ物にも手をつける訳にはいかない。
少しでも痕跡を残さず移動して、発覚を遅らせるというのが目的だ。

「…雷希は、あの後、どうやって逃げたんですか?」

ぎこちなく、翼は問いかける。
黙ったまま船の揺れを感じているよりは、こうして会話をしている方が気を紛らわせることが出来るかもしれないと思ったが、何年も会っていなくて、しかも最悪な形で別れた翼は、気の利いたことを言えもしない。
雷希がじろりと赤い瞳を翼に向ける。
この時雷希は、ただ翼を見つめただけだったのだが、翼は雷希が怒っているのではないかと思い、少し落ち込んだような表情をした。

「…もう、怒ってないって言ってるだろ。」
「それは、そうです、けど。でも。」

人を嫌い、人を恨むのはとても簡単だ。
けれど、逆に、その人を思い、背負い、悔やみ続けるというのはどれだけの労力がいるのだろうか。
翼は、きっと雷希とのことを五年間ずっと背負い続けていた。
そして、他にも背負っているものが、たくさんあるのだろう。
青烏という人物のことも含め。

「…前は、船に忍び込むなんて発想もなかったから、そのあたりに浮かんでいた木船を盗んで、漕いで逃げた。三人で。」
「三人…?」

翼は意外そうな、驚いたような声を浮かべる。
翼は、雷希は一人で逃げ出したと思っていたからだ。
しかし今、雷希は三人と口にした。
つまり、雷希が空然地から逃げ出した際、他に二人、同行者がいたということになる。

「あの日、俺のいた荒雲一族以外にも、殲滅された一族があるだろ。」
「卯雲一族と、卯時一族のことですね。」
「嗚呼。そうだ。俺が一緒に逃げたのは、その二つの一族の生き残りだった、俺と年の近い奴等だ。互いに似たような境遇だったからな、一人でバラバラに生きるよりも、三人で固まって生きた方が、生き抜きやすいだろうって、それ以来ずっとつるんでた。」

雷希の口元は、心なしか笑っているように見える。
過酷なこともあっただろう。辛いこともあっただろう。惨めに思うことだってあったに違いない。けれど、雷希の口元に浮かぶそれは、それ以上に、楽しいことや、幸せなこともあったのだと、そう思うには、十分なものだった。

「…楽しい、ですか?」

追われている身分なのだから、楽しいかどうかといえば楽しくないはずだ。
それでも、それくらいしか、翼は質問が思い浮かばなかった。
雷希は、口元に手をあてて少し考え込むような仕草をするが、その仕草は何処かわざとらしい。きっと、彼の中にはもう結論が出ているのだろう。
案の定、雷希はあっさりと、答えを出した。

「楽しいよ。」

そう言って、朗らかに笑う。
優しく穏やかな笑み。
自分が奪ってしまった表情。自分が崩してしまった表情。
それを、翼が知らない誰かが、五年という月日をかけて、彼の心を癒し、彼に寄り添い、彼の笑顔を、こうして取り戻していったのだろう。
そう思うと、嬉しい気持ちと、感謝の気持ちがある反面、羨ましさも、ある。

「雷月は口煩いし、飴月は時々、何を考えてるのかわかんねぇけど、楽しいよ。一緒にいると。追われる可能性があるから堂々とは出来ないけど、でも、それなりにささやかに暮らせてると思うぜ。」
「…そう、ですか。よかった。」

だから、と雷希は言葉を付け足す。

「だからこそ、アンタをこうして連れ出せたんだろうな。…自分が幸せにならないと、他人の幸せって願えないんだな。身に染みたよ。それに、もしアンタが俺に刃を向けてくれなかったら、アイツ等に会えてなかったんだなって思うとさ。皮肉だけど、今となっては感謝してるよ。」

出来ることならば、そんな方法ではなく、別の方法で彼を逃がしてやれればよかったのだけれど、と翼は胸が締め付けられるような心地になりながら、考える。
自分がもっと強ければ。立ち向かう勇気があれば、きっと、彼を傷つけることなく、助けることも出来たのかもしれない。
それでも過ぎたことなのだから、これ以上悩んでも、無断なのだろう。
翼、と雷希が名を呼ぶ声がする。
彼の赤い瞳を、真っ直ぐ見た。
もう、彼の瞳は怖くない。

「屋敷の外の世界ってのも、案外悪くないもんだよ。」

だから、まずは全部置いといて、外の世界を見てみようよ。
そう言って、彼は笑ったのだった。

 


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